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希死念慮とお友達になった3ヶ月間

去年の4月から新社会人として働き始めた。
親と同じ職業であるため、しんどさは分かってはいるつもりだったが、実際に体験してみると終わりのない日々でしんどかった。

仕事して家に帰ってリフレッシュをしようとしても仕事のことを考えてしまって不安と焦りと恐怖に襲われた。

そして同期も1人ずつ辞めていく。


11月ごろには普段できていたこともできなくなったため仕事量を減らしてもらった。


それでも不安や焦り、恐怖に襲われ、12月上旬には、ささいなきっかけで仕事中に涙が止まらなくなった。この先長くはないなと思った。
このころから希死念慮を持ち始めていた。

しかし、このことは友達にも家族にも誰にも言えなかった。
特に母には何があっても言えなかった。



母方の祖母が一度、
『死にたい』
と私の母に相談したことがある。



その時に私の母は

「生きたいと思ってても生きれない人がこの世の中にはいるんやから絶対そんなこと口が裂けても言ったらあかん。二度と私の前でその言葉を口にしないで」
と叱責した。

その言葉が脳裏に焼き付いている。
母も関西人で関西弁を話すので、実際はもっと口調がきつかったため余計に忘れられない。


そんなことがあったため、私は、口が裂けても死にたい気持ちがあることを母に言えなかった。

だから有言実行ならぬ  "無言実行"  しようかなと思った。





貰っている睡眠薬を全部一気に飲んだらいいかな、
片道分の切符代だけ持って遠いところに失踪しようか、
銀行で人質になって包丁で刺されないかな
右からくる車が歩道に乗り上げて私を轢かないかな、
飛び降りるのは失敗すると植物状態になるから確実性が足りないな、
私が契約してるファンクラブとかサブスクの情報まとめておこう。
部屋も片付けて、大切なものもまとめておこう。


そしてそれを実行する前に会いたい人に会っておきたい。
そう思った。


12月中旬、私はそれを実行するために人生で初めて1人で遠征した。



話は変わり、12月末のとある日、通勤に使用する電車が人身事故で遅延した。
出勤時間には間に合った。
その日の午前9時ごろの職場での上司のセリフには本当に驚かされた。

「なんでこんな年末の忙しい時に自殺しようとするかなあ。自殺しようとする人の気持ちが分からへん。年あけるまでもうちょっとやん。」

年が明けたら死にたい思いが消えると思っているのか???

しかもそのセリフを発した人は新人への指導がとても厳しい人で、その人が苦手でやめる新人が続出している。

あなたの口からそのセリフを聞きたくなかった。



そして1月のある日、私のメンタルが悲鳴を上げた。
仕事が始まる前に、手が震え、呼吸がいつも通りにできなくなり、動悸が止まらなくなった。
上司に助けを求めてその日は早退した。
その日から私は休職することになった。


休職中も正直しんどかった。
薬の副作用は幸いほとんどなかったが、平日に家で休んでいる状態も苦痛だった。

今頃他の人は仕事してる。
そんな中私は家で休んでいる。
なんでこんなに私はメンタルが弱いんだろう。
なんで仕事ができないんだろう。
生きてる意味ないな。




ここまでが3ヶ月間休職してたときに書いたnote。
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ここからが復職したあとに書いているnote。


働く場所を変えました。



死にたいとは思わなくなりました。


そして、人見知りのくせに
人と話してる時間が楽しいってことに気が付きました。


最近は話したいと思った人とよく遊ぶようにしてます。


でも最初からエンジン全開で行くと絶対にガス欠するので低電力モードで行きます

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