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アメリカンヒストリーX鑑賞レポート

LAID BACK OSEANのボーカルYAFUMIさんの紹介によりアメリカンヒストリーX鑑賞しました。
意外と周りに知っている人が多く驚きました。
僕にはヤフミさんがこの映画を皆んなに見てくださいと提案してきたのがとても意外に思えました。というのもヤフミさんが明確にわかりやすく社会的、政治的なメッセージを発信する事って今までにそんなに無かった気がしたからです。
勘がいい人やセンシティブな人なら気付くくらいのニュアンスでボヤかして発信したり、二極化した問題には誰かを思いやって白黒付けない物の言い方をする事が多いイメージだったので、この作品を提案してきたのは本当に意外でした。

前置きが長くなりましたが私なりの感想を。あらすじは割愛します。

今の時代に、正に見て考えるべき作品だと思いました。アメリカの人種問題はとてつもなく根深い問題だと思います。それは黒人差別問題だけでなく数百年前にヨーロッパの人々が新大陸を発見し原住民やインディアンを駆逐し迫害したのも事実であり「有色人種が俺達の〇〇を奪った」というのはネオナチやKKK、一部のWASPによる白人優位主義や選民思想の人達の主義や主張のせいだとも思います。
アメリカの歴史の節目節目で人権運動は起こるのに(奴隷解放宣言、キング牧師やマルコム・X、黒人大統領バラク・オバマの就任、BLM運動)この問題が一向に解決がされないのはアメリカの既得権益層に巣食う白人層や保守層である共和党、ドナルド・トランプのような分断を煽り指導する人間が絶える事なく現れ、たとえトランプが政治の場から退場しても第二、第三のトランプを生み出してしまうというのも一因のような…。アメリカはこれを数百年と繰り返していて、21世紀現在も引き継がれてしまっている。

私は戦争も差別も人類が克服するべき問題だと思っていて21世紀にはどちらもなくなるとおもっていましたが、世界からはこれらが消える気配はいまだにありませんね。

私たち日本人にも他人事ではなく、日本にも新大久保や川崎に行くと拡声器で怒鳴り散らしている人や外国人学校の前でヘイトを吐き散らしている人達がいてウンザリします。最近では大坂なおみ選手、ケンブリッジ飛鳥選手、八村塁選手、オコエ瑠偉選手などに対して果たして彼等を日本人と言っていいのか論まで出てきて私は同じ日本人として嫌になるし、日本の嫌なところが目立って息苦しく感じてしまいます。
こういう事を言うと「嫌なら日本から出て行って結構」論者も出てくるのでこういった手合いは本質が何も分かっていないので相手にしない事にしていますが…。

理解できないものに対して恐怖感や嫌悪感になり、そこから拒絶反応に繋がってしまうのは動物の本能なのはわかりますが、それが他人を傷付けたり攻撃したりしていい理由にはならない。なぜなら私達は人間で理性があり言葉で会話し意思を交換し理解ができるから。

差別をする人間は「旧来の価値観の型にハメたがる」「これはこうであるべきという決め付け」「白黒をハッキリさせたがるドンシャリ人間」「個ではなく集団を形成しデカい声で話す。」こういった類が多い気がするのです。私の勝手な分析ですが…。

余計な話を沢山してしまいましたが、結局のところ「私達はどうするのか、どう生きるのか?」これが1番重要だと思います。
他でもない私は「分断に加担しない」「憶測や噂に惑わされず真実を探す努力をする」「多角的視点と公平性を持って考える」「価値観は時代と共に変化する」これを心に留めておきたい。

そして最後は「決着のつかない問題はグレーでも良い場合もある」

私はこう考える時があります。
「なんでも0か100か、白か黒かの極論だと永遠に決着の付きそうにない話は「完璧な調和保ったグレー」ではダメなのだろうか?」
今、この現在を生きる私達には知恵が足りず解決する方法がわからない問題は、お互いがグレーで納得できないのだろうか?この先の未来の人類が素晴らしい答えを導き出してくれる事を願って一旦落とし所を見極める。そういった柔軟さも大事だと考える。勿論相手にはそんな気がさらさらない場合もあるからそこにも臨機応変に対応する。絶対に譲ってしまってはいけないものまでは譲らなくて良い。

…もう自分も頭がゴチャってきたので支離滅裂かもしれませんがすみません。纏まりませんが、差別などの抑圧や圧政からの解放や自由を願い歌ったのがゴスペルやブルースで、近代音楽の歴史はそういった物との格闘の歴史だと思います。ロックが自由を歌い、パンクは体勢への批判と反骨を歌いHIP-HOPは平等を歌った。
だから僕はミュージシャンもアーティストも人を傷付けなければ何を表現しても良いと思ってます。今回、ヤフミさんの頭の中を少しだけ覗き見することができ興味深く考察させて頂いたと共に、アメリカンヒストリーXを通して改めて考える機会を得られたことはとても良かった。

ごちゃごちゃのまま纏めずに終わりたいと思います。

追記
何時ぞやかヤフミさんが「多様性のあり方」について触れていたので、ここで僕なりのアンサーを。

「多様性を認めない人を認めないのは、それこそ多様性では無い」論について。僕はそれはただの論点ずらしだと思います。BLMを叫ぶと「いや、誰の命も大事だろ!だからALMだ!」という論法で主題を巧みにすり替えるやり方に似ている気がします。ALM"も"大事であることには変わりないがBLMを叫ぶ人たちが言いたいのはそういう事じゃない。だから、「多様性を認める」という事は「多様性を認めない人をも認めろよ」論とは話の次元が違う気がするのです。
さらに「多様性を認めない人をも認めろよ」論を免罪符のように振りかざしても、他人を中傷したり攻撃したりして良い理由にはならないと考えます。

以上、今回LADE BACK OSEANのヤフミさんから薦められたアメリカンヒストリーXを鑑賞し、そこから感じた事、日々の暮らしの点と作品を見て感じた点が繋がり出た自分なりの感想を羅列しまくってみました。
果たしてヤフミさんは見てくれるだろうか。

後半へ続…かない

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