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仕事に忙殺される社会人を見て思うこと

こんにちは、ベーシストのどーのです。

今日は
①IT会社の業務系エンジニア
②ベーシストおじさん
③とある家族の父
の3つの顔を持つ自分が近年思い悩んでいることについてまとめてみます。


まず、はじめに自分の考えについて述べてみることにします。

「自分の人生は自分が楽しむためにある」

これが近年の考えです。当たり前のことを言っているのだけれど、その一方で日常生活を忙しく送っているとこの当たり前のことがボヤけてしまうことが多々あります。

なので必要以上に意識するように心がけています。


この考えを中心に据えて先ほどの3つの顔について再度考えてみます。


ここから下のメインコンテンツは僕の考えをだーっと書き記すのでいつも以上の散文になることが予想されます。お付き合い頂ける方、ありがとうございます。
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②ベーシストおじさん
この役割が一番シンプルだと思う。音楽を通じて色々な人と交流を図り自分の欲求を満たす。今の自分にとってはこの役割が非常に重要であり、この活動をなくして今の自分は無いと断言できる。

現状ではこの活動にかなりの時間や体力を割いているのでぶっちゃけ非常にしんどいし疲れる。しかしながらその一方で自分の行動で他人に楽しんで貰えたり、より楽しめるステージに導いてあげることが出来るので充足感も半端ない。

そう考えるとベーシストとしての自分は紛れもなく自分の人生を豊かにするために存在している。


③とある家族の父
次に分かりやすいのはこの役割。
いまの私は妻ひとり子ひとりの父親である。妻は専業主婦なので家計は私の働き次第で良くも悪くもなる。1馬力で自分を含めて3人を食べさせる…これはなかなかに大変。

やはり家族を持つということは金銭面以外にも大変なことがたくさんあるわけで、自分の予定を諦めたり家族との時間を確保するために無茶なスケジュールを組まざるを得ないことも日常茶飯事である。

と、負の面に目を向けてみたが実際はそんなものじゃない。
今となっては私の人生において妻や子がいない生活は考えられないし、家族が居ることで想像していた以上のしなかった幸せばかりだ。

とりわけ妻と出会えたことは最高の偶然だと感じている。私の無茶苦茶なスケジュールのせいで負担を強いているにも関わらず一緒にいてくれる妻には感謝しかない。

というわけで、やはり家族も自分の人生をより楽しむために存在する。


①IT会社の業務系エンジニア
さて、もちろんこの投稿で一番言いたいことはこの役割である。
前提として仕事に対して喜びやスキルをはじめとした金銭以外の経験などの価値を感じることが出来る場合はここからの話には当てはまらない。

自分の人生の1/3の役割である仕事。そこに対してかかる負担が大きすぎるのではないだろうか。

前述のとおり、私はIT企業でエンジニアとして勤めている。こうしたエンジニアはよく話で聞くように残業が多い。かつては私も月平日20日の間に150時間の残業をしていた時期もある。

Twitterで私の勤務状況を見ている人はご存じかもしれないが、今は色々な理由があって残業はほとんどしていない。正直ずーっとこうありたいものだ。

その一方で同僚や先輩を見ると仕事に追われている様子が見られる。毎日22~23時に帰宅している人や、土日返上で出勤している人。一日中ピリピリと追い詰められている人。この業界ではまったく珍しくない。


でははたして彼らにとってそこから得るものは何だろうか。一部の人はそこに至上の喜びを感じて働いているのだろう。また他の人はこの仕事から得られるスキルに価値を置いて耐え忍んでいるのだろう。

だが多くの人はお金のために働いているのではないか。かくいう私もその一人である。
私の勤める会社は正直巨大ではないがそこそこに大きい。そして安定もしている。会社の立ち位置としては社会的に悪い方ではないだろう。

それでもその給料が絶対的に多いかというとそうでもない。時代のせいなのかなんなのか。このあたりに触れるとよく分からず嫌になるので思考停止することで身を守る。

仮に平社員が毎日22-23時まで残業したり休日出勤をしたところでとてもじゃないが年収1,000万円には届かないだろう。それが、600なのか800なのか900なのかはその人の単価にもよるだろうが、きっと1,000万には届かない。


私は「その程度の金額に他の喜びを抑圧して生きる価値があるのか」と常々疑問に思っている。もちろん得られる金額自体は大きいものではあるが。

そんな生活をするのであれば月々残業なく程々に会社勤めをして稼ぎながら、個のスキルを磨いて別口の収入を作る方が人生における幸福度は高くなるのではないだろうか。なんとなく時代としてもそういう流れにあるのではないかと感じる。

しかし、個人で収入を作りあげるためには色々なことに頭を働かせて他人に価値を提供できる人物である必要がある。ある意味では金銭なんて結果であってそこを考えるのはその後だ。


だから、まず私は「他人に価値を提供出来る人間」でありたい。そうなることに喜びを見いだせるのはこれまでの経験からも間違いない。そして、そうした人物に出会っていきたいし、そういう人が周りに増えると嬉しく思う。

そうなるためにもっと一生懸命に生きていたい。

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最近仕事に忙殺されている人を見ていると思います。仕方ないのは分かるけれど、それで幸せなんですか?

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