ロシアの歴史 ゴルバチョフ

1922年 レーニン率いる社会主義共和国連邦(旧ソビエト)樹立

1985年〜1991年 第8代ゴルバチョフ大統領
就任直後の1986年チェルノブイリ原子力発電所事故では、書記長であるゴルバチョフの元になかなか情報が届かず、ソ連の秘密主義が、国の最高指導者の行政にまで影響を与えている現実を突きつけた。業を煮やしたゴルバチョフによって、体制の硬直化による種々の社会問題を解決するために、言論・思想・集会・出版・報道などの自由化・民主化が行われた。

「ペレストロイカ」政治体制の改革と、「グラスノスチ」情報政策が行われた。

1987年アメリカ訪問
   レーガン大統領 INF(中距離核戦力全廃条約)

1989年11月 ベルリンの壁崩壊
    12月マルタ会議 44年続いた冷戦の終結
1991年 ソ連崩壊
     ウクライナなど14カ国が独立した。


ゴルバチョフはスターリン時代から厳しく制限された信教の制限を緩和した。
1987年 ユダヤ人がロシアからイスラエルへ帰還するための手続きを簡素化。
  (チェルノブイリの被害者の多くがユダヤ人だったため、その世話をイスラエルに押し付けようとしたとも)

今のロシアとウクライナ問題
 世界中がロシアを非難しているわけではない。 
G7を中心とする民主主義国家は非難 36%
中立の立場を取る国 32%
支持、理解する国 イランや中国など 32%

ヨーロッパでは極右政党ができている。
 (極右…自国の復興第一、排他に傾く。)
理由としては、シリア内戦から続く難民問題。またエネルギー問題、物価高の問題。

フランス…ルペン氏がマクロン氏を圧迫
イタリア…ムッソリーニ支持を表明する、ファシスト政党が議席数を上げ、その党首メローニ氏がイタリア初の女性首相に。




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