見出し画像

マミートラックの出発点

言える時代になったので、ぶつくさ言っちゃいます。
子連れで出かけると対応が明らかにママ対応。それはあたりまえですね。
しかし、一人でいても子がいると分かるとママなんですね!とママ話になり、
旦那さんのお休みは?つまり、仕事は夫しかしていないモードの質問などで、仕事してる風には見られていないし、「私」が主体の対話がなくなります。
話題提供してくれる優しさだと分かってはいますが。

子持ち=子が全て
ママ=仕事してない
結婚した女性=家庭の話が好き
という思い込み、刷り込みがマミートラックを生む出発点なのかもと思いました。
おじさんだけでなく、若者からも言われるので、令和なのに認識が変わっていない事でちょっとびっくりしたし、根強いと分かった。

マミートラックを簡単にいうと、子を生むと出世出来ない補佐的な仕事に回される事です。家事と育児を「おろそかにせず」出来る仕事ならしても良い立場です。(←文字化するだけでムカムカします。笑。そもそも、家事や育児は夫婦協力するものですよね。)
がんばろうとすると、職場でも親からも「もうお母さんなんだから」と肩を叩かれる場合があります。


個人的には、子を生んだときに、「わたし」自体は何も変わっていないのに、周りからの対応で「わたし」が消滅したのが苦しかった。復活するために小さくてよいから補佐的でない自分らしい仕事をするんだ、そして決して手放さずに続けようと思いました。

子は可愛いし、一緒にいて幸せですし、学びを与えてくれます。1番大切な存在です。母親の視点です。
しかし、母親ではない視点も共存します。
ただ1人の人間として、世の中の素晴らしい作品を拝見したいし、ごりごりに仕事にのめり込みたいし、滞りなく業務を遂行したい。
どちらかを選ぶのではなく、時により入り組んで顔を出したほうに上手いこと対応していくのはどうか?

「もうお母さんなんだから」という言葉で一度手放してしまった気持ちは、成仏しないんですよね。必ず後で顔をぴょこんと出してしまう気がする。
子どもに自分を重ねて何かを強いてしまったり、後になって後悔する人もいるのかも?ねじれがねじれを生み、連鎖しているのを見たことがあります。

近所のcafeに行く、本を読む時、自分に帰れる場所や時間があるだけでも救われるし、自由になれます。

母親だけの話じゃないですね。
いろんなところにしがらみが、絡まり合っています。

シンプルに自分は自分のもの。他の誰のものでもない。所有権は親でも子でも夫でも恋人でも仕事先でもなく。自由に生きられるよーって事を言いたい。

だれかと戦わないでも、自由は、静かに自分だけで信じ続けていればいいんだな、と感じています。

人が自分らしくいられる事は、周りの人も楽なのでは、と思います。

若い頃はそんな事考えた事もなかったですが、こんな考えの人がいると発信することで、ちょっとしたきっかけが出来たり、次から生きやすい人が増えるならそれで良いとおもっています。

自分自身も、周りの人に対して固定概念にとらわれないように気をつけます。

みんな一人一人、違う人格。

ママも普通に一人の人格をもった人間と知ってくれたら嬉しいです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?