2019.11月号読書会

おはようございます!(おはようございます)年が明けてしまいました。みなさま記憶はどうですか?記憶は大丈夫。良かった。
今回は11月号の読書会です。みんな年末年始の折にウワワワーとなっていたため、今回は掲示板を借りてそこにコメントをつけあう形式で連作を読んでみました。1月号もちかいうちに出るはずなので、それまでみなさんも思い出し出し噛み締め直してみてくださいませ~
場所:ハイパーマックス(喜久屋レンタル掲示板)


まふゆちゃん/加賀田優子

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[1] 名前:迂回
やさしくて、でももうある程度世界が透けて見えてるからちょっと冷たく見えてて、それゆえにさらに優しいみたいな歌歌(うたうた)。一首選んで精読する方向でいきます

やきいもが焼きあがるまでブランコのそばにいてくれたお巡りさん

「やきいも」にも「焼き」が入ってるのに焼く、っていうのがとくに冗長にならないのは日本語の枠組みとはいえおもしろいんだけど、それでもほのかに幼さの属性がみえる。やきいもを焼く(焚き火)→ブランコ→お巡りさん の流れで視点が動いて、その3点の世界の中を読み手としてふらふら動き回っておもしろがれる。


[2] 名前:スコヲプ
根底に「あきらめ」の感情があって、でも恋人(とおぼしき相手)であったり世間であったりを突き放しているのとも違う、そんな感情の持ち方が冬の情景にしっくりとはまっている印象。

もしもきみが欲しくなったらあげる怪獣の皮でできたランドセル

「怪獣の皮でできたランドセル」って、「こども(男児)っぽさ」のたとえとして最高のところをついているな、というのがあって、そんなふうに「きみ」のことを見ているのだけれど、でも、そんなこどもっぽさを完全に突き放すでもなく「もしもきみが欲しくなったらあげる」と、猶予をもたせているような言い方に、一抹の暖かさがあるように見ました。


[3] 名前:はだし
この人(連作にいる人です)の今と過去が一首おきに読まれているのかと思いました。今=冷たさ、過去=あたたかさのような感じで。あとずっと与えられているんですよねこの人。自分からはいかない(いけない、かも)。だから、結構その受動的な感じや、今と過去との対比(あのころあったかかったな)で、読んでいてしんどさあるんですけど

コーヒーとそれを渡してくれた手のちからであたたまっている身体

ではじめて、あたたまって「いる」がくるんですよね。手元に今までなかったあたたかさがふっとやってくる感じが良くて。

もしもきみが欲しくなったらあげる怪獣の皮でできたランドセル

そこからの、唯一きみが読まれるこの歌。怪獣とかのチョイスも、あたたかさをくれたきみに対する、この人なりのテンション上がった(軽暴走)感じなのでは? と自分は思えてよかったです。ここでやっとちょっと救われるというか。最後の妙な(いいかもしれんしあんまかもしれん)テンションで終わるのもなんかこの中の人の行動っぽいな、よかったと思いました。


[4] 名前:谷川電話
 世界観の〈こどもっぽさ〉が魅力的な連作だと思った。
 1首目「紙ナプキン~」は、雪を知らない、あるいは現実のものとしてうまく認識できない〈わたし〉が、ちぎった紙ナプキンによって他人に雪を教わるという童話のような情景。3首目「ひどいことを~」では、〈きみ〉の「やさしい目」が見たいという欲求のままにひどいことをしていたと言ってるし、5首目「やきいもが~」では、〈わたし〉はブランコに乗って焼き芋が焼きあがるのを待っていて、それを一緒に待ってくれてる「お巡りさん」への警戒心というかおそれがまるでない(単なる「正義の味方」という認識)。8首目「もしもきみが~」では、「怪獣の皮でできたランドセルが欲しい」という自分の荒唐無稽な欲求を〈きみ〉もいつか抱くだろうという希望的観測が表現されていて、最後の9首目「くちびるに~」では、自分のくちびるに蛍光