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私の音楽日記

先日、所属していたピアノサークルの卒業演奏会がありました。

4歳から続けてきたピアノも一区切り。
今後も続けますが、どこかお気に入りの本を一冊読み終えたような気分で、感慨深いものがあります。この気持ちを忘れないうちに、思うままをことばに残しておくことにしました。

18年間を振り返って

弾き始めたのは4歳。
それから18年間、いろんな環境の変化がありました。
アメリカに5年間在住し、大学では国際学生寮でお世話になり、親にわがままを言って1年間の北欧留学までさせてもらいました。

環境は変われど、ずっと隣にあったピアノ。

今思えば、一つ同じことを続けてきたというのはとても幸運なことです。
就活時、自己理解にことごとく苦しみましたが、
変わり続けてきた自分をピアノと相対化することにより「あぁ、そうか」と急に腑に落ちることがよくありました。

それに準えて、成長過程を考えてみたところ、

先生に会いにいくための習い事

爆発寸前の感情の受け皿

仲間と私を結びつける共通言語

新しい表現のかたち

私にとってピアノや音楽がなす意味は、このように変化してきたように思います。

これは、どうしてここまで続けてきたのか、これからどんな音楽を奏でていきたいのかを記した、成長日記です。

 あたたかい気持ちで読んでくださると幸いです。

先生に会いにいくための習い事

幼少期の記憶はほとんどありませんが、とにかく先生が大好きで、弟とレッスンに行くたびにハイテンションで帰ってきたそうです。

最初師事した真里先生は、私に友達のように接してくれる方でした。曲を完成させると大きなはなまるを描いてくれて、待ち時間に宿題を手伝ってくれて、たまに力強い演奏を聴かせてくれました。
楽しく、賢く、かっこいい先生が大好きでした。

そんな先生のおかげで順調に上達し、気づいたら発表会で毎回トリを飾るように。学校でも伴奏したり、みんなにリコーダーを教えたり…

こうして、あんなにお利口にお辞儀をしていた少女の、プライドができあがっていくのでした。

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(母お手製の衣装で出た最初の発表会)

爆発寸前の感情の受け皿

中学2年の夏、父の転勤でアメリカに。
そこから約5年、もどかしい日々を送ることになりました。
クラスメートの意識が低い。自分は何も思い通り伝えられない。
自己主張の塊のような思春期真っ只中の私は、そんな現実にむしゃくしゃし、寝る間を惜しんで1人英語の勉強をしました。

このときの自分の拠り所はピアノ。
よくピアノの音でその人の感情や性格が分かると言いますが、私の音は「悔しさ」や「虚しさ」が大半を占めていたと思います。ただ弾くのが楽しかった楽器が、いろんな感情を吸収してくれる受け皿となりました。  

そんな私を、感情を込めて弾く演奏者に育ててくれたのは、4年間師事した白井先生でした。
真里先生がピアノの基礎の基礎をしっかり教えてくれたとしたら、白井先生は自由な表現を教えてくれた人。全身を揺らしながら表現を引き出してくれる情熱的なレッスンが、大好きでした。

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(卒業リサイタルの演奏直後。ハグしてくれてるのが先生です。)

コンペ、高齢者施設でのボランティア、震災のチャリティコンサート、アンサンブルなど、演奏機会もたくさん与えてくれて、どんどん音楽にのめり込みました。

先生に会いたいなあ、、

仲間と私を結びつける共通言語

大学でひとり帰国、早稲田の国際学生寮に入寮しました。
楽しすぎる毎日はあっという間に過ぎ、退寮したのちスウェーデン留学に。

そこで出会ったのがオーケストラでした。
たった数ヶ月のことでしたが、この数ヶ月が、今の私の志を大きく形作っています。

オーディションに受かりジョインしたのは、私以外スウェーデン人で構成されたチーム。学生が一から創る、コメディチックなオペラのオケでした。

スウェーデン語で進行される上に、メンバーは内向的。
居辛さを感じながらも、譲り受けたオンボロのピアノで毎日練習を重ね、
・今日よりも明日、必ず上達した状態で練習に行くこと
・メンバーにしつこく英語で話しかけること
とにかくこの二つだけ守りました。

そしたら、なんか徐々に変わっていったんです。

グループチャットでのみんなのやりとりが、気づけば英語になっていたり、
スウェーデン語で話すメンバーに対し、他のメンバーが「英語で話して!」と怒ったり、
口数少なく、練習もほとんど来なかったメンバーが、急に私に人生相談してくれたり、

