見出し画像

煙に巻く②カーテンコール

忘れないように、忘れたくない思い出を綴る。
カーテンコール①の続き。


2023年3月。
作業スケジュールの確認と、自分でも見ておきたい場所があったので安西先生のクリニックに来ている。
この日も事務長(アイスマン)は冷ややかだったけれど、かろうじて挨拶だけはしてくれた。

事務長、看護師4名、事務職員3名。
安西先生を支えている大切な人たちには、閉院することは既に知らせてあるそうだ。
ただ、外来通院している患者さんにはまだ伝えていないらしい。

「季節の変わり目にショックで熱でも出されると困るから、もう少し暖かくなった頃にと思っている」

すました顔で安西先生が続けて言う。

「それに、うちの患者は爺さんと婆さんが多いからね。話す前に往生するかもしれない。まぁ、僕も爺さんだから、人のこと心配している場合じゃないんだよ」

身も蓋もないようなことを言って煙に巻いているが、患者さんの次の転院先を考えているんだろう。

「そのうち私も婆さんですから」

どうでもいいようなことを言って、私もさらに煙に巻く。


さて。
今日は見ておきたいところがある。
診療記録(カルテ)の保管場所だ。
院長である安西先生の許しを得たとはいえ、カルテの保管場所は事務長(アイスマン)の主管轄だ。
同じく許可を得る必要があるだろう。

玄関先にアイスマンを見つけた。
自動ドアの調子が悪いのか、工具を片手に作業をしているところだった。
声をかけて事情を説明すると、ものすごく、本当にわかりやすい程に嫌そうな表情で、

「わかりました」

と、わかってない気持ちを隠すことをしない。

紙カルテの保管方法はいくつかあるが、大抵、アクティブとインアクティブに分類する。
現在も受診中の患者はアクティブ。
最終受診歴から5年が経過した患者(この年数は各医療機関でまちまち)、死亡した患者はインアクティブ。
最近はクリニックでも電子カルテが普及しているため、物理的な保管の苦労はなくなりつつあるけれど、安西先生のところは紙カルテなので、保管状況とその物量を見ておきたかった。

インアクティブのカルテが保管してある倉庫に案内してもらう。
もちろん、アイスマンは何も話さないし、私も取り繕うような会話をしない。ふたり分の足音だけが聞こえる。
クリニックのすぐ裏手にある倉庫がそれらしい。
ちょっと重たい扉をあける。

暗がりを想像していたが、扉の先は優し気な日差しが差し込んでいて明るい。
思っていた光景と違って驚いた。

7本の大きなキャビネットに所狭しと並んだファイルはきれいに整頓されていて、背表紙の色分けまでしてあり判別しやすい。
紙が湿気た特有の匂いがしないのは、ちゃんと換気して管理してある証拠だ。

背表紙が黒色なのは、おそらく亡くなった患者。
患者情報が更新されることはないため、一般的には院内規定の年数(死亡日から3年とか)が過ぎたら、棚から下げて段ボールに詰めて積み上げて、法定保管年数が経ったものから段ボールごと破棄していく。
だいたい、どこもそんな感じだ。

けれど、ここは様子が違う。
黒色の背表紙も取り出しやすい前列にそのまま並べてあって、丁寧に管理されている。

相変わらず、隠そうともしていない迷惑で嫌そうな表情のアイスマンにいくつか質問をして、嫌々ながらの回答をもらい、更に、一冊だけカルテを見させてもらって良いか尋ねると、

「・・・・・・・・・・・・どうぞ」

まぁまぁ長い沈黙のあと、閲覧の許可を得た。

大切に管理されているそれらを素手のまま触れて良い気がしなかったので、持参していた白手袋をする。

ちょうど目の前に並んでいた黒色の背表紙のカルテをめくると、やはり亡くなられている方のもので、2001年がその日だった。
一般的にはもう破棄していいものが、手に取りやすい最前列に並べてある。
奥の方にいくつか段ボールが積んであるだけで、まるで倉庫とは思えないほど綺麗に手入れされた空間だ。

ここには、過去と呼んでいいものは何もない。

誰がどのようにこの場所を管理してきたのか、ちゃんとした返事が返ってくるとは期待せずに尋ねてみると思いがけず、聞いた以上の返答を返してくれた。初めてまともな会話をしたのがこの時だ。

ずっと長い間、アイスマンがひとりで管理していて、雨の日以外は必ず毎日換気もするそうだ。
年に一度か二度、棚卸作業もするらしい。
もう随分前の台風の時に、倉庫の中にも風雨が吹き込んだらしく、濡れて湿気たカルテを一枚一枚外して天日干しして、綴じなおしたこともあったと、懐かしそうに教えてくれた。

「その人の最期を証明できる唯一のものだから、何十年前でも遺族の誰かにはずっと必要なものでしょ」

こちらに背を向けていたから、どんな表情でそれを話してくれたのかわからない。
確かなことは、この人の心にはちゃんと温度があって、きっとそれは他の人より少しだけ温かい。
人となりのそう言う部分を、用心深い安西先生はちゃんと見抜いていて信頼しているんだろう。(私には塩対応だけども)

「もういいですか?こっちも忙しいんでね」

やっぱりぶっきらぼうにそう言うと、さっさと倉庫の戸締りをして院内の方に歩いていく。
大股で歩く後ろ姿を眺めていると、なんだか可笑しくて笑えた。
嫌な人ではない気がした。多分だけど。

「お茶でも飲んでいきなさい」

外来診療が終わった安西先生が、用事が済んで帰りがけの私に声をかけてくれた。
先日とは違うお洒落な茶器でお茶を淹れてくれる。

ちょうど良かったので、リストアップしてきていた往診可能なクリニックの資料をテーブルに置く。
最近、往診診療を始めたクリニックが数件あったので、対応可能な地域を伺って安西先生のクリニック周辺までお願いできるところを調べておいたものだ。

「安西先生のほうがお知り合い多いでしょうから不要かもしれませんけど、念のためご用意しました。該当の患者さんが居たらご検討ください」

持っていた湯呑をすぐに置いて、安西先生は私の資料を手に取った。

「あぁ、〇〇先生ところは息子が戻って継いでくれたんだね。そうか、そうか。爺さん先生の方が往診してくれるんかね?
△△先生のところも往診するようになったんだね。そうか。うん。
あぁ~、ありがたいね。」

元々細い眼を、もっと細めて、嬉しそうに。

いや、違う。

満足した嬉しそうな笑顔ではない。
何かを納得するようにも見えたし、少しだけ羨ましそうにも見える表情だった気がする。

応接間の窓にかかる可愛らしいカーテンも、本棚の隙間に飾ってあるちりめんの人形も、亡くなった奥様の面影がそのまま、今もここに存在している。
その空間で、閉院する話をしているのだ。
日頃、飄々としている安西先生でも感情が動かない訳がない。

いろんな風に、いろんな記憶や感情が交差する。
安西先生も思い出さない瞬間はないのではないか。
忘れたくないと抗う思いがあるのではないか。
私がそうであるように。
良くも悪くも、それらはゆったりと纏わりつく。
それを簡単に断ち切るほど、人は潔く生きていないだろう。
それとも既に、折り合いが付いているのだろうか。

ちょっと聞いてみたかった。
何なら術を教えて貰いたいと思った。

お互いに、核心をつかない雑談ばかりして、また話を煙に巻く。

どの仕事も雑にやっているつもりはないけれど、今回は何というか、
いつも以上に配慮して、見えないもののことも考えないとダメだな。
帰り道はそんなことを考えていた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?