5月の第二日曜日

この日を気にしなくなって何年が経つだろう。
何年、ではなく何十年か。

感謝をする日からの想い出す日に変わって
毎回思い出す母の姿がある。


私は三人兄弟の末っ子、長女だ。
見る限り裕福とは言えない家庭に生まれ
兄と同じように育てられた。
ワンピースを買ったのなんて自立してからだったので私が女性アイドルに憧れを抱くのも今となってはよく分かる。
補足:https://note.com/nao2404/n/n10dd0f4aa92b

私は物心ついた時から鍵っ子だった。
記憶をたどると幼稚園の年長の時にはすでに鍵っ子だった。
このご時世だと、危機管理ガー!とか言われそうだが当時はそんなに珍しくなかったように思う。

家に帰って一人。

誰かはやく帰って来ないかな。

毎日そう思ってた。

つまらない。

そんな事を思う間に寝てしまい、
金属がガチャリとなる音
スーパーの袋のシャカシャカ
運動靴の土の匂い
また寝てるー、と言う声

ああ、誰かが帰ってきた。

そんな音に起こされて1日を再開させていた。


そんな私の味方は猫だった。
今では考えられないけれど、私が幼少の頃は
猫も犬もそこらへんにいた。
なので見つけ次第拾ってきた。
猫がいると寂しくなかった。
あの頃猫と話しすぎて
今でも猫と会話ができると思っている(やめろ)

私が猫を拾ってくる。
しかしすでに猫はいる。

なのに拾ってきても
母はなにも言わなかった。

母は
「あらあら」
と言ってねこまんまを作っていた。
当時は、母のその行動を見て
連れて帰ってきて良かった、と思っていた。 


あの時、母はフルタイムで働き、家事の全てをこなしていた。

私は大人になってから
「連れて帰ってこないで」
と言えないくらい母は疲れていたんだ
と言うことに気が付いた。
今はもう、その心理を聞くことはできないが、否定も肯定もできず受け入れるしかなかったのではないか。


今でこそ分かることが沢山ある
あたりまえだが当時は全くわからなかった。

子供は恐ろしいね。
私は事あるごとに猫を連れて帰った。
ひとときは15匹はいたと思う。
狭い我が家に人間の3倍の猫。
よく怒られなかったなと思う。


話を戻す。

そんなある日
猫が妊娠した。
気がついたらお腹がパンパンだった。

母は、猫への興味が薄かったのが嘘のように
いろんな準備をした。
生む場所、食べ物、産んでからの対処法
それらを家族に何度も言って聞かせた。

そして子猫は母体共に無事出産を終えた。

母は
ずっと母猫といた。

頑張ったね。偉いね。
ってずっと母猫に話しかけていた。

母は母猫の為に魚のアラを買ってきて
アクを取り身をほぐしてやる。
そのスープを冷やしてコラーゲンスープを作る

それを母猫が食べるのを見ながら

頑張ったね。偉いね。
と撫でる。

私は母猫が羨ましかった。
けれど私が入ってはいけない空気がある事も理解していた。

そんなことばかり考えていて
あの時の私は気が付かなかった。

頑張ったね。偉いね。


母が欲しかった言葉

なぜさほど裕福でもない家庭で
3人目として私が産まれたのか。

色んなことがわかった気がして

五月の第二日曜日が来るたびに

頑張ったね。偉いね。

と心の中でつぶやく。

できることなら
あなたにちゃんと言いたかったと思いながら。


おわり

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