そんな小さくも大きな変化が、新鮮で、本当に嬉しかった。

本番の景色を今でも思い出します。
棒を思い切り振る指揮者、顔を見合わせて楽しく演奏するメンバー、満席の客席から聞こえる笑い声。全てが一つになる瞬間に、鳥肌がたちました。
終わって肩組みながらバカみたいに飲んだお酒は、美味しくてしょっぱかったなあ。

人と弾くって、こんなにも気持ちがいい。
それまでずっと一人で弾いてきた音楽。初めて人と弾く喜びを知りました。

あの心が震える感動の瞬間を追いかけたい。あれを超える最強の音楽を奏でたい。そう思ったときに出会ったのが、リンクアンドモチベーションという会社です。

私はこの会社の、「組織という最高の作品創り」という言葉が好きです。

形も、素材も、音域も、音質も、演奏者も、全部バラバラ。
全く違う形をした粒が、ちょっとずつくっついたり形を変えたりして、一つの作品を創っていく。そのプロセスは思い通りにいかなくて、けど案外あっけなくて、規則性があるようでないようで。その曖昧さにたくさん触れられると思うとワクワクします。
これから一緒に働く同期も上司の方々も本当に素敵な人たちばかり。
本当に楽しみです。

新しい表現のかたち

帰国後は三人目の岡先生に師事し、改めて個の演奏を磨いてきました。

岡先生は、曲の背景や全体のイメージを説明した上で、私の自由奔放すぎる演奏を修正しながら、良さを最大限に引き出してくれる方です。
毎回毎回、学びがあって楽しいです。

先生に勧められ、学生最後の演奏に選んだのは
1844年に作曲されたショパンのソナタ第3楽章、4番。

ロンド形式のフィナーレ。これは、ショパンの『熱情』と称される程に力強い楽章。ヴィルトゥオーゾ的な技巧を要し、華麗で堂々たる表情をしだいに高揚させ、圧倒的な力感溢れるままに曲を閉じる。
                     (ピティナ・ピアノ編集部)

暗い第一主題と明るい第二主題が繰り返し展開される曲で、希望を感じられる劇的なフィナーレがお気に入りです。
Youtubeにも動画たくさんあるので、興味のある方はぜひ聞いてみてください。

今回のステージはなんだか、今までと違う感覚の連続でした。

これまで感情をぶつけてきたピアノ。
思いはあっても、私の半径1mくらいに留まっていたと思います。
最後のお辞儀も、お客さんの顔を見ることなく、一瞬で振り返ってステージ裏に戻る。動画を見返すと、あまりの無愛想さに笑えてきます。

けど今回は、弾きながら浮かぶ景色や、これまで蓄積してきた思いを会場に届けようと、表現している感覚がありました。

最後は頭を下げながら
「ありがとうございました」と心の中で呟きました。

ずっと近くにいてくれたピアノに対して、
18年間お月謝を払い続け、影で応援し続けてくれた両親に対して、
誰よりも私の演奏を好きでいてくれたおばあちゃんに対して、
私を育ててくれた3人の先生に対して、
いろんな形で応援してくれた全ての人に対して。

私も、人に期待をかけ、応援し、投資できる、そんな人間になりたい。

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(18年で一番長いお辞儀。きてくれた人は本当にありがとう。)

これから奏でる音楽

この前バイト先の楽器屋さんで書籍を整理していたら、目を惹く文章を見つけました。

多くの人々に幸せや喜びを与えること以上に、
崇高で素晴らしいものはない。

「楽聖」ベートーヴェンの言葉です。

彼は落ち着きがなく、極端な癇癪持ちなことで有名でしたが、
「音楽があなたの人生の重荷を振り払い、あなたが他の人たちと幸せを分かち合う助けとなるように。」とか言っちゃう優しく熱い心の持ち主でもあり、実はいいやつなところが好きです。

目の前のことに追われて、なぜこんなことしてるのかと意味を疑ったり、人のせいにしたくなったり。そんな小さい自分に出くわしたときには、この言葉を思い出すことにします。

これから目指すのは人に届ける演奏であり、
仲間と奏でる崇高で素晴らしい音楽

今の私は何もできないので、とにかく努力だけは怠らず、
最高の作品創りに励んでいきます。

拙いわりに長い文章でしたが、
最後まで読んでいただきありがとうございました。