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日記のようなもの

2023年の自分の過ごし方として昨年末、密かにいくつかの目標を立てた。
いや、ノルマと言うほうが似合うか。

そのなかのひとつに「週一回はnoteを更新する」があった。
間もなく2月が終わるが、早速目標達成成らずだ。
元々の更新も少ないのに、目標の設定値が無謀だった。
「辞めずに続ける」くらいにしておけば良かったなと思っている。

こんな調子で残り10ヶ月を過ごすのだろうな…。
ちょっと反省しよう。


仕事が忙しいのも良くない。
少し落ち着くはずだったけれど、周りのいろんな人がいろんなタイミングで流行り病に罹患し、欠勤・欠席・早退祭りで、システム構築の作業工程が引くほど遅れてしまい、1月半ばから深夜作業が続いている。
それは建築側も同じ状況だったようで(いま増改築中の医療機関で作業をしている)人が歩いてもいい、養生エリアができてないとおかしい時期にこんな現状。上の階は蛍光灯もまだの場所があって、暗がりを歩いていたSEが転んで埃だらけで戻ってきたりもする。

これじゃパソコンの設置も遅れる。もう完全に詰んだ。

社交性に難ありが多いSEも、余裕さえあればみんな社会人の会話や声掛けくらいするが、こんな状況になってくるとバグの連鎖が相次ぎ(負のループ。はまると抜け出せない恐ろしい呪いと呼んでいる)、作業室のあちこちで奇声があがる。
再現性の高いバグなのか、自分の開発エリアに干渉するのか、気にはなるけど、こっちも非常事態続きだから、せいぜい遠くから薄目で見守るくらいだ。「早くなんとかして」と念は送っておく。

今日の天気がどうだったとか、何曜日だとか何時だとか、おなか空いたとか、何かや誰かに腹が立つとか、もう本当に気にしていられなくなる。
息さえできればそれでいい。


そんな日常であっても、どんなに疲れ果てていても、家猫のダイエットには進んでお付き合いする。

庭先を横断していく黒猫待ち。ストーカー気質あり。

昇り降りの運動が良いと獣医さんに聞いたので、階段往復に勤しむ。
新しい遊びだと思っているようで、楽しそうに2~3往復くらい簡単にしてくれるが、それは私も一緒にやるのが条件のようなので、毎回疲労負債が増えていく。返済の目途立たず。


いつかの日記だったかな。
春が苦手になったと記したことがある。
他界した母の癌闘病が始まった季節で、その時の記憶や感情を細やかに思い出してしまうからだ。

時薬の効果は未だにない。

心の凪を保つために、春が過ぎるのを夏が過ぎるのを、忙殺される日常に上手く隠れてやり過ごすくらいの術しかない。

声が聴きたいと思ったり
逢いたいと思ったり
話を聞いて欲しいと思ったり
誰にどう願っても、叶うことのない思いに溺れるような感覚になる時があって、まだ3年目だもんな、と自己救済することが増えてきた。

春が近い。

今年の桜はどんな風に見えるだろうか。

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