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サハラ砂漠、5日間100キロを歩いてみた⑴

9月ごろだったか、日本人の友人が、11月終わりにサハラ砂漠ツアーをするのに「行かない?」と誘ってくれた。
5日間、合計100キロ、ラクダと一緒に砂漠を歩く旅なんだそう。

「行くよ〜!」
と即答したのは、すぐに頭の中、砂漠を歩く自分の靴が見えたから。
それを実際に見てみたい、と思った。

もともと歩くのが大好きだけど、散歩の域を出ない。

サハラ砂漠。それは、チュニジア、リビア、アルジェリア、モロッコ、西サハラ、モーリタニア、マリ、ニジェール、チャド、スーダンと国々をまたいでアフリカ大陸の1/3を占め、アメリカ合衆国とほぼ同じ面積。

私がどんなに想像を逞しくしても、その広大さはおよそ分からない。
私には、その時に目の前に広がる風景だけで精一杯だ。

ま、そんなふうに「今」を見つめることしかできないくらい、砂漠は海のように、空のように、果てしなく続いていた。

私達はチュニジアから砂漠に入った。
100キロ先、ゴールは温泉のあるオアシス!

けれど4日目の夕方に、ついに地平線に緑のオアシスを見つけた時、ちっとも嬉しくなんかなかった。

ああ、もっと歩いていたい。

夢見た、砂漠を歩く自分の、確かな一歩、一歩。
様々に表情を変える砂の国を、まだ歩いていたかった。

5日間の旅といっても、初日はお昼からだったので10キロも歩かなかった。
夕方日没前には必ずテントを張った。
最終日、オアシスまでは思ったより距離がなくて、お昼前に到着した。
だから、間の3日で、たぶん毎日25キロから30キロは歩いたと思う。

ランチ休憩と、夕方野営地に到着した時には、体ごとどっさり、砂の上に倒れ込んだけれど、10分もすれば砂が疲れをとってくれて、元気が出るのが不思議だった。

砂漠は平坦な、乾いた道が続くかと思えば、小さいものから大きいものまで地上を波立たせる砂丘がある。
石でぼこぼこした硬い道など、様々な表情を持っていて驚く。
一般的にサハラ砂漠のイメージとされる砂海(エルグ)は、サハラ砂漠全体の14%しかないらしい。

毎日見る、どんな風景にも、太陽や月があった。

砂の上で調理をし、ラクダとラクダ使いに導かれて安心して歩けるので、私は自分の足だけを確かにして、進んでいけばいい。
それは結構お気楽なことだった。

このサハラ砂漠に一人残されることを考えれば!

ラクダ使いのうちの一人、モスバーは砂漠の真ん中で生まれた。もう一人のナサールは、この仕事を初めて25年、休みの日にさえ、砂漠で家族で過ごすと言う。

彼らにとって、砂漠は庭みたいなもんで迷うことはない。

私たちが近所を歩いて迷うことがないのと同じだよ、と彼らは言う。

でも、このだだっ広い、私には何の目印になるようなものを見つけられない砂漠と、私の近所とはまるで話が違うと、混乱する。

でも、その彼らの庭を、私達は一緒に散歩に連れ出してもらっているのかもしれないな、と歩いているうちに思った。

そう、歩いたのはサハラ砂漠の中の、たった100キロなのだから!

彼らは言う。
「次は12日の予定を取っておいで。
5日じゃ、サハラはわからないよ」

5日間の間、サハラはずっと優しかった。

なだらかな砂丘と、迫力に満ちたエルグを登らせてくれた。
さざ波のような風紋を見せ、すべてのシーンを太陽の光と影で彩った。
夜には大きな月と静寂をして、もてなしてくれた。
疲れれば、
砂で癒してもくれた。
ラクダは灌木の草を食べ、私達はその枯れ木で暖を取り、食事に使った。

チュニジア、
サハラは、もう遠いアフリカのどこかではなくて、
一緒に旅してくれた6頭のラクダや、ラクダ使いのモスバーや、ナサールのいる、そこを思い出せば、私を笑顔にしてくれる場所になった。


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