サウナでは整うのに、どうして夏の外気と冷房では整わないんだろう。

なんとなーく思ってたことを言葉にしてみる。

『整う』という言葉が流行りはじめて少し経つ。

小学生のころから「自律神経の乱れ」とやらにはずーーっと悩まされていて、自律神経失調症と言われたこともあるし、起立性低血圧だとかも言われたことがある。

私自身医療職としてもちろん自律神経のことも学んだんだけれど、結局そのコントロールをどう日常生活に落とし込めば体のつらさが改善していくのかはよくわからないままだ。
自律神経のコントロールを謳う書籍たちには呪いのように同じ言葉が連ねられている。

ストレスを減らせ。
朝日を浴びろ。
規則正しい生活をしろ。
適度な運動を。
カフェインは摂りすぎないように。

やってんだよ!!と100デシベルくらいのクソデカボイスでみんなの耳がキーンてなるくらい叫びたい。

体はだるいし微熱は出るし、頭痛かったりお腹痛かったりが日常茶飯事なのだ。人混みを歩いた日にはもう晩ご飯も喉を通らないほど疲れて寝込む体なのだ。

夏の外気温と冷房の寒暖差で、サウナのようにわたしの自律神経が整ってくれないかと何度も願ったけれど、そんなに甘くないようで今日もわたしの自律神経は狂想曲を踊りまくっていて家から出られない。

どうにかしたくて病院に駆け込んだって血液検査も肺機能も心機能も何にも問題なく、データ上は「異常なし」。

いつもこの、データ上で異常がないとされたときに医療機関でできることがなさすぎて、途方にくれていた。

異常がない=健康だ

というわけではないのに。

西洋医学でできることって限られている、といつも思ってしまう。

またどうしてもつらくなったらきてね、

そんなふうに仕方なく処方された漢方を持って帰るさみしさたるや。

誰もが日常のちょっとした不調は感じたことがあるんじゃないだろうか。
でも病院行っても何にもないねって言われるだけだろうし。そんなふうに思う心が「予防する」というものからわたしたちを遠ざけている気がする。

病院で働いてる時に、何度も病気になる前に出会えたらこんなにならなかったのにと思うことがたくさんあった。

でも最近は病院が、何かあってから来るように仕向けてんだよなぁと思うようになった。

病気になった人には病院があるけれど
病気じゃないから頑張ってる人に、この世はあまりにも厳しいなと思う。

りゅうちぇるさんのニュースが世の中を賑わしているけれど、後になって勇気のある人だ頑張ってたとかって讃えるなら、最初から言ってくれよと思っちゃう。

もがいている人にはなんか厳しいよね。
そういう人が報われるための世の中になるために、私に何かできることはないのかな。

脳汁が沸騰しそうなほどに暑いこの夏。どうか頑張りすぎないで、しんどかったらみんなも休んでほしいな。

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