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わかってるけどできないことに向き合えるかどうか

4つのプロセスより

本日は週刊ダイヤモンドで保険特集が組まれる1年に1回の日です。Twitterなどでは定期購読者は土曜日に配送されるのですでに多くの人たちがXxx~と大盛り上がりでしてまだ読んでいない自分としては急いで帰って読まないと!と思っています。

それはそうとコロナもだいぶ正常化に向けて動き出してきているのかで業界向けの講演会とか集会なども再開されてきておりまして個人的にはリアルでのインプットの時間が増えることは喜ばしい反面、世の中のわかる人とできる人の差がさらに開いていくのだろうなとも思い、向こう3年くらいでさらに大きな差になるだろうと感じています。

気づいていない人をおいていってしまう世界になった

コロナはある意味、気づいていない人に被害をもたらす厄災だったなと思っています。気付かぬうちに失われた命が全世界で数多あった。そういった中で幸運にも生き残った我々は、新たな仮想世界に一種の幻想を描いたり、それまで永遠に上がり続けるであろう”今回は違う”という株価上昇に冷や水をぶっかけられ、靴磨きの仕事すら失わざるをへない状況にまで低迷した株式市場などを見、いきなり「2~3年は調整」と曰ういわゆる「専門家」が揃い出している世界になってきました。

こういった世界においてはある意味「昨日とは全く違う」ことに何かがいきなりなってしまうことはある意味常識であって、それの先行指標が物価だったり金利だったり、交通量だったり、戦争だったりするわけですけど、本当は当たり前だったのが有難いことだった、なんて気づいてうんうんと認知、理解、することは容易い世界であります。検索もできますし。

しかし、いざ理解ができても実行までとなると極めて困難。スタートアップ的にはPMF前に限らず常にキャズムが、保険営業的には翌々週の5FFが、証券営業においては締め2日前で課長から新たな旗を振らされる、銀行マン的にはコロナ融資をそのまま米国株に突っ込んで真っ青になっている社長のお尻をどう吹き切るか?くらい困難なのです。

わかっていてできることを繰り返すことに価値があるのはもちろんですが、それよりも、わかっているけどできていないことに目を向けることがいかに重要か、それをできるようにするにはどうしたらいいか、に注力することが最も中長期的に価値があるのではないか?と思っています。

そしてその問いを解きに行くのはそれはもしかしたら今が最適なタイミングかも?ということです。

平成は失われた30年と言われていますがそれが40年くらいになるのはまぁ10年以内にわかるし、2025年には日本は全都道府県で人口が減少するし、2030年〜2040年には東南海トラフ✖︎富士山噴火とかがリアルに迫っていますし(トンガとカムチャッカとか見てると他人事じゃない)、金融ひきしめ✖︎引き締めウクライナの問題も世界的なインフレは噴火による冷夏予想だけでなくインフレを引き起こしていますし。

カッペリーニが日本後で、カペッリーニが正式名称だとしてもカッペリーニと言い続けてしまうくらい、わかってはいるけどできない、ってことに取り組み続けられる変態可能性を能力としてつけていくこと、常に正解が変わり続けるときに対応できる柔軟性が必要かも、と思う次第です。

で、何をしたらいいんだっけ、というと(まずは気づいていない、はちょっと論外というか論じられないんですけど、)わかっている人をどうのようにできるように導いていけられる人、存在を増やせられるのか、が下期のテーマっぽくなりそう。

わかってない人たちを理解させて、ちょっとした成果を出させて自走させる、からわかっているけどできない人たちの伴走、からの更なるレベルアップに向けた取り組みに注力するというフェーズになりそうです。

わかっちゃいるけどできない。これに取り組めるかどうかってめちゃくちゃ難しいと思っているし、変に身につけられたことを継続するよりも難しいことだと理解しています。挑戦し続ける、常に脳みそを使いながら次のラウンドに向けて準備する。大変だけどやれるように準備を行う、個人的にはそんな時期に来ているなと思っています。


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