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立教大学公開シンポジウム 「終戦から70年 ドラマ『カーネーション』に見る私たちの過去、現在そして未来」 2015.8.27.

(2015年にTwitlongerに上げたものをこちらに転載しました。)

司会は立教大学長有紀枝先生。
冒頭、「二人糸子のうた」に続いて『総集編前編』のオープニング。続いて、『総集編前編』より、糸子、おばあちゃん、勝さんの三人暮らしのシーンから「お昼にしよけ」までが流れる。

長)今日は夏休み中の大学ということで、何人が来てくださるのかとドキドキしていた。それを渡辺さんに言ったら「数少ないのは慣れています」とおっしゃった。
渡辺)お客さんが少ない人生なので「大丈夫です」と言っていたら、こんなにたくさん来ていただいてありがとうございます。


長)渡辺さんが一番描きたかったことは。
渡辺)小篠綾子さんのドラマを長い尺で、という依頼だった。小篠さんはとても身利欲的で、人生も面白い。ただ大正末期から平成ということで、戦争が出てくるということを考えた。いつか戦争を書くというオファーがくるだろうなと心のどこかで思っていたけれど、知らない時代のことを書くのは高いハードルなので、なるべく来ないといいなと思っていた。地震がテーマの『その街の子ども』も同様。これを書いたことで一応階段を上がって、自分にとって二つめの階段だと思った。それまでは「何もわかっていない」と怒られるのが怖かったが、怒られてすむのならした方がいい、長い尺の中に戦争がある以上、だからこそできることもあると思った。
長)戦争は色んな描き方があるが、主婦もされ、子育てもされながらそれを書くというのはどんな実生活だったのか。
渡辺)やはりいつもとはモードが違っていて、そっとしておこうというのが家族の反応だった(笑)。
長)そんななかで、どう戦争を書いたのか。
渡辺)私たちは戦争教育というものを受けてきているが、亡くしたその人のことを知らないと、悲しいものとして感じられない。戦争で死んでしまう人のことを、身近な人物として知ってもらえたら、その人が死ぬということが体験として積み上げられると思った。おばちゃんたちでも子どもたちでもわかるような戦争を描きたかった。(☆長先生は海外の紛争に関わり、難民を助ける仕事をされているので)なぜ先生のような大きな仕事をしている方が『カーネーション』を?
長)なかなか言語化できないことが『カーネーション』にはあった。例えば勘助の描き方など。実際の紛争は、加害者と被害者がすぐさま入れ替わったりもするが、実際にはその責任はその人たちにはない。そういうものも『カーネーション』にはすべて含まれていた。

終戦について

長)「お昼にしよけ」について
渡辺)どう描こうとは考えなかった。何歳から何歳で何が起こったか、だけを与えられて、話を作った。私たちが過去をふりかえった時、過去はぺったんこなのだと思った。娘に「お母さんが子どもの頃は戦争は終わっていたんだよね」と言われて、過去はぺったんこだと実感した。戦争に対して、抵抗感がなかった人たちが、もう二度と繰り返してはいけないと口を揃えて言う、そう思うに至ったプロセスが生々しくちゃんと伝わることが大切だと思った。自分にとって好きだった人がいなくなっていくことがどれだけ辛いか。そんな中で「終わりました」と言われたらあんな感じかと思った。
長)最後の奈津の場面を描きたかったとおっしゃっていたが。
渡辺)後頭部の、おじいちゃんかおばあちゃんか分からない、私たちが見慣れたあの後頭部、その頭の中に、一人残らず戦争の時期が入っている、と思ったら、ぺったんこだと思っていた過去をちゃんと描かないと、と思った。
長)「ただのお年寄り」にも見える方々の長い人生にあったことを、私たちは分かっていないのだと思った。パンパンになった奈津などの話をしたら、「朝ドラで描く話じゃないですよね」とおっしゃったが。
渡辺)シリアスにまとめようと思ってもまとまらないような人生、生活を丸ごと描きたかった。
長)渡辺さんが、物語を都合よく動かさないところが好き、というメッセージがあるが。
渡辺)登場人物に「こう動いてほしい」と思わないようにしている。登場人物の尊厳というか、反省したくない人はしないから、そちらの方を大事にする。
長)勘助の最初の出征について。あの頃の日本は勝ち続けていたが、勝った戦争でも亡くなった人もいたはず。安岡家のご主人も、実は勝ち続ける戦争の中で死んでいた。そのあたりについて。
渡辺)ドラマというものの意義というか、朝ドラの中でできることをしたい。支障があって取り上げられないような部分を描きたい。安岡のおばさんは、ドキュメンタリーか何かを見て、日本軍が何をしたかを見てしまった。それを報道するのは悪いことではないが、それに傷ついた人もいたはず。それも描きたかった。これまで、そういう母親たちの声を聞いたことも、聞こうとしたこともなかった。それを取り上げた。

