クリエーターじゃないねと言われた話

「あなたはクリエーターじゃないね」

もう3年くらい前になるけれど、そう言われたことがある。

当時仲良くしていた友人と出かけた先で、ものづくり系ワークショップが開催されており、そういうことが好きな友人から「一緒に作ろう」と言われて断った時に言われたのが上の内容。

私は自分の思いをちゃんと言葉にして説明できるようになるまでに結構なタイムラグがあるので、その場ではもやっとした思いを抱えながら、彼女が渡されたキットを工具を使って組み立てていくのを見ていた。


そういえば、それ以前にも同じようなことが沢山あったっけ。
公園でどんぐりを使ったワークショップを彼女から誘われた時にも断ったし、
親からそういったイベントに連れて行かれた時は嫌々作っていたけれど、「あんたは不器用だね」と言われてなぜか怒られたりしたので嫌な記憶くらいしかない。


ものづくりが苦手だと思っていた私だけれども、高校生の頃に初めてWebサイトを作った。
当時誰にも言うことができなかった思いを吐き出したり、同じような子たちと交流するための私の大事な居場所だった。
黒歴史といえばそうなのだが、そういった場と、そこで出会った人たちの存在で首の皮一枚つなげてようやく生きられたような、そんな場所。
最初はケータイがあれば作れた簡単なサービスを利用していたが、「もっとこうしたい」という思いが膨れ上がったので、HTMLについて調べて、サーバーを借りて、WindowsPCに入っているメモ帳アプリにHTMLタグをコピペして試行錯誤しながら、見ていて安心できるようにとブルーを基調にして作ったいわゆる当時の個人サイトというものができた。

なんとなくゆるく人が集っていて、私が日記を書いたらその内容について話しかけられたり、私の精神状態が比較的安定していた時期はゆるめの雑談などをしていた記憶がうっすらある。
私だけの場所のはずが、気づいたらみんなの場所にもなっていて、でもそれはきっと嬉しいことだったと思う。


私は時々一眼レフで写真を撮っている。
最近はイベント写真の撮影がすっかり多くなってしまったけれど、元々は「私が見ていて心を揺さぶられた情景、被写体を撮って形に残したい」という思いで撮っていた。
空のグラデーションが美しいと思った時、水のきらめきが綺麗だと思った時、カメラを持ってないことをひどく後悔することもある。
また、目の前の人の思いとその表情を撮りたいと思ったりもする。
被写体の美しさを撮れるようになりたい、そしてその美しさを誰かに伝えたい、だから「撮らなきゃ」と感じる場面がたくさんあった。


…あれ?本当に私は「クリエイターじゃない」んだろうか?


「撮らなきゃと思う」と彼女に伝えたことがあったけれど、
彼女は「報道写真でもないのに『撮らなきゃ』って思うのが分からない。その気持ちが和らぐといいね」と私に声をかけた。

以前絵筆を握っていたはずの彼女には、内側からの衝動に突き動かされるようなことがなかったのだろうか?
私の近くにいたはずなのに、一体どこを見ているんだろうか?
彼女の中に「ある」と勝手に信じていたはずのものが揺らぎだして、多分そこから彼女に対する緩やかな絶望が生まれたような気がする。


…結局、彼女のいう「クリエイター」とは何だったんだろうか?

何かを試行錯誤しながら生み出そうとする人は、皆クリエイターだと私は思っている。
別に大きなことじゃなくていい、ごはんを作ったり、資料を整えたり、収納工夫したり、自分の中の「こうしたい」を形にしようとするならみんなクリエイターってことでいいんじゃないだろうかという気がする。

生み出された「結果」も大事だけれども、私は何かを生み出したいというその人の「思い」や「熱量」を大事にしたい。
私は、それこそがいちばん大切なものだと思っている。


彼女には様々な「問い」をもらったけれど、それを彼女に伝える気はもう全くない。
ただ、私なりに考えた答えだけは、ここに載せておきたいと思う。

2020.08.05 追記

「当たり前」だからと思って大前提を省いてしまっていたけれど、そもそも「自分が欲しいとも思わなかったので作らなかった」だけで、結局彼女は彼女自身が欲しいと思ったものを欲しがらなかった私を、彼女と同じじゃなかった私を否定したかっただけなんだろうな。

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