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木村草太教授 2024年5月7日参議院法務委員会(民法改正の参考人聴取)

本日行われました木村草太教授の参考人聴取を文字起こししました。

木村教授
私の専攻は憲法学です。私は、子どもの権利と家庭内アビューズの被害者の権利の観点から、共同親権の問題を研究しています。現在審議中の民法改正案には、非合意強制型の共同親権が含まれています。この点について意見を述べます。
共同親権の話をすると、「別居親が子に会う・会わない」の話を始める人がいます。しかし、これから議論する親権とは、子どもの医療や教育、引っ越しなどの決定権のことであり、面会交流とは別の制度です。面会交流と混同せずに、話を聞いてください。
また、これまで説明されてきた離婚後共同親権のメリットは、父母が前向きに話し合える関係にある場合、つまり、合意型共同親権のメリットです。非合意強制型のメリットではありません。合意型と非合意強制型は全く別の制度ですから、両者を分けて議論してください。

民法改正法案819条7項は、父母の一方あるいは双方が共同親権を拒否しても、裁判所が強制的に共同親権を命じ得る内容です。衆議院では、合意がある場合に限定する修正案が検討されました。しかし衆議院多数派は非合意強制型が必要だと譲りませんでした。この法案には、あまりにも多くの問題があります。

第一に、父母の一方が共同親権に合意しない場合とは、現に、父母に協力関係がなく、話し合いができない場合です。こうした父母に共同親権を命じれば、子どもの医療や教育の決定が停滞します。つまり、非合意強制型の共同親権は、子どもから適時の決定を得る利益を奪います

第二に、法務省は、法案824条の2第1項によって、共同親権下でも、日常行為・急迫の場合であれば、父母がそれぞれ単独で親権を行使できるから、適時の決定ができる、と説明してきました。
しかし、この条文によれば、学校のプールや修学旅行、病院でのワクチン接種や手術の予約などの決定を、いつでももう一方の父母がキャンセルできます。結果、いつまでも最終決定できない状態が生まれます。
病院や学校は、どちらの要求を拒否しても損害賠償を受ける危険にさらされます。条文の狙いとは裏腹に、病院や学校がトラブル回避のため、日常行為についても一律に父母双方のサインを要求するようになる可能性もあるでしょう。

この問題は、日常行為・急迫の決定について優先する側を指定しない限り解決しません。ところが、この問題を指摘された法務省の回答は、「こうすれば解決できる」ではありませんでした。驚くべきことに、その問題は「婚姻中の父母について現行法の下でも生じ得ます」と答えたのです。
私はこの回答を聞いた時、耳を疑いました。婚姻中にも問題が生じているなら、婚姻中の問題を解決する手段を作るべきです。離婚する人の中には、子どもを巡る決定への困難が、離婚原因となっている人もいます。離婚をしてもなお、同じ問題が継続するような、場合によっては、より悪化するような制度を作るのは、言語道断です。
そもそも、婚姻は、非合意で強制される関係ではありません合意に基づく、父母の強い信頼と協力があってこそ成立する関係です。原因は様々あれど、信頼や協力が失われた場合に離婚するのです。法務省は、婚姻中でも起こりうる問題だから、離婚後にそれが継続してもいいと、本気で考えているのでしょうか

第三に、法務省は、法案817条の12第2項に、父母の互いの人格尊重協力義務が定められているから、適時の決定を邪魔する共同親権の行使はできないと言い続けています。しかし、義務違反があったとき、誰が、どうやって、どのくらいの時間で是正するのでしょうか
法務省は、相互尊重義務違反の場合、何時間・何日以内に是正されるのかを説明していません。その是正の際には、弁護士に依頼するなど、経済的コストも大きな負担となることでしょう。子どもの適時の決定を得る利益に興味がないと評価せざるを得ません
実は、政府自身、過去に、安倍首相や山下法務大臣の国会答弁で、離婚後共同親権には、子が適時・適切な決定を得られなくなる危険があると指摘してきました。今回の法案の非合意強制型の共同親権には、政府自身が指摘してきた課題すらクリアできていないという問題があります

第四に、法案819条7項は、共同親権を強制した方が子どもの利益になる場合とは、どのような場合なのかを全く規定していません。「適時・適切な決定のための信頼・協力関係がある場合」という文言すらありません。これでは、裁判所が、法律から指針を得られはずがありません。場合によっては、適時の決定ができなくなるケースで共同親権を命じかねないでしょう。
法務省は法制審議会で、共同親権を強制すべき具体例が挙がったと主張しています。しかし、法制審議会で挙げられた具体例は、小粥太郎委員が示した「別居親が子育てに無関心な場合」と、佐野みゆき幹事が示した「同居親に親権行使に支障をきたすほどの精神疾患がある場合」だけです。