洋服について

長)洋服は人に誇りと品格を与える、平和の象徴でもあるが。
渡辺)本当に辛いときは好きな服も着ていられない。好きなものを着ていられるように、自分を管理していくことが普段の生活でも大切だと思っている。
長)紛争地でも、女性がハイヒールを履いていることがある。東日本大震災の時も、余震があってすぐに逃げなくてはならないかもしれないけれど、普通にしていよう、という気持ちがあった。
渡辺)おばあちゃんだけが防空頭巾をかぶらない、とか、そういうところが心を支えていたんじゃないか。
長)アフリカでは貧しいところでも「色」がある。コンゴの男性で、銃を持つよりもお洒落をした方がカッコいい、と言う人もいる。
渡辺)誇りと品格。誇りをお洒落に持つのか、武器に持つのかの違い。
長)『カーネーション』はミャンマーでも放送された。一昔前は、日本のドラマというと『おしん』だったが。
渡辺)単純に、それだけ豊かになったのだということだと思う。人生にどんな意義を求めるかが反映される。
長)デモをする若者が「言葉を持っている」とおっしゃっていたが。
渡辺)私たちの世代は、納得がいかないことを表現するヴォイスを持っていない。言いたいことを伝えるスキルを学んでこなかった。若者がそれをやすやすと乗り越えて伝えられることがすばらしい。
長)こんな時代に、戦争がよくないということをどう伝えていくのか。それが自分の中でも言語化されていないと思うが、今それが初めてされつつあると思う。
渡辺)娘が小さい頃、いとこが花火に連れて行ってくれた。それが原爆の日のあたりで、帰りのタクシーの中で、ラジオがずっと原爆の話をしていていやだったと言った。いとことその友人は、同じラジオを耳にしていたはずなのに、その話を聞いていなかった。私もそこに乗っていたら聞いていなかったと思う。平和教育をしっかり受けたことに安心していて、戦争の話を風物詩としてしか受け取っていないと思わされた。これが繰り返されたら、伝わらなくなる、という危機感を覚えた。どうしたら戦争がなくなるか、というのは、認め合うとか、多様性を受け入れるとかいうこと、というのはわかっているが、本当に難しい。

なぜ『カーネーション』だったのか

長)戦後70年で、『カーネーション』でやっぱり何かしたいと思い、渡辺さんと連絡を取りたかった。ダメならダメで、断られないと自分は進めないと思った。NHKのツテを辿って、やっと手紙が書けた。
渡辺)「難民を助ける」という経歴を見て、「こんな立派な人の言うことはもう聞くしかない」と思った(笑)。「お偉いさん」というのはわりと大丈夫だけど、「立派な方」というのは言うことを聞くしかない。
長)講演はあまり受けない、脚本以外の文章は書かない、と聞くが。
渡辺)自分の考えは、汚いままで置いておかないと伝わらないのではないかという気がして。きれいな言葉にして、人前に出せるものにしてしまうと、脚本としては伝わらない。『インサイド・ヘッド』を見たら、もとの部屋に戻るために「考えの列車に乗る」というのがあり、そのためにはここに入ると危険、という部屋を通るのだが、そこで、カナシミとヨロコビが、三次元→二次元→記号になってしまう。記号にならないと「考えの列車」には乗れない、と分かって、自分が「考えを汚いままで置いておきたい」と思う理由が腑に落ちた。

聴衆からの質問
1)なぜ脚本家になったか。
渡辺)直接のきっかけは、子どもを二歳まで育てて、狭い世界の中にいたことがあまりにもつまらなくて、頭の中で話を作り始めたこと。セリフだけを書いていたら脚本らしきものができた。

