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変化する ”気の持ちよう。”

私は1980年に日本で生まれ 主に東京・神奈川エリアで大人になりました。一通りの受験・就職活動・企業での勤務 を経て・・・

●努力して、苦しくても「良く」なり、競争に勝つこと。

●周囲と調和を持って、進んでいくこと。

●その上で、オリジナリティを発揮すること。

ということをなんとなく大切なことのように思い 自分の根底をなす価値観として固まってきていました。30歳を過ぎたあたりから、その価値観が ”本当に大切・重要!”  と ”そうでもないかも?” に分かれることに少しずつ気づきました。

そのタイミングで、長期でフィンランドやその他の国へ行ったのは 将来の仕事のためのリサーチでもあり、自分の価値観を再度問い直すという目的もあったのです。

自分の所属する会社組織・昔からの友人関係・地域のコミュニティから離れてみて いったい、世界の人たちはどんな価値観を持って生きているのだろう?ということをシンプルに感じてみたかったのです。

異質な価値観に出会ったとき、そこから学ぶことが多い反面 それまでの自分が否定されるような違和感もやってきます。私がフィンランドで最も感じた違和感は、

「頑張れば、もっと良くなるのに」

公的サービスや街のショップ・レストラン・カフェなどで 少し待ち時間が長かったり、効率が良くなかったり、スタッフがサービス内容を良く知らなかったり・・・。その少しの部分を改善すれば、もっと良いのに なぜしないのだろう?ということ。

日本から、フィンランドへ移住した方もこんなことを言っていました。「(子どもが)日本の保育園からフィンランドの保育園へうつって・・・日本では”お友だちが「かして」と言ったら(遊具を)貸しなさい” と言われ、フィンランドでは”自分が満足するまで、遊びなさい”と言われる。その違いに子どもが戸惑う。」

別の日本人のご家族は、「自分の子供が、学校で長い間いじめに遭っていたことを・・・先生が気づかなかった。先生には、もっと”ちゃんと”してほしかった。」と辛い思い出を共有してくれました。

また、フィンランドの保育園や学童保育の先生やスタッフたちは日本のように自ら「●●しましょう〜」と声をかけることがほとんどありません。子どもたちが平和に遊べているかをウォッチし、トラブルがあれば問題解決をする。

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保育園の外遊び、小学校の休み時間。先生たちは、子どもたちの遊び相手をほとんどすることなく 黄色いベストを着て「立って」いるフィンランド。

大人は子供と遊ぶべきだ。と、考える方はどう思うでしょうか?

フィンランドで会ったもの、ひと、組織、出来事。そのすべてが自分の価値観にすぐにフィットしたわけではありませんが、違和感を持ちながらも「なぜ、そう考えるんだろう?もっと理解したい。」という想いがあり、自分が変化していくことを感じました。

写真はヘルシンキにある、”石の教会”。新たな考えや価値観に触れ、一人で考えたい時に・・・座っていました。外見は、”大きな石”です。

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