少し横道へ

マヤ暦との出会いの途中までしか書いていませんが、ここで少し横道へ。

私がマヤ暦に導かれた意味。

先日、そう思える出来事がありましたので、先にそれについて書きます。

「因果応報」

2020年4月4日、マヤ暦でいう「白い世界の橋渡し」のエネルギーが流れていた日。

朝、母からLINEが届きました。

36年前に離別した父が大腸癌であること、痛みが酷くて、安楽死させてくれと先生方に言っていること、子供達の声が聞きたいと言っていること。

今まで一切連絡のなかった、遠く離れた所に住む父のこと。

母はそのことを父の姉から聞いたようです。

今、コロナウイルスが流行ってる中、離れている父のことろへは、たとえ行きたくてもいけない。

仮に行けたとしても、父の入院している病院側が面会を断っている(コロナウイルス感染拡大予防として)

私は母に「因果応報だよね。」と言いました。

実は、父は自分の両親(私の祖父母)の葬儀に来ていません。

葬儀どころか、顔すら出しませんでした。

父の兄弟は姉3人、妹1人、父。父が唯一の男。

それはそれは大切に育てられたと思います。

祖父は穏やかな性格で、怒ったところを見た事がありません。
祖母は私に似て気の強いところがありますが、父と母が離別してからも、私たちのところに顔を出したり、当時生まれたばかりの私の妹の面倒をよくみてくれていました。

そして、とても仲の良い祖父母でした。

そんな祖父母に育てられた父は、定職につかず仕事は長続きしない。麻雀、パチンコ三昧。お酒は飲みませんでしたが、タバコは吸っていました。お金がなくなると祖父母のところへ。

私たち子供に対しては、厳しかった記憶と今でいう虐待。私たち子供の鼻と口を塞ぎ。苦しんでいるところを見て笑っている。

そんな父でしたから、結局私が小6の時に母と離婚。妹はその時、母のお腹の中でした。

父に対して、いい記憶は一つもありません。

それでも父を知らない妹は、子供の頃、父と写っている自分のいない家族写真を見て、羨ましくて泣いていたそうです。

それを初めて聞いたのは、父の今の状態を聞いた夜。

私は妹に言いました。

「その写真の私は笑っていなかったでしょ。」
「楽しかった思い出は何一つもない。」

父の事。父と私たち(弟がいます)の関係を知った妹は、自分が思っていたことと全く違っていた事実に涙が出ると言いました。

そんな父でしたから、祖母と同じ大腸癌で苦しんでいると知った時、私が母に言った言葉は

「因果応報だよね。」でした。









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