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オランダで50歳になるということ。マキシマ王妃誕生日に寄せて

去る5月17日、オランダのマキシマ王妃は50歳になった。オランダで50歳といえば大きな節目で、みんな50歳の誕生日は盛大に祝う。日本の「還暦」(60歳)みたいな感じなのだ。17日はみんなが見る夜8時のニュース番組に続き、マキシマ王妃の特別インタビューが放送された。視聴率なんと51.2%。私もその夜テレビにかじりついていたうちの1人だ。

パーソナルな質問、オープンな答え

8時半から約1時間。インタビューを見終わった印象はとにかく「すごいオープンでストレート」。「王妃に対して、こんなに個人的な質問をしてインカ帝国!」と思われるほど、パーソナルな質問がどしどし投げかけられたし、王妃もとても正直にオープンな受け答えをしていた。いろんな意味で、とてもオランダらしいインタビューだったと思う。

インタビューの冒頭は、アルゼンチン人のマキシマがセビリアでウィレム=アレキサンダー皇太子(当時)と出会うところから振り返る。「私がパーティの写真を撮っていたので、ウィレム=アレキサンダーは私のことをパパラッチだと思っていたようです。いいスタートじゃなかったですね(笑)」。彼と付き合うようになってからは、みんなに気付かれないよう黒髪のかつらをかぶって変装し、オランダ各地のカフェを巡って市井の人との会話でオランダ語を練習したり、「ビッターボールン(オランダの揚げ物スナック)」を食べたりして、オランダを知ろうと努力した時期もあったのだそうだ。

2人の結婚については、マキシマの父親がかつてアルゼンチンの独裁政権の農林大臣で、同政権が罪のない市民を大量虐殺したことが問題視された経緯がある。そのため、マキシマの父親は結婚式への出席を許されなかったが、それでも結婚式の日は彼女にとって「いちばん幸せな日」だったという。「両親が結婚式に出られなかったことで、オランダはあなたを傷つけませんでしたか?」という質問に対して王妃は、「いいえ。オランダは原則を示しました。そして、父親がやったことで娘をとがめないということを示しました」と答えている。

国民の好感度アップ

2018年に自死したアルゼンチンの妹のことについてもインタビューアーは触れた。マキシマや家族は彼女のためにいろんな援助の手を差し伸べたけれど、彼女を救うことはできなかった。「妹さんは天国にいると思いますか?」「分かりません。でも、妹を思い出すとき、彼女は微笑んでいます」マキシマは笑いながらもちょっと涙をぬぐっていた。

そして娘たちのこと。特に、次の王位継承権を持ち、今年18歳(成人)になる長女のアマリアについては、「私にとっては彼女はまだ小さなベイビーなの」と言って笑った後、「彼女はすごくよくやっているし、責任感がある子です」と、オランダのママらしく子供を褒めまくった。ほかの娘2人についても「かわいい私の宝」「ものすごく多才なの」と、本当に深い愛情が感じられて、いいお母さんだなあ……と、温かい気持ちにさせられた。コロナ禍で各国への訪問ができなくなったことで、娘たちとの時間が増えたのは正直嬉しい、とも言っていた。

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さらに懸案の「コロナ禍のバカンス」と「ウィレム=アレキサンダーの高価なボート」について。昨年秋にみんなが旅行を自粛する中で、ギリシャの別荘に飛び立ったことについては、「判断を誤りました。旅行は許されていたけれど、(国民と)連帯する行動ではなかった」。ボートについては、「彼はそのボートが欲しいのです」と回答していた。日本だったら「反省が足りない」と怒られそうな感じもするが(そして実際に夜のトークショーではそういう批判も聞かれたが)、国民は総じて「マキシマ、許す!」という評価を下しているようだ。

「コロナ禍のバカンス」事件の影響で、国民の支持率が低下してしまっている国王夫妻だが、今回のマキシマ50歳記念インタビューは、王室の好感度をかなり上げたのではないだろうか?個人的に私は、マキシマ王妃がすごく美しくて、朗らかで、賢くて、温かくて、オープンで、オランダに合った人だな、という印象を強く抱いた。オランダ王室、ええ嫁はんもらいはった。

50歳はオランダの還暦

マキシマ王妃のインタビューに見られるように、50歳というのはオランダでは特別な年。人生100年時代の現在においては「折り返し地点」だが、昔はかなりの高齢で、「50歳まで生きてこられた」という長寿のお祝いなのだろう。

50歳の誕生日には、キリスト教で長生きの象徴とされている「アブラハム」と「サラ」の大きな人形を庭に飾ったりして、盛大なパーティを開く人も多い。息子の小学校ではある日、先生のうちの1人が50歳の誕生日を迎えたのだが、その時には学校中に「Lisa 50!」と書かれた写真入りのポスターが張り出されており、なんだか気の毒な気分になってしまったものだ。

そんな私も、昨年この特別な節目を迎えた。48歳、49歳……と、その時期が近付くにつれ、「ああ、私もあの盛大なパーティをやらなければならないのだろうか……」と、憂鬱な気分になっていたのだが、正直コロナに助けられた形となった。「これで、ひっそりと50歳の誕生日を迎えられる……」

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しかし、誕生日当日。朝、私を起こしに来た長男について階下に行くと……サプライズ!風船と旗で居間はお祝いムード全開に。壁には「Hartelijk Gefeliciteerd!(心からおめでとう!)」の文字も踊り、シャンパンやお菓子や鉢植えの花など、プレゼントの山が用意されていた。息子によると、前日の夜中にオランダの義理の妹と甥っ子がやってきて、長男と一緒に1時間ほど飾りつけをして帰っていったという。

よく見ると、家の外にも「50」と書いてある旗と風船がはためいている。嬉しいやら恥ずかしいやら……私は年齢不詳の東洋人として、ご近所では「37歳ぐらい」で通そうと思っていたのだが、これで年齢がバレてしまった。

「ナオコ、50歳になったの?」

「おめでとう、サラになったのね!」

午後に入って、近所の人たちが続々と花束を持ってきてくれて、おそるおそる1.5メートルのソーシャルディスタンスを保ちながら手渡してくれた。パーティはなく、ハグもできない状況だったが、みんなの温かさが身に染みる、素敵な誕生日だった。いろんな意味で忘れがたい1日だった。


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