夢見の日記 その3

 これは最近見た夢ってわけではないのだけど、夢を記憶する事にしてから起きている現象なのかもしれない。

 そして、それはとても胡蝶の夢のような雰囲気のあることなのだ。

 いくつかの状況説明が必要になる。

 それは、私の母は、私が小学生のころにガンで亡くなっている事。そして、最初のガンから再発までの間に引っ越している事。

 さらには、母親が教育ママで、今思うと癇癪持ちだったように思います。

 勉強優先で、何より怒られないようにしていた事は確かです。

 結果、母親が亡くなってからは、中学で、不登校になり、勉強も放棄。

 なまじ基礎学力がそこそこあったので、落ちこぼれきれずに。

 進路では専門学校へ行きたいとの話を親とするも、平行線で、結局、父の望むように大学受験をするも二浪する事に。

 それでもやりたいことをしたらよかったのですが、そのころには専門学校へ行くという心はぽっきり。  

 これらの条件があってみる夢に影響が出ていると思うのです。

 では、夢の話を。

 高校生や大学生の頃にある夢を見ます。

 それは、実は母親が生きていたというたぐいの夢。

 この夢がハッピーなものと想像した方は、幸せな方です。

 私には恐怖でしかなく、悪夢そのものでした。

 勉強も放棄して中途半端な気持ちしか持ち合わせていない現状の自分は、母親と死別したころとは別人。

 そうなると、母親が怒り、幾度が怒鳴り散らされ、殴られたトラウマともいえる記憶がよみがえります。

 なんで、生きているんだ。

 僕をそんなに苦しめたいのかというような不の感情が夢の中に広がるのです。

 この手の夢は幾度となく見るのですが、決して母親と自分自身が対面する事はありません。

 当然と言えば当然なのですが。

 そして、この夢を繰り返すうちに、次に見る夢は、父親が引っ越した今の家の他に家を買っていたという夢です。

 この家は夢を記憶する癖をつけたからか、幾度となく夢にほぼ同じ間取りで出てくることになります。

 そして、時にこの家に、実は生きていた設定の母親が住んでいたり、帰ってくるのを待つなどの夢を見る事になります。

 先日もこの家を舞台にした夢を見たために思いだし、書いてみようと思ったわけです。

 これらの夢において、不思議だと思っていたのは、母親が息長られている要因が共通であったり、家の外観や間取りがだいたい同じだったりする事。

 しかし、実際の夢の中では、たびたび出てきているために、ああ、この家は父が密かに買っていた家だとか、母親は実は生きていたのだからいるのは当然と、まったく疑問に思わないのです。

 これは、夢の中の出来事が、海馬のどこかに記憶されているという事なのかもしれません。

 思うに人の脳みそは良くできており、これらの情報が日頃の生活であふれださないように、海馬の奥底へと沈めているのだから。

 これらの情報が夢の記憶としてではなく、今の記憶へと溢れだし、混在するようになったら?

 もう、現実なんてものはあやふやなものになってしまうだろう。

 他人が、それは違う。現実ではないと訴えても、当人には現実の記憶か夢の記憶か判断できないのなら、それを現実と認識しても仕方がない。

 今の僕は幸いにも母親が生きているとも思っていないし、他に家があるとも思っていない。

 ただ、夢の中の僕は、実は母親が生きているかもしれない可能性の世界に生きており、父親が、別の家を買っているかもしれない可能性の世界にも生きている。

 その両方の混在する世界もあり得る。

 他にもなにか、夢の世界があるのかもしれない。まだ海馬の奥底に沈んでいて、認識できていないだけで。

 

 

 

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