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ドンキー日記 2020年4月

4月26日
 ここ何日も、低気圧と花粉のせいで鼻水が出るし、鼻声。今日も一日中体調とにらめっこ。夕食後にテルミー線を吸入したら落ち着いて、またそこから体調を確かめて確かめて夜中にもりそばを作って生姜たっぷり摺って食べたら絶好調。弾き語りで3曲の録音を終えた。

4月22日
 石原洋『formula』。雑踏のずっと遠くに薄らと聴こえるメロウなバンド・サウンド。ひたすら雑踏の音。ついこのあいだの日常が大きな過去に変質してしまったかのよう。ある意味で予言的な音楽。artworkは坂本慎太郎くんだ。

4月21日
 Amazonプライムを使いこなしている母が2月から朝ドラにハマって『ちりとてちん』『ゲゲゲの女房』『カーネーション』『スカーレット』『なつぞら』を制覇。しかも、その間に映画を観まくっている。楽しくてしょうがないらしい。
 昨夜、10年ほど行方不明だった記念碑的なライヴのCD-Rが部屋の真ん中のテーブルから呆気なく発掘されたのだった。必死にとにかく全てをPTに取り込んだ。力技で朝まで。

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『ギター・マガジン』のアンケートを書くにあたって『玉川裕高withフリーボ』を聴く。超名盤なんだよなぁ。デラックス・エディションとかできないのかなぁ。やばいよなぁ。


4月19日
 草月ホールのマスタリングも完成。結構、我儘にあれこれと要望を言わせてもらった。かなりな時間かけたなぁ。録音とミックスの馬場友美さんとマスタリングの原真人くんに大いにお世話になった。いい音。あとは宮原のデザインが楽しみ。

4月17日
 おふくろの薬をもらいに行く日。病院。

 世界の何処かにひびが入って、裏に隠されていたものが噴き出したと考えてみる。真っ白な壁をみつめてWILCO『Ode to Joy』に震える。状況がある一線を越えた今になってこのレコードが沁み入ってきた。<歓喜の歌>は抑制された金魚鉢に沈もうとしている。だれもいない場所を求めて部屋を歩き回るしかないのだろうか。この変化に終わりはないのだろうか。

4月15日
 おふくろが「今年は桜をちゃんと見てないねぇ」とこぼしていたが、この騒ぎじゃあなかなか出歩くのもねぇ。スケッチブックをめくってて、昨年描いた桜の絵を見つけた。「これ、意外といいねぇ」なんて話をした。

 ビリー・ワイルダー『情婦』の続きを。弁護人役チャールズ・ロートンの唯一の監督作品が 『狩人の夜』なわけだな。『情婦』の畳み掛ける逆転劇、こういうのもっと観たい。

 Norah Jones 「How I Weep」をYouTubeで。一瞬でヒントを得た。 発売延期とはいえ『Pick Me Off The Floor』アナログ盤を予約。

4月14日
 スタンドでガソリン入れただけで、オイル交換、ブラッシング、冷却水とつけ込まれた。いつも世話になってる「工場へ行くからいい」と言えばよかったけど、「こんな真っ黒なオイルみたことないです!」と脅すわけだよね…ちゅうわけで予定外の出費に機嫌悪し。

4月12日
 本来なら今日は渋谷クラブ・クアトロでカーネーションのトリオ公演だった。

4月11日
 全寮制の都立秋川高校時代にやってたフォーク・グループ「麻呂」の相棒、樋口篤史くんからLINEで写真が送られてきた。この顔ぶれだと高3の時だろう。このような崖はたまにかたちを変えて夢に出て来る。彼の記憶だと学校から南、サマーランド方面へ遊びに行った時のものらしい。おれの夢の中に出てくる崖は北、平井川の先、日の出町の方。でも、ここは彼が正しい。あいつの記憶力はすごいから。あと蛇の神社があったなぁ、みんな「へびじん」って呼んでた。

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4月10日
 大林宣彦氏死去。80年代レンタル・ビデオ屋さんでVHSを初めて借りたのが『時をかける少女』で、この間もBSで観て最高だと思った。柳川が舞台の『廃市』は当時、キネカ大森で観た。涙が止まらなくなるのが『あした』だ。おれの心の基盤には大林さんの映画がある。

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テレビ番組『天命ナインティナイン』の<爆音おじさん>は、ぼくのオーディオの師匠である浅川さん。上4つのタンノイのエンクロージャーは2年前におれが住宅地に捨ててあったのを貰って師匠の家へ持って行ったやつ。番組、最高だった。冷静に考えたら、この時の師匠は伊藤沙莉と会ったんだな。いいなぁ。

4月9日
 実家でカレー。出来立てのカレーはうまい。これぞおふくろカレーだ。1973年頃におふくろが喫茶店をはじめた頃は各種コーヒー以外にもカレーや牛丼、フレンチトーストなんかもやってた。土曜日に銀座の中学から店へ行くと人気のカレーをおれの分だけ残しておいてくれた。それが作る量の違いなのか、肉か、鍋のせいなのかわからなかったが、家の時よりルウがさらっとしていて滅法うまかった。コーヒーとカレーの匂いがしたあの小さな店がおれの昭和の記憶を甘くする。もちろん食べ終わったら大井町のハンターへ行くわけだ。

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4月8日
 歯医者へ、3ヶ月点検。ライヴ音源のマスタリングいい音だ。あとは切り出しのみ。

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 ハル・ウィルナーが新型コロナ・ウィルスで亡くなった。尊敬していたプロデューサーだった。彼はぼくの3つ上、ほぼ同世代。

4月4日
 銀座とか渋谷とか都内の主要な町はガラガラかもしれないけれど、近郊の道は渋滞だらけだ。郵便局へ行っても普段とあまり変わらず、ゆうゆう窓口は思ったより人が多い。並ぶ人も間隔を開けてくれない。街のあちこちに老人たちがいて、途方に暮れているのか、少々焦っているようにお見受けする。彼らはこの現状をすべて理解しているわけではないだろう。行政や自治会から丁寧な説明もあっていい。

4月3日
 3日かけて配信用の5曲を録音。うち1日は比較的睡眠もとれたのでいい感じにいけたか。マイクを2本にしたりと色々試行錯誤。朝方に送信。きつかった…。ライヴとは全然別の体力とカンを使う。
 6時間は寝ただろうか。珍しく最近にない深い眠りだった。 起きて水飲んでさて、不足分の小為替を送るために役所に手紙書いて郵便局と思ったが、
急に面倒になった。なにより筆無精というのもある。特に縦書きがヘタなのだ。住所を書くと斜めになる。

 この国がいつまでも緊急事態宣言を出さないのがくやしい。 できるなら全部止めた方がいいだろう。 でも国が出さないうちは市民は気をつけながら生活するしかない。 歩く事は罪ではない。
 デリーのカシミールのソースを2個、塩せんべいと飲み物を4本買った。
そしてドラッグストア、100圴。明日と明後日は完全に自粛しようと思ったが、 さすがにそろそろ何が起こるかわからないし裾直しの終わったデニムの受け取りに行っておく。 弾き語りの緊張が激しく肩こりに繋がったようだ。 珍しくきついし、深夜から左目がぴくぴくと疼く。 そして左の歯や頬が痛くなってきたので、セントジョンズウッドを3錠飲む。
 熱いおでんと日本酒が歯に沁みる。早めに寝よう。 ハラくんから草月ホールのMix0が届いたので聴きながらこれを書いている。 積み上がった新刊本を横目に。

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