推しに幸せを感じる瞬間、個人的第1位
当方、男性アイドルオタクです。
早速ですが
私が推しがいる幸せを噛み締める瞬間、推しがいて良かったな、と思う瞬間、
それは、
何気ない日常生活の中に、
ふと推しが出現した時。
だ。
先日、毎日のように通る駅から会社に向かう道を歩いていたんです。ぼーってしてたんだか考え事をしてたんだかわからないけど、とにかくせかせか歩いていて。
そんな時ふと、
あれ?
今視界の端に幸せなイメージが見えたぞ…?
脚色なくリアルにこう思いました。
ん?これは…人…男性…
そしてイメージのある方向を見たら、
おっ…推し…!
改札横の小さなコンビニの雑誌棚に(そのコンビニはお店の外に雑誌を置く棚があったので)置いてあった関西Walkerでした。
末澤様、表紙だった。
マスクをしていて良かった。
多分かなりニヤニヤしてしまったから。
(そしてそれまで何に悩んでいたんだか忘れた。)
ちなみにこの間、多分0.5秒くらいなので、
側から見たらただ"コンビニの雑誌棚を二度見した人"でしょう。
それにしても人間の脳ってすごくないですか?
無意識に視界に捉えた光景のうち、
これはきっとあなたに幸せをもたらす情報ですよ!ってまず教えてくれるんですもん。
↓ちなみに昨日見たら同じ場所にまた推しがいました。駅横のファ○リーマートさん最高か。
YouTubeなど推しに触れられるメディアやコンテンツの発達で、いつでも能動的に"推しを見に行ける"時代になった。他に邪魔されない純粋な推しコンテンツを自由に楽しめるようになった。もちろんそれはとても幸せな時間なんだけれど。
生活に(オタクとはいえ生活の中心は今仕事なので)ふと入り込んできてくれる推しは、なんだかそれはそれでとても幸せで、ニヤニヤしてしまう。
そういえば同僚とご飯を食べにいって店内でかかる推しの曲も、朝のニュースやCMで突然見かける推しの姿も、コンビニで見かける推しコラボのPOPも、ふと聞こえる/見かけるからこそ嬉しい。
コンビニの前を通る人たちのうち、何人が推しのことを知ってくれているだろう、と想像してやきもきする気持ちが生まれるからだろうか。私の推しを見てよ!と世界に言いたい衝動に駆られ、誇りに思うからだろうか。
それとももっと問答無用でシンプルに、
推し=幸せ!という瞬間的なポジティブイメージを心に投げ込んでくれるからだろうか。
うん、多分、そうだな。
推しが日常生活にふと登場することが嬉しい。
直接話をすること、認知されること、握手をしたりサインをもらったりすること。
それに比べたら本当になんでもないようなことだけど、私にとってはそれが何より幸せだし、そして何より推しに感謝するべきことだろうなと思う。
いつもクリーンなイメージでいてくれて、たとえ心から思ってもないことでも笑顔で全力で演技して見せてくれるからこそ、企業やメディアとタイアップ起用される。
素晴らしいコンテンツを継続的にアウトプットしてくれるからこそ、ヒットチャートに乗ってお店で曲をかけてもらえる。
こうした一つ一つの彼らの活動があって、推しは日常生活のあれこれに紛れ込み、私はふと彼らに出会うことができるから。
たとえ彼らのオウンドコンテンツを開けない、忙しい荒んだ日々があったとしても、推しが無意識に私の生活に入り込んで、幸せのイメージを投げ込んでくれる余地がある。
そして、それがアイドル=偶像として人に幸せを与える活動の本質のひとつなんだとも思った。
今日もありがとう、推し。
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