日本とユダヤとの交流の歴史

コミュニティとしては
1854年 横浜、長崎、函館、神戸の港が開港されてから。
(ペリー来航は1853年)

1904年 日露戦争
ユダヤ人財閥、ヤコブ・シフ氏が日本の外責を2億ドル近くも購入し、日本の勝利を助けた。シフ氏の目的としてはポグロム(ロシアにおけるユダヤ人虐殺)を取り締まろうとしない帝政ロシアを倒すことにあったとみられる。

1914年 第一次世界大戦
 1917年 ボルシェビキ運動に導かれたロシア革命勃発。レーニン率いる共産主義が帝政ロシアを破って、ソビエト連邦が立ち上がった。この運動の中にはユダヤ人もいたことから、反ユダヤ感情が世界に拡散された。

この時代、日本もシベリアに軍隊を派遣しており、初めて反ユダヤ主義の現実を知る。ユダヤ陰謀論で知られる「シオン賢者の議定書」もこの時期に翻訳された。

しかし、シフ氏の記憶からか、反ユダヤ主義に傾倒せず、その知恵や経済力に目を向ける動きも着実に広がっていった。

1932年 満州国 樹立  (1933年ナチスドイツ政権樹立)
 満州の関東軍は安江仙弘大佐、犬塚惟重大佐を中心として、ユダヤ人迫害には最後まで反対の立場を取り続けた。

1937年 ハルビンにて、関東軍がユダヤ人協会と共同で、第一回極東ユダヤ人大会を開催。

1938年12月 五相会議が行われ、日本はユダヤ人を排斥せず公正に扱うという基本方針を制定。

1938年〜1940年 ヨーロッパのユダヤ難民が満州オトポールを通過して上海まで行くルートを確立した。(ヒグチルート)
このルートを通って助かったユダヤ人は2万人とも言われている。

1940年9月 日独伊三国同盟を締結。
      杉原千畝氏の日本通過ビザ発行はちょうどこの時期。
      満州ではなくウラジオストクから敦賀へ。

1945年8月 日本ポツダム宣言受諾
1951年 サンフランシスコ平和条約…日本による朝鮮の独立承認を規定するとともに,日本が放棄すべき地域として「済州島,巨文島及び鬱陵島を含む朝鮮」と規定した。翌年には外交権を含む日本の主権を回復することになった。

ユダヤ人はもはやヨーロッパに帰れないことを悟り、開拓中だったイスラエルの地を目指した。
1947年 国連は分割案を可決
1948年 イスラエルの独立を宣言
1949年 正式な国連加盟国として迎えられた。

日本は1952年4月28日に主権を回復すると、その2週間後にイスラエルと正式な国交を結んだ。

1972年PLOに加担する日本赤軍がテルアビブ空港でイスラエル人8人を含む26人を殺害するテロ事件を起こした。関係は冷え込んだ。
2011年東日本大震災の時、イスラエルは南三陸に本格的な医療チームを派遣。
2014年5月 ネタニヤフ首相が日本を訪問。安倍首相と共に日本イスラエル共同声明を発表。防衛、サイバー関連、貿易経済、観光面などで協力が始まった。
2022年11月 国交70周年
2023年3月からはエルアル航空の東京・テルアビブ直行便が就航する。

(樋口季一郎記念館提供)

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