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夢小説という可能性の世界の話

長々と書き連ねる前に要約します。
私はただ「趣味に貴賎も優劣も無い。人の好きを笑うな」と言っておきたいだけなのです。
ただそれだけのことなんですが、どうにもとりわけこの夢小説というジャンルは他の二次創作に比べると(それを求めるかはさておき)市民権が無く、大なり小なり悲しい思いをする事が多い印象です。
好き嫌いは人それぞれですし、押し付けるつもりは毛頭ありませんが、所謂「黒歴史」として揶揄され卑下される風潮に関してはモヤモヤとした思いを抱いてしまいます。
何故なら、今まさにその嘲笑されている夢小説を楽しみながら書いて読んでいる人たちが大勢いるからです。私も勿論その一人です。
「そういうのもあるよね」と、受け入れずとも存在しているんだと認識するだけに留めて、そっとしておいてくれるだけでいいのです。
夢小説に限らず、趣味なんてものはその程度の距離感でいいと思います。
自分の興味があるものに対して情熱を注ぎ楽しむ。他の人はその対象が自分と異なっている。ただそれだけです。
そこに興味が湧いたのであれば近寄ってみればいいし、合わなければ静かに離れればいいのです。誰も強制などしないのですから。
逆に言うと、その程度の線引きや節度を持って活動出来ないのであれば、せめて黙って与えられるものを受けるだけの楽しみ方にして頂きたいとは思います。

で。
今回なにを書きまとめたくなったかというと、「そもそも夢小説ってなんだ?」の部分が自分の中でも曖昧なんじゃないかな、となったからです。
そこがあやふやなのにモヤモヤしてる自分に疑問が湧き始めたのですが、もしかしてこれって他の人も似た感覚を覚えてたりするのだろうか?なんて考えも過り、いまに至りました。
別にこれが正しいとか言うつもりはまったくありません。備考録にしては語る枠が大き過ぎる気もしますが、あくまで私個人がこう考えてるんだ、以上の意味はありませんが、よろしければお付き合いください。


【私について】
かれこれ15年ほど夢書きをしてます。勿論現役です。きっとこれから先も書き続けるのだろうなぁ、と言う程度には夢書きです。
腐も百合も嗜みとしては通って来ましたが、安住の地は夢だった感じです。
サイトはずっとPC運営なので携帯サイトについては門外漢ではあるのですが、長く夢小説というジャンルに身を浸し続けてるのだということで、ご容赦を。
ちなみに、自分には合わなかっただけで、友人たちで腐ってる人たちは大勢いますが、お互い弁えてるので平和に共生してる。そんな優しい世界で生きてます。


【夢小説とは】
非常に大雑把に言ってしまえば「二次創作の中の一ジャンル」これに尽きると思います。
流石に雑過ぎるのでもう少しだけ枠組みをすると、「原作に存在しないキャラクターが登場する二次創作」であり、更に一歩踏み込むとするならばそこに「そのキャラクターの名前を任意に設定できる」が源流ではないでしょうか。
この源流から今現在に至るまでの時間の中で様々な楽しみ方が生まれ、その過程で所謂「夢小説あるある」のネタに見られるようなイメージが定着していった、というのが大雑把なまとめかと。


【定義付けの難しさ】
前述した通りで言えば、「『オリキャラ有りの二次創作』と『夢小説』が同じ括りになるじゃないか!」ということになります。
そうなんです。これは夢小説の説明が困難な原因の一つです。

ここではLGBTへの配慮などについては一旦考慮外として話を進めますが、BLNLといったCPもの、もしくはオールキャラなどの表記は、二次創作をする上で最も基本的な分類にあたります。
その内容がほのぼのなのかシリアスなのかはたまたR指定かは次の段階の話であって、まず第一に「どのキャラクターが描かれているのか」が示された上で、その性別でもってCP分けがなされるわけです。
この点で「男性キャラAと男性キャラBの話」だと言われて「BLです」と説明されることへの異論は基本的にないものだと思います。
ですが、夢小説の場合はそこに作者である夢書きの脳内にしか存在し得なかったCというキャラクターが登場します。
でははたして「Cとは何者か」について、読み手へ伝えるにはどうすればいいのか。
そこに「オリキャラです」と表記してきたのが夢小説普及前の環境であり、それで通じていたはずです。
私が前述で「原作に登場しない~」という表現でまとめたのはそのためで、夢小説というものが普及する以前に照らし合わせた時に既に類似したものが存在していたわけですから、完全に一致とするのは乱暴ではありますが、少なくとも広義的にまとめてしまうことは可能だと思います。


