神野直彦氏の都市論について

自分が管理するFacebookの都市論のグループとXのタイムラインに次のような文章を投下したのでnoteにも投稿してみます。

神野直彦氏の論考、「ポスト工業化時代の都市ガバナンス」岩波講座 都市の再生を考える2、神野直彦編著『都市のガバナンス』(岩波書店、2005年6月)、に関して管理者の考えを簡単にまとめます。 時代背景的なことを考えると、2005年6月に出されたものですので、1990年代末から2000年代前半の日本の治安の悪さや経済状態の悪さが前提になっていたと思われます。神野氏は、それに対して、自発的共同性を置き、その理想をスウェーデンに見出しました。ただ、スウェーデンに関しては、競争政策や職業教育の厳しさやあるいは国内での移民をめぐる軋轢が強く現れた事情も存在することを忘れてはいけないと思います。

また、都市論自体としては、神野氏は、20世紀の工業化された都市を、それより前の都市とそれ以後の都市を意識したうえで課題として論じていました。これに関しては、中世以前の徒弟制と同業者組合に基づく職人界と農林漁業界が支えていた都市と、工業化された近代の都市を対比していたと言える面があるでしょう。そして、工業化された都市と21世紀以降の情報化され知識階級の創造性がものを言うと考えられる現代の都市も対比されていました。

近代の都市は、産業に市民が従事するがゆえに、自分たちが自分たち自身の生活で利用するために生産活動を行うわけではないため、国民国家に市民生活自体の欠乏を補うように頼るがゆえに、国家からの給付に依存し、自律性自体はあまりないとされていました。それに比べると、現代における都市は、能動性や自主性を持つ市民が、ある意味では古代や中世の都市と同様に、共同性を再興して自治を行うことが期待されていました。

翻って今からそうした神野氏の論を見るとどうでしょうか。実際のところ、日本においては、都市や自治体の首長に期待をし過ぎる傾向はあると思います。実際、神野氏が打ち出す自発的共同性も、スウェーデンにおいては市民の間で草の根的な動きが出て初めてではあっても、やはり国家が援助するものであることが指摘されていました。それ故、完全に市民自身が国や自治体を頼らずに自主的に団体やネットワークを作って自治を包括的に行うことは難しかったと思われます。

以上を考慮すると、市民一人ひとりが統治に参加していることを自覚して意識するのが大事でしょう。個人的には、製造業も知識産業も第一次産業も全て重要だと考えた上で、総体的に考える必要があると思われます。そのうえで、物事を考える際に倫理道徳あるいは公共性、学知、あるいは直観を重視して行動するのが良いでしょう。精神論的なまとめになりましたが、多分、神野氏はかなり情熱的な人だということが文章から伝わってきますので、大丈夫でしょう。 とりあえずは以上です。

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