『僕らは最強なんだぜ、さぁ進もうよ姫』〜守りたい、SUEZAWASANの笑顔〜

好きなんですよね、サムシング・ニュー。
メロも歌詞も素敵でさすがあいみょん様っっ!て感じなのでぜひ聞いてみてください。

幸せにするよって甘く囁かれるより、"最後まで援護させてください!"って大きな声で宣言してくれ方が、嬉しい。愛を語る上で、この上なくちょうどよいこの距離感とエネルギーを、いつも忘れたくないなぁと思う。


…本当は推しであるAぇ! groupがデビューを決めた際、そんな先輩グループの素敵なラブソングを引き合いに祝福しよう!とずっと決めて考えていたのだ。私は。


考えていたのだけど。

彼らのデビューが発表されることは、少なくとも今年はもうないんだろう。そんな輝かしい日が、手放しで拍手を送れる瞬間が次はいつ来るのか、もはやわからない。デビュー関係あったかどうかはさておき、バレーW杯のサポーター降板疑惑の記事はいよいよ辛かった。なんだかずしんと、心に何かのしかかった気がする。ネット記事で見た晶哉くんの"悔しいです"発言は、もっとダイレクトにきつかった。YouTubeに"30代デビューでも応援するからね"とコメントがあった。切ない現実が私を襲った。

自身がジャニオタだからこそ、いろんなことを自分の都合の良いように捉えてしまう自覚がある。だからこそ、今批判的なニュースや周りの人の声から逃げちゃいけないと思っている。こんな風潮になっても変わらず推しが大好きだが、社会的な意義や産業的な構造という1番大きな枠組みの問題を無視してまで、オタクと推しの疑似恋愛めいた関係や世界観は成立していいものなんだろうか、と自問自答が止まらない。

そんな中先週のAぇTubeから再開された沖縄旅の模様。先述の記事ではデビュー前の卒業旅行だったのでは?という憶測が記事になっていていやそんなんもうまともな気持ちで見れないじゃん……とか思ってたら予想の遥か上をいくクレイジーな企画が2週続いていた。

いや、もう、
感情ごちゃごちゃよ……!

↑サムネからして躍動感えぐい、そして派手。

カオスな気持ちがぐるぐるバットのようにぐるぐると、そうぐるぐると胸に迫る中で、リチャくんが手にしたフラッグ(?)のように真っ直ぐ心のうちに立つ思いを見つけた。

守りたい、
SUEZAWASANの笑顔…。



彼は相変わらず無邪気によく笑う。
マンネに選んでもらったレインボーのワンピースを着てきゃははと爆笑する姿は、まさに"姫"のよう。しかもサムシング・ニューに出てくるような"最強"の。


今回に限らず末澤くんが時折見せるあまりにピュアな眼差しを見るたび、私は彼に降りかかる苦難を全部無くしてあげたくなる。彼は見るものを過保護な騎士にしてしまう姫なのだ。まじで、"前方100メートル先に小さな石ころが落ちています!!"と本気で報告しそうなくらい。だからこそ今何を見聞きし思うのか、考えるたび何とも言えない気持ちになる。

なのに、彼の笑顔を見ていると、"僕らは最強なんだぜ!" とも思えてくるから不思議なのだ。いろんな痛みや闇の上に立つ純粋さに実はこちら側が守られている、というか。結局私は勝手に彼や彼らの行先を案じ、勝手にへこんでそしてまた彼らに励まされているのだ。情けないやらありがたいやら。

推しを持つみなさんきっと多かれ少なかれそんな思いを持ってはいないだろうか。

なんかこの件であまりセンチメンタルな言い方をしたくはないのだけど、きっとこれが愛の形なのではないかと思って。所属タレントたち、すなわち私の推しは、悪者でも可哀想なだけの存在でもない。彼らの意思でそこに居続け、与えられたステージに立ち、目の前のファンを心配している。私もそんな彼らを心配しつつも、そんな彼らの姿に現在進行形で励まされてもいる。

推しを取り巻く外側の構造、環境を鑑みれば、有識者が "ファンよ、目を覚ませ"ということも理解はできる。できるけど、ファンである自分と推しの関係性の真ん中にはやっぱり変わらず、そういう前向きなエネルギーの愛がばしんっと立っているわけで、だからなんだと言われてもそうなんだよとしか言えない。推しと一緒の明るい未来を想像しちゃあかんのか?

自分の置かれている状況に厳しくならざるを得ないことはあれど、この気持ちはそのまま認めてもいいんじゃないかと、そう思って久々にnoteを開いてみている。

たまには自分のアイデンティティのため、率直に言わせてほしい。

『僕らは最強なんだぜ、
さぁ進もうよ姫!!!!!!』


どこでもいい、なんでもいい、
どうかそのままの君たちで報われてくれ、末澤くんよ、Aぇ! groupよ…!

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