スケジュール帳びっちり埋めて死にたい

(死ぬとするなら)。今死にたいわけではないです。焦らなくても最後には死ぬので……

よく、死ぬということについて考えます。バスに揺られている時とか、眠りにつく前とか、テスト前日の夜中とか、レポートを書かなきゃいけないけどやりたくない時とか、理解できない講義の最中とか。生の隙間を、死を思うことで埋めている。

その時たいてい、「どう死ぬか」について考えています。理想の死に方。人生なかなか思うままにはならなくて、だからこそ死ぬ時はすべてを理想通りにしたい という願望。とても理にかなっている。

理想の死に方、といっても、入水は苦しそうだからやだなあとか、飛び降りは案外景色が綺麗かもしれないとかそういうことではないです。そういうことも考えるけど、そうじゃなくて。

描きかけの絵を残そうとか、自宅の窓は開けておこうとか、新しいワンピースを買って、タグはそのままにしておこうとか、そういうことを考えます。

それで、特に思うことは、もしもいつか死ぬと決めたら、スケジュール帳はびっちり埋めておきたい。ということ。死ぬ日の1ヶ月先ぐらいまではびっちりさせたい。美術館に行って、お買い物をして、なんか役に立ちそうな資格を取って。課題の提出期限もきちんとメモしておかなくちゃいけない。

死にそうにない人でいたいです。死にたい時ほど。誰にもわかられたくない。嬉しくて死ぬのも悲しくて死ぬのも教えません。急にいなくなって、3日後には忘れられてしまいたい。

びっちり埋めたスケジュール帳はすぐに燃やしてほしいです。描きかけの絵もおろしたてのワンピースも一緒に。


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