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社会のうねりの中で生きるということ―『年年歳歳』書評

「図書新聞」No.3547 ・ 2022年06月18日 (土曜日)に、ファン・ジョンウン『年年歳歳』(斎藤真理子、河出書房新社)の書評が掲載されました。

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「図書新聞」編集部の許可を得て、書評を投稿します。


社会のうねりの中で生きるということ――大きな数のなかに埋もれている個人を、そっとすくいあげたような連作小説集
年年歳歳
ファン・ジョンウン 著、斎藤真理子 訳
河出書房新社
No.3547 ・ 2022年06月18日

 どんな出来事にしろ、規模を表すためにそこに関係した人の数が示される。だが、その数を構成する一人ひとりにとって、規模の大きさにどんな意味があるだろう。個人にできるのは、己の身に何が起ころうと万事乗り越えて生きていくことだ。ファン・ジョンウン著『年年歳歳』は、大きな数のなかに埋もれているそうした個人を、掌でそっとすくいあげたような連作小説集だ。
 本書は四つの短編で構成されており、その中心となるのはイ・スンイルという女性だ。朝鮮戦争の初期に四歳だったとあるので、一九四六年生まれで今年七十六歳ということになる。激動の時代に生きた彼女にどのようなことがあったのかが明かされるのは三編目で、それまでの二編、「廃墓」と「言いたい言葉」では、彼女と家族がどのような暮らしをしていてそれぞれどのような関係にあるのか、なにげない言葉のやりとりから浮き彫りにされていく。
 イ・スンイルには、夫のハン・ジュオンとの間に三人の子供がいる。結婚して二人の娘がいる長女のハン・ヨンジンは高校卒業後就職し、優秀な販売員として働いて家族を金銭的に支えてきた。今は自宅の下階に両親を住まわせて、家事の一切を母親に頼っている。次女のハン・セジンは大学に入ると家を出て、卒業後は職場を転々としながら演劇や放送用の台本を書いており、母親から、そろそろ自分の代わりに家事を引き受けてほしいと言われている。末っ子で長男のハン・マンスは、大学を卒業したものの就職活動がうまくいかず、ニュージーランドに留学してアルバイトをしながら、専門職の資格を取るのに必要な講義を受けている。ニュージーランドの水が合っており永住権の申請中なのだが、父親だけは息子がいつか韓国に戻るだろうと考えている。
 社会の流れに翻弄されながら懸命に生き抜いてきたイ・スンイル。貧しい家族を支えてきたという自負と、どうして自分だけがそうした役割を担わねばならなかったのかという思いを抱えるハン・ヨンジン。姉に負い目を感じつつも家族のために自分の生活を犠牲にできず、それでもお互いの結びつきを最も大切にするハン・セジン。海外での生活に馴染み、母国のことも家族のこともすでに外側から見ているハン・マンス。それぞれがそれぞれに対して割り切ることのできない感情を抱いているが、それを伝えることはしない。道を歩きながら、地下鉄に乗りながら、仕事をしながら、心の奥からふと浮き上がってくる思いは口から出ることなく、また胸の内にしまい込まれる。
 家族のこうした状況の土台となっているのが、母親であるイ・スンイルのこれまでの人生だ。三編目の「無名」では、彼女が社会のうねりにもまれながらどのように生きてきたかが独り言のように語られる。周囲の大人たちから、本名ではなく従順な子という意味の名前、順子(スンジャ)と呼ばれていた彼女には、自分で生き方を選ぶことはできなかった。それが許されない環境であり、そういう社会だったのだ。そして、やりたいことをやって生きていくことなどできないという彼女の思いは、息子ではなく娘たちへと引き継がれていく。四編目「近づくものたち」では、ハン・セジンと心を病んだ恋人、そして米兵と結婚してアメリカに渡ったイ・スンイルの叔母の家族が登場し、社会の中でもがきながら生きる個人のやりきれなさが、これまでとは違った角度から語られていく。
 今、世の中には「好きなように生きる」とか「自分の道は自分で決める」といった言葉が飛び交う。だが、他者との関わりの中で生きている限り、社会の影響をすべて回避することなど不可能だ。ただ、性差や家族についての社会の考え方は大きく変化している。それなら、社会と個人の関係性もきっと変わるだろう。ハン・ヨンジンの娘たち、そして今の子供たちは、いったいどんな人生を歩むのだろうか。

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