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『茜色に焼かれる』トークショー 尾野真千子×石井裕也 於キネカ大森 2021.7.31

 尾野さんは茄子紺のストンとしたワンピースに、黒と白のスニーカー。前髪がぱらっと垂れて、メイクは薄めでとてもナチュラルで、ものすごくきれいだった。

——最初のご挨拶を、では尾野さんから。
尾野:こんにちは。本日はお越しくださりありがとうございます。時間の許す限り、楽しんでいって下さい。
——改めて、撮影を振り返って。撮影当時の思い出、何かありますか。
尾野:当時(間が空く)、あー、何かあるかなー。やりにくかったなー、っていうのはあります。マスク、フェイスシールドをつけてテストして、その後本番、というのがやりにくかったなあー。でも楽しかったんで、そんなことも忘れてしまうんですけどね。
——作品に挑む覚悟のようなものは。
尾野:コロナが現れて、初めての、「やるかやらないか」の決断をする作品だった。これを撮ったらどうなるのかがわからない、楽しんでくれる顔が思い浮かばない、そんな感じだった。でもこの作品のおかげで、色々見えている気がする。作品を選ぶことについても、今までは自分のことだけだったけど、今では全体が見えている気がする。
——勇気のいる作品だったと思いますが。
石井:世の中の状況という点では今よりマシだった。今の方が悪化しているけど、当時の方が切羽詰まっていた。あの時しかないものを、みんなが確かめ合うでもなく、理解できた。今見るべき映画、という人はいるが、むしろ少ししてからの方が伝わるかもしれない。
——マスクをつけた人が出てくる初めての映画で、もうこの感染は終わっているのではないかとも思いましたが。 
石井:終わらないと思ってましたよ。2020年夏の感覚と価値観を出した映画になった。
——田中良子という人はとても難しい人だと思うんですが、良子を演じるやりがい、難しさはどういうところにあったのでしょうか。
尾野:全部難しかった(笑)。やればできるんです。でも、監督の目が怖いんです。獲物を狩るような目つきで、近くから、何一つ見逃さないように見てる。気が抜けない。指先まで神経を尖らせていないと監督に負けた気がするから、本当に難しかった。一瞬のシーンでも、何時間も考えてやっていた。
石井;まあねえー、すごい人ですよ。ご結婚おめでとうございます。(みんな一斉に拍手)
尾野:ありがとうございます。(照れ臭そうに笑いながら、指輪のない薬指を見せる。)
石井:ここに入ってきた時、お祝いの雰囲気を感じました(笑)。(話を戻して)すごい人ですよ。何を考えてらっしゃるか全くわからない。
尾野:お互いに。
石井:純平を演じた和田くんが、お芝居もほとんど初めてで、変声期だったことも含め、一生にその時一回しかできないことをしてくれて、こういうのは作品にとっては得なんですけど、そんなお芝居を和田くんがしているように、尾野さんについても、キャリアがこれだけあっても、この時しかできないものを撮りに行きました。その辺を尾野さんは理解してくれたんですか?
尾野:わからん。
——良子さんも何を考えているかわからない。当て書きですよね。
石井:主人公の気持ちを追いかけていけて、理解できるのがいい作品とされているけど、これだけ理解できないものが溢れているので、こんなものもあっていいんじゃないか、と思った。良子は自分の決めた生き方を貫いている。賠償金をもらっておいた方がいい、という意見もあって、確かに経済という点ではいいかもしれないが、それをしたくない、できないという人もいるので、それを描いた。尾野さんは本当に今でも何を考えているかわからない。
尾野:変人みたいやん。
——石井監督とは以前『おかしの家』でもご一緒されていますが、前回との違いは?
尾野:一回めはなかったことにして、初めて会った人と思っています。前から知ってるってなんの必要があるんやろ、という気がする。その時は、主役でもないし、ちょっと参加しただけだったから、ただ変わった人がいるなー、という感じだけ。今日も何考えてるのかはわからない。何でそんな質問をしたんだろう、とか、わからずじまいだったけど、そういう人が私は好きだと感じた。また次にお仕事できるなら、またその時はどうなのか、現場現場で人が変わるから面白い。皆さんもご覧になって下さい。面白いの。
石井:前回もここで(『明日の食卓』の)瀬々監督とトークショーをしたんですけど、その時に瀬々さんが色々質問してきて、映画監督の圧を受けて、それが嫌だった。これは瀬々さんをdisっているわけではなくて、圧があるというか、何か取ってやろうという感じがあった。
尾野:いや、そのままでいいですよ。他の現場でもそうなの?
石井:うーん、尾野さんは独特だったかも。「〜して下さい」っていうと、「その願い、かなえましょう」って言うんですよ。他にも歌ともつかない歌を歌っていたり。そういう人に、一般的な人と同じに接していいのか、あまり密に接していいのかわからない。尾野さんは独特です。
——監督は撮影中、近くにいますよね。モニター見ないですよね。
石井:これ変えようと思ってるんですよ。
尾野:変えるの?
石井:疲れる。モニター見て言う方が楽かなと思って。
尾野:(石井監督は、近くから)じーっと見つめる。「ダメだよ」とかモニターからマイクで言った時はどつきに行くよ。
——石井監督は本を出されたんですが、尾野さんのお芝居を見て、演技についてご自身のお考えがまた変わったりしましたか。
石井:最近、歳のせいかいろんなことに宗教性を感じ始めて、何か理屈を作りたいんでしょうね。お芝居は宗教的なもの。尾野さんの芝居を見てると、ものすごく深い祈りに見える時がある。尾野さんが何かを信じながらお芝居をする、それが強烈。あんまりそんな人はいない。感じていなくても、そう見えればいいと言う人や、全部に全力を出さなくてもいいって言う人がいる。
尾野:いるね。
石井:全部のカットに対して、尾野さんは何かを信じている。そこから何かが生まれるんじゃないかと信じてる。そこに崇高なものを感じる。なんでそんなに信じてるんですか?気持ちは光学的に捉えられないと思っている人もいるけど、尾野さんはそれを信じてる。それは神々しい。
尾野:気持ちは映らない、見せろ、と言われたことがあって、それで私は眉間にシワを寄せるようになったんですけど、でも自分では気持ちは届くと思っています。ファンレターを読んで、気持ちが届いていた、と思ったり、そのおかげでこう変わりました、と言われて、その人は自分の人生さえも変えてしまった、これはすごいことだ、これはちゃんと届けないと、と思ったり。泣いて悔しいと思ったこととか、それはただ娯楽のためでも、それを見た人の人生が変わるなら、それを届けなくちゃと思った。
石井:いつから?
尾野:ファンレターをもらうようになってからですね。自分のお芝居を見てこう思ってくれた人がいた、と徐々に思うようになった。
——嘘であるお芝居に真実がある、ということですね。
石井:人生をメッキに変えるものが芝居。ここに存在する、生きるっていうことをするので、特殊な状態です。それを今研究してるんですけど。
——まだまだお聞きしたいんですけど、ここで時間になってしまいました。最後に尾野さんから一言。
尾野:本日はありがとうございました。私たちの気持ちがどんなふうに届けていくのか、機会があればまた舞台挨拶に行きたいと思っています。まだまだ映画は生きています。『茜色に焼かれる』をどうぞよろしくお願いします。


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