2)東日本大震災のあとの放送だが、戦争を書くことに影響はあったか?
渡辺)あったと思うが、なるべく「ない」と思って書こうとした。これだけのことを受けて、これだけのことをふまえて書くべきか、とらわれずに書くべきか?と迷って、とらわれずに書こうと思った。その方が見てもらった時に力になると思った。普遍的なものを書こうとしているので、そこから伝われば、と思った。
長)ドラマを書いたあとの変化は?
渡辺)あまりないような。書き終えたら忘れたい。放送も見なかった。今回、シーンを選ぶにあたって総集編を久々に見た。尾野真千子、すごいなあと思った。『火の魚』の幸薄いイメージがあったのだが、本人がそういう人ではなかった。『火の魚』の打ち上げで、山にいるオスザルの真似をした時に、ドスを利かせてしゃべったので、その時に「この子は極妻もできるな」と思った。とにかく、「この子は何でもできるんだな、書いたことをそれ以上に見せてくれる」と思った。
長)ドラマを見ながら「とんでもないものを目撃している」と思っていた。
渡辺)作り手としては失敗しているところも反省もあるが、尾野真千子がすごいのは、現場という場を守り抜き、高め続けたこと。やはり作品には全てが出てしまう。その場がどういう場か、関わっている人がどういう気持ちかは必ず出る。脚本もスタッフもがんばるけれど、やはり場の中心にいる彼女が要だった。
長)男性性が強い物語だが、女性として男性と対等に仕事ができないと思ったことは?
渡辺)ない。主婦からこの道を始めているので、食い扶持は夫が稼いでくれるということに甘えているところもある。

3)スタッフの言葉に、「渡辺さんは作中の人物に自分を投影しない」とあるが、では自分はどこにいるのか?
渡辺)自分が好きになれる人物を見ていたい、というのが基本。自分が面白がれる人たち、関係性、その関係性から一瞬浮かび上がる尊いものを書きたい。

4)『カーネーション』の好きなセリフは?
長)私は「宝抱えて生きていく」とか、あと「ヘタレ」も好き。糸子に言ってもらいたい。
渡辺)最後のシーンは尾野真千子が退場するところなので、何度も書き直して、自分でもこれでいいのか分からなかった。
長)最後に流す映像について。トーク、映像、トークにするか?と聞いたら、渡辺さんが「総集編があります」と言われて、あと、細切れではなく一本まるまる、というのがいいのではないかとおっしゃった。
渡辺)これ(最後に流すと渡辺さん自身が選んだ回)が今の私たちに一番つながっていると思う。小さい女の子が出てきて、今なら75歳くらいになっているが、この方が見てこられた景色は、自分が見た景色とは全然違うと思う。これだけの大きな出来事が、今の私たちにつながっているのではないかと考えながら書いた。この回を書いた時に、現在の闇や歪みの正体が少しわかるような気がした。
長)死が身近にありつつ、終わりはないと知った。死をどうとらえられているのか?
渡辺)死は怖い、重い石として心の中にあるが、本当に重いものなのかどうか、それも考え方だと思うようになった。
長)「決めたもん勝ちや」というセリフがあるが。
渡辺)本当に、「思ったもん勝ち」。

「これから」について

長)今後について
渡辺)自分がこの国に生まれた表現者として、これからどんなことを表現していくのか色々考えた年だった。原爆が二回落ちて、原発事故があって、その中でどんな表現ができるのか考えると、平和国家であることを謳歌する、あぐらをかくのではなく、だからこそできること、思えること、受けられる恩恵を大切にしていきたいと思った。すばらしい映画やドラマは、そのテーマを謳歌している。できる限りのことをそこでし尽くしていれば、陰惨な話でも豊かなものが伝わってくる。これからも、それをベースにものを考えていきたい。どんな作品をしたいか、というものはない。自分に準備が整った時に出会えると思っている。
長)今日のテーマはこちらからもいくつか提案したが、「過去、現在、そして未来」という、「未来」を含んだものを選んで下さったのは渡辺さん。
渡辺)終わったあとで語ることは好ましくないと思うので、ここで失礼させていただきます。

上映:第79回、戦争孤児の回。


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