批評再生塾観光記ー渡部直己ー「描写という不自由への挑戦、そして先に」

 仕事の終わりが押したので、ゲンロンカフェにたどり着いたのは20時ぐらい。なのですでに講義が始まっていました。壇上には佐々木敦さんの姿はなく、渡部直己さんだけがいるのみ。渡部さんはマイクを手に持ち、椅子に体を預けるように斜めに寄っ掛かりながら、内面と外面の二つの風景の描写から小説の自由というものを語っていました。まずは内面の風景の描写について。それは第一人称の主人公の主観的に描いたもので、そこに描かれたものは時間的にも空間的にも自由なもの。だからなんだって書けてしまう。実際は1秒の出来事を10ページに渡って書いたって問題ないし、たった1行の記述で300年経っていたって問題ない。次に外面の風景の描写について。それは主人公がいる空間を客観的に描くことで、作中で流れる1秒は1秒でしかない。またその人物がいる空間も作中でのリアリティがなければならない。それなのに詳細に描写すれば冗長になるだけになってしまい、陳腐化していってしまう。制約が多く、とても不自由なのです。そしてその不自由さに森鴎外、夏目漱石、泉鏡花たち作家がどのように挑戦してきたのかを語りました。
「小説の自由とは、その不自由さからの打破である」
その不自由さに挑戦するからこそ創造的なものとなるのです。

 渡部さんは、時には手を振り、時には身を乗り出し、時には私たちの目をのぞき込んで小説の自由について熱く語りました。そこには創造的であろうとした作家たちへの敬意と深い愛情があるようでした。今までゲンロンカフェで語っていた彼は、価値観をしっかりと持ち、そこから外れる物に対して強い言葉で批評する姿がとても印象的。今回もその姿は現れているのですが、それ以上に好きなものに対して穏やかに語る姿がとても印象的でした。彼は小説に対する愛が深いからこそ厳しいのだというのが、ようやく分かりました。蜷川幸雄が演劇を愛するあまりに厳しかったというのと同じようなものなのかもしれません。
 そして渡部さんはその厳しさを自らにも課しています。彼が取り組む「テマティスム」とは文章に書かれていることを分析して客観的に論じていくもの。つまり自分の主観で論を飛躍することをせず、書かれている文章を描写するものであるといえるでしょう。それは不自由さに挑戦し、創造的なものを生み出そうとした夏目漱石や森鴎外、泉鏡花などと同じ立場です。つまり渡部さんは文章という外的な風景を描写して何かを創造しようとしている。それは批評家もまた創造的な存在であり、作家と同じ平面に立つ存在であると宣言しているのではないかと思うのです。その上で批評家とはなにか、それは渡部さんの話を要約するとこのような言葉になりそうです。
「批評家とは共犯者であり、簒奪者である」
文書に書かれていることに注目し、作家が出てきていることを暴き出す視点が共犯者。そして別の意味づけを与え、作家ができていないことを暴き出す視点が簒奪者です。この視点は佐々木敦さんが言う
「作家が作品をすべて理解しているわけではない。そこに批評家が介入する余地がある」
と同じことなのではないかと思います。でもこれ、その作品に対して作家はどの程度理解をしているのかを批評家は判断しているということでもあります。「テマティスム」も何が行われているかやそれがなんであるのかを描き出した上で、作家自身を描き出してしまうのです。そしてそのように判断し、その姿勢から批評家自身のも描き出されてしまうのです。ああ誤解していたよ、「テマティスム」。作品を採点しているようで性に合わないなぁと思っていました。でもその行為が作品を制作した作家を、そしてその姿勢が作品を評する批評家を表すものかもしれないなと渡部さんの講義を聴いて思いました。うん、じゃあ、描写の練習をしてみよう。講評で登壇者がなぜケーキを食べていたのか、それは講義と講評の間の休み時間に理由があります。それがなんなのかを想像するのもとても楽しいのですが、その昼休みの状況を描写してみようかと。

 7月8日は佐々木敦さんの誕生日。なので渡部直己さんの回の時にお祝いしようということになりました。批評再生塾の塾生が参加するLINEには吉田雅史さんにラップを歌ってもらおうとか、色んな案があがっていきましたが、最終的には休み時間になったらハッピーバースデーの歌を歌ってケーキを渡すという段取りに決まりました。
渡部さんの講義の途中、私が分からない言葉を調べていると「休み時間に歌い出すのはちょっと待って」というメッセージがLINEに届きました。でも、講義中に送られてきたメッセージを全員が受け取ることなんて難しい。なので休み時間になるとハッピーバースデーと歌い出す人も現れました。それを急いで辞めさせるなど色々ゴタゴタが起きていたけれど、佐々木さんは気にせずそのまま外に出て行きました。
ゲンロンカフェにいる人々にクラッカーが配られ、ケーキが用意され、段取りが説明されると、佐々木さんが部屋に入ってきました。
「ハッピーバースデー」
歌とクラッカーの音が鳴り響き、会場内に火薬の燃えたにおいがしました。佐々木さんはケーキを受け取ると
「知ってました」
とにこにこしながら言いました。ケーキはその後当分に切り分けられ、佐々木さんと渡部さん、そして登壇者に配られました。

 うん、冗長だ。佐々木さんは嬉しそうだとか、会場内は佐々木さんを祝う気持ちで一つになりましたとか書きたくなりますね。描写だけに想いを描き込むのは難しいとは思っていた。けれど、意識して描写してみたら想像以上に難しい。描写に挑戦する人々に尊敬の念を抱かざるを得ません。

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