無関心親に共同親権をもたせる小粥ケースが、なぜ子どもの利益になるでしょうか。日々、子育てに奮闘しているであろう一方の親に、無関心親との調整という、著しい負担を課すことになるだけです。
また、親権行使に支障をきたすほどの病がある佐野ケースなら、もう一方の親の単独親権とするのが適切でしょう。さらに、佐野幹事の発言の中には、今回の参議院法務委員会でも話題となった、精神疾患の方への差別が表れているようにも感じます
法制審議会の非合意強制型の共同親権の議論は、極めて粗雑です。もう一度、離婚家庭の現実を適切に理解している専門家を交えて、審議会をやりなおすべきでしょう
理論的に考えても、同居親に親権を奪うほどの問題がなく、かつ、話し合いは無理と判断して共同親権を拒否している場合に、別居親との話し合いを強制することは、問題のない同居親に無意味にストレスを与え、子どものために使えるはずの時間と気力を奪う結果になるはずです。

第五に、法務省は、DV・虐待ケースは除外する条文になっていると言い続けています。しかし、法案819条7項の条文は、将来のDV・虐待の「おそれ」がある場合を除外するだけです。過去にDV・虐待があったことが明白で、被害者がその事実に恐怖を感じ、あるいは許せないという気持ちで共同親権に合意しない場合でも、「もう止まった」・「反省している」と認定されれば、共同親権をなり得る内容です。

実際、同じような内容を持つアメリカのNY州には、父が15歳だった母に不同意性交の罪を働いた事案で、母側が拒否しているのに、「もう反省している」という理由で共同親権を命じた例があります
今回の法案の条文でも、夫婦間の殺人未遂や子どもへの性虐待があり、それを理由に共同親権を拒否している場合ですら、裁判所が反省や加害行為の停止を認めれば共同親権を命じ得る内容です。そうしたくないなら、はっきりと、過去にDV・虐待があった場合は、被害者の同意がない限り、絶対に共同親権にしてはいけないと書くべきでしょう。
相手の反省を受け入れるかどうかを判断できるのは被害者だけです。その人が、話し合いや共同行為の相手として安心できるかを判断できるのかもその人だけです。
しかし、今回の法案では、被害者が自分の意思で共同親権を拒否できないのです。だから、被害者たちは恐怖を感じているのです。
DV・虐待を巡っては、家庭内のことで証拠の確保が困難であること、当人が多大な苦痛を感じていても、第三者の理解を得られにくいことなどから、DV・虐待の認定そのものが困難であるという深刻な問題もあります。
今回の法案は、DV・虐待を軽視し、被害者を置き去りにするものです。

以上が、非合意強制型の共同親権を廃案にすべき理由です。
その他にも、今回の法案には、「DVや虐待を主張すること自体が、相互の人格尊重義務違反として扱われる危険」、「被害者やその代理人・支援者への嫌がらせや濫訴への対策がないこと」、「家裁のリソース不足に対する具体的改善策の不在」など、たくさんの問題があります。  

今回の民法改正法案には、子どもたち自身を含む家庭内アビューズの被害者から、この条文では安心できない、再び加害者との関係を強制される、という不安と恐怖の声が上がり続けてきました。
被害者の方を安心させるのは簡単です。合意型の共同親権に限定すればよいのです。共同親権のメリットとされてきたものも、それで実現できます。
しかし、被害者の声は切り捨てられ続けてきました。

法制審議会では、DV保護法を専門とする戒能民江委員が、この要綱では被害者を守れないという理由で反対しました。しかし、DV保護を専門としない他の委員の多数決で、要綱は押し切られました。
衆議院では、DV被害の当事者が、「この法案が可決されれば、再び加害者と対峙しなければならず、場合によっては共同親権を強制される」という恐怖を、涙声で訴えました。衆議院は、この方が安心を得られるようにする努力をしたでしょうか。そうは思えません。

なぜ、恐怖を訴える声が届かないのでしょうか。法務省や衆議院多数派は、DV被害の訴えを「極端な被害妄想」と見て、その主張を「また始まった」と嘲笑しているように見えます
そもそも、法務省は、「父母がともにかかわるべきだ」、「どんな親でも子の利益のために行動できる」と強調し続けてきました。「父母の関りは良いもの」と留保なく断言する裏側には、「シングルの子育てはまともではない」という蔑みの感情すら見て取れます
被害者の訴えを退け続ける態度も、シングル家庭への差別に由来しているのではないでしょうか。シングルでも一生懸命、子どもを幸せにしようと努力している親たちがいます。加害的な親と離れて、やっと安心できる生活を手に入れた離婚家庭の子どもたちもいます。
シングル家庭への差別をやめ、彼ら、彼女らの声に耳を傾けるべきです。