【オリキャラ有り二次創作と夢小説の違い】
技術は進歩し、時代は変化します。
諸説はありますが、長年このジャンルに居る方なら誰もが知っているであろう「DreamMaker」。あれこそが画期的な「名前変換」というシステムの爆発的な普及に繋がったのは間違いありません。
この「原作に存在しないキャラクター」を登場させ、「そのキャラクターの名前を任意に決定」する土台が整い、且つ「原作キャラとそのキャラクターの恋愛」を描くことを主目的として広まったのが夢小説(ドリーム小説など、呼称はいくつかあります)というジャンルの始まりだったかと。
ここでやんわりとですが、自然と作品内容に対しての定義分けが生まれます。
・夢小説=キャラとの恋愛を主軸にしている
・オリキャラ有り二次創作=キャラとの恋愛が主軸とは限らない

ただし、このような区別化がなされたこと自体はあくまで自然発生的なものであり、いまに至るまで「夢小説とはこんな機能を備えたこういう傾向の作品を指す」と誰にでも適用される基準が定められたわけではないのです。
そのため、原作タイトル別というマクロ単位であっても個人というミクロ単位であっても各々が同一の基準で考えられるものではない、というのが前提にあるジャンルになっているのが現状です。


【夢小説の多様化】
前述のように、そもそもの定義付けをしてないまま普及していった夢小説ですが、人口が増えれば自ずと楽しみ方も増えていきます。ここで夢小説の細分化が進んでいき、夢小説というジャンルの中でも区別化がなされていきました。その中で最も分かり易いのが、主人公の傾向です。
正直この辺になると私もあまり詳しくはないので、ざっくりと分かる範囲でですが、
①自己投影型
②無個性型
③オリキャラ型

位で分類できる気がします。以下、夢主と書きます。(これもまた様々な呼称があると思いますが、私は夢主(ユメシュ)派です)

①自己投影型
キャラクターの名前を任意に変換出来るという性質上、「夢主=自分」という楽しみ方をするのは自然な流れです。
中でも、特にその「自分」が「書き手」を指すものである、という印象でしょうか。

②無個性型
自己投影をするにあたり、読み手が自分を投影出来るように不要な情報を極力排除して夢主を描く、でしょうか。
ここで指す「不要な情報」というのは、夢主の容姿や経歴、性格などの夢主に関するものに限定しておきます。

③オリキャラ型
上記の①②に比べて夢主の設定がより練られ、一人のキャラクターとして存在が確立しているタイプ、でしょうか。
読み手が感情移入をして自己を投影出来るかという点において、別人だと距離を置いてしまうという意味では①と近い面もあります。

①~③について、それぞれ重なる部分もあるので厳密に別物として分けれるわけではないのですが、イメージはこんなところかと。他にも色々とあるでしょうが、私の把握してる限りではこの辺です。
そしてこれら複数の夢主傾向がある中に加えて、作品傾向も多岐に渡ります。
前述のオリキャラ二次創作との違いでも述べたように、明確な定義がないので「夢小説だからといって恋愛ものにこだわる必要はない」というのもまた然りです。(というか、それはどの二次創作においても同じことで、好きなものを好きなように書いて楽しんでいいのですが)
なので、ここに「キャラと恋愛をする」を楽しむものもあれば、「その世界で生活したい」だったり、「あのキャラたちの生活を眺めたい」などの様々な願望が形になって折り重なり、多くのパターンが生まれるのです。
「キャラとの恋愛」を主体としても、自己を置き換えるか俯瞰して楽しむかなどで夢主の性別や人種、種族にも選択肢がいくつも出てきます。
例えば、「Aというキャラに拾われた猫」という設定で夢主を作り作品を書くことだって、書き手がそれを「夢小説です」と言うのなら夢なのです。

とは言え、「夢小説(ドリーム小説)=恋愛もの」というイメージがあるのも事実で、それ故に作品傾向が日常的なものが多く恋愛には至らないな、というものを指して「名前変換小説」と表現したりして区別化を図る動きもあったりします。本当に色々あるんですよ、ええ。
昨今に至ってはPixivの普及などもあり、最早そもそもの基本と思われていた名前変換機能の有無を気にしない風潮の方が強いのかもしれません。
夢主の名前を出さずに書いてみたり、気にせずデフォルト名を出していたり。(それってオリキャラ二次創作では?という問題は、恋愛ものか否かのイメージ先行による住み分けが機能している印象です)

結果として、夢小説と一言で言っても「どういう楽しみ方をするものか」が多種多様になり、それ故にいっしょくたに出来ないところが根深いなと。
ここに文章構築に関する傾向だとかを含めると、もう収拾がつかなくなってくるので割愛してしまいます。ちょっとだけ、次の項目で書きますが。


【何故夢小説が他の二次創作と一線を画し、卑下されるのか】
ここからはこれまで以上に私の独断と偏見です。

「原作に存在しないキャラクターを登場させる」という手法を是とするかは個人差があると思います。二次創作自体が、それを好まない人からすれば理解出来ない世界でしょうし、そういう世界には近付かないのが最善ですから。ただ、それだけでやたらと敬遠されるのは少し疑問で。
まあこれ、早い話が「夢小説=幼稚である」という前提があって卑下されてる傾向があるのではないか、というところに至ってしまった自分がいます。

例えば、某ネコ型ロボットが登場する作品を見て、「あの青狸がここにいてくれたらなぁ」だったり、「あの引き出しから過去の世界に行ってみたいなぁ」という空想は、多くの人が思い描いたことではないでしょうか。
夢小説でやっていることの基本は、ここだと思います。というか、二次創作全般ですが、「もしこんなことになったら」という空想をして楽しむ、ですよね。
子供の頃に無自覚の内に経験してきたものを今になっても楽しんでいること。それを指して幼稚である、とした上で、しかも空想の対象を無邪気な冒険などから恋愛に発展させていることへの嫌悪等。

あと、幼稚さを連想させる一因として、文体の問題もあると思います。
夢小説というジャンルが賑わった際によく引き合いに出されるタイプのものは、
・会話文のみ
・記号類、改行の多用
・ご都合主義の強引でかつ定番の展開

等の傾向があるかと思います。会話文については、前述した自己投影という観点で見た際に削げ落とすべき情報として、夢主の設定以外のものも排除した結果、ということが挙げられます。それ故に低年齢層にも受け入れられたわけですが、故意にそれを狙った技法である可能性、ということを念頭に置くべきでしょう。(勿論、書き手の技量によりますが)
記号類の表記も同様で、地の文ではなく記号表記を選択することで最低限の情報量で伝えようとした結果、だったりもするわけです。
定番の展開に関しては、これは夢小説に限らず、物語を作る上で避けられない問題です。恋愛ものの夢小説の書き手の大半は女性であり、その人たちの理想とするストーリーの原点が同じであれば、ある程度の傾向が似通ってしまうのは必然です。夢小説の鉄板という枠を少し広げれば、実はそれは少女漫画でよく見た展開だった、なんてのは、それこそあるあるではないでしょうか。

これらを幼稚と受け取るのは個々によるでしょうし、実際に中高生の頃に読み手としてだけでなく書き手として楽しんだ、という経験を経ている人も少なくないでしょう。
そこに、過去の自分と現在の成長した自分との比較として、「稚拙であった自分」の典型的な例としての選択肢に夢小説を選択し、「いまはそうではないけれど」と言うことが、本人の自覚の有無に限らず夢小説というものを卑下している結果につながっている気がします。
問題は、「自分はそうではない」と決別した対象が過去の遺物ではないということです。何故なら、今も尚、夢小説というものは存在しているのです。これまで散々語ったように、明確な定義付けがされていない以上、「夢小説」という名称が示す意味の広さと、個人が考えうる「夢小説」とでは指示している範囲があまりにも違うのです。だから、認識の齟齬が生じるし、定期的な学級会が発生するのかなとも。っと、これは余談ですね。

好きなことに幼稚だとか成熟しているだとか、そういう線引きは不要だと思うんですよね。残虐表現や性描写など、ある程度の理解力や判断力を要するものに対して規制を求めるのはありですが、逆は必要なのかな? とは思います。
大事なのは、どんな対象であれそれを楽しんでいる人間が居る以上、徒にそれを卑下する必要はないという最低限を守っていれば誰も傷つかない優しい世界なのに……。なんだかとても脱線してしまいましたが。



最後に。
昔に比べ、個人での情報発信が非常に安易なものになりました。
Twitterをはじめとしたツールの用途も人それぞれです。独り言を言うだけの壁打ち、仲間内で盛り上がる、交流するために、等。
他へ発信する意図が無いという人もいるでしょう。一個人の意見を述べるだけだ、という場合もあるでしょう。
しかし、どのような意図があったにせよ、不特定多数へ向けて自ら何らかの発信をするのであれば、ある程度事前の配慮などをして然るべきだと考えます。
対面で身知らずの通行人相手に話すなんて場面は早々ないですが、ネットでの自主的な発信というのは同様の行為にあたると思います。なので、ネットではこういう発言をするけど対面ではしないな、という違いを生じさせてはいけないのではないでしょうか。「画面越しの向こうには誰かが居るんだ」という前提は、そんなに難しく考えなくても分かることだと思うのです。
限られた情報量が、はたして見知らずの第三者の目にはどのような印象で受け止められるか。今回の件については、この点での配慮が不足していたのではないかと思わずにはいられません。
個人的には、絶対の答えが存在しない問題について、誰が正しいだとか間違っているだとか、そういう論点で語る必要はないと思うので、私はそう感じたのだ、というところで終わりにしたいと思います。

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