声を切り捨てられているのは、日本の被害者だけではありません。
イギリスのブリストル大学のヘスター教授も、次のように指摘します。
離婚後の親子コンタクトを推奨する専門家たちは、「DVを、解決済みの問題、既に過去のもの」と見て、DV被害をまるで違う惑星のもののように扱っていると。
アメリカのジョージ・ワシントン大学のマイヤー教授は、アメリカの裁判所で「子どもが別居親との関りを避ける場合、別居親の加害行為ではなく、同居親の悪口を疑うべきだ」という理論が蔓延しているとの統計研究を発表しています。マイヤー教授は、アメリカ家族法学で、DV・虐待が周縁部に追いやられている、アビューズの問題を中心に置かなくてはならない、とも指摘しています。
ドイツやフランスでは、DV・虐待があっても、特別な手続をとって、裁判所が認めない限り、共同親権です。ヨーロッパのDV問題の専門家や支援者からは、DV事案を除去できるような法案改正の必要が指摘され続けていますが、立法は対応しません
オーストラリアでは、薬物依存の父親から逃れようと、子連れで転居した母親が無断転居を責められ共同親権を命じられた事案があります。オーストラリアの家族法の専門家の間では、「性虐待の過去を持つ親と子どもとのコンタクトをどうやって実現すべきか」が、検討すべき論点と扱われていました。オーストラリア法にも、被害者の声を軽視してきたという批判があります。

「欧米では共同親権が主流」というスローガンばかりが独り歩きしていますが、どの国でも、DV被害者の声はかき消され、あるいは虐待の被害者の声はかき消され、その支援者は嘲笑されているのです。
日本の家族法の教科書でも、DV・虐待の問題が中心に置かれているとは到底言えません。日本の民法学・家族法学が、どこまで欧米の、そして日本の被害者たちの声に向き合ってきたでしょうか

このように検討してみると、「なぜ日本の現行法は、そんなにまともなのか」という疑問が浮かぶのではないでしょうか。
その答えは、憲法24条と、それによる戦後家族法の大改正にあります。日本の法律家の中には「欧米に比べ、日本の法律は遅れている」と考える人が多くいます。例えば、同性婚の問題にかかわっている人は、日本の取り組みはあまりに遅いと感じているでしょう。そうした分野があるのは事実です。
しかし、男女平等の親権法の実現は、ヨーロッパよりも長い歴史を持っています。フランスやドイツでは、父権に基づく男性優位の制度が20世紀後半まで続きました。これに対し日本は、新憲法を制定した1940年代に、憲法24条の男女平等の理念に基づく親権法を実現しました。婚姻中の共同親権を導入し、離婚後は女性であっても子どもの親権をもてるようにしたのです。

日本の新しい憲法・民法が重視したのが、「共同行為は合意がない限り強制できない」という当事者の意思を尊重する姿勢です。
民法の旧規定の下では、戸主の同意がないと婚姻ができず、父母や夫になる男性が女性に婚姻を強要することもありました。新憲法はこれを反省し、両者の合意のみで婚姻の成立を認め、また婚姻の効果を合意なしに強制することを禁じました。
憲法24条は、合意なしに強制してはいけない婚姻の効果があることを前提としています。合意なしに強制してはいけない婚姻の効果の範囲をどう理解すべきか。その中に、子どもの医療や教育についての話し合いの義務付けが入っていないのか。政府は、真面目に検討すべきです。
この点、政府は、同性婚訴訟の書面で、憲法24条に言う「婚姻」とは、共同で子育てをする関係なのだと言い続けています。子どもの共同親権を、婚姻の中核的効果だと考えていることは明らかです。これを前提にすると、合意もなしに、共同の子育てを強制することは、憲法24条の理念に反しています。

戦後の民法改正をリードした我妻栄先生は、「父母が離婚するときは、子を監護すべき温床が破れる」と言っています。父母が共に作る温床は、父母の真摯な合意によってのみ作られるのです。
我妻先生は、ある最高裁判決について、夫婦の力関係の差が現にあることを強調した上で、夫婦を形式的に平等に扱えば「その争いはとかく力の強い夫の勝利となり、夫婦の平等は実現されない」と批判しました。
もちろん、「夫は常に強く、妻が常に弱い」ということはなく、逆のケースもあるでしょう。しかし、協力関係が築けない背景に、力関係の大きな格差があることは少なくありません。そして、その格差は、当事者の「一緒にいることの辛さ」としてしか表現できないこともしばしばあるのです。
我妻先生は、形式論や理想論だけでなく、それがどんな現実をもたらすのかを含めて、豊かな想像力を持って家族法を考えました。先人は、子どもの利益と男女の実質的平等への深い洞察の上で、現在の民法を作り上げました。私たちがなすべきは、憲法の当事者の合意の尊重の理念と、戦後民法を作り上げた先人の遺産を受け継ぐことです。大事な遺産を台無しにすることではありません。
参議院議員の皆様は、被害者の声を無視して、差別し嘲笑する側につくのか、子どもが適時に決定を得られる権利と被害者が安心できる環境を得られる権利を守る側につくのか、重大な岐路に立っています。ぜひ、このことを自覚して、法案の審議に臨んでください。


その後の木村教授に対する質疑はこちらをご確認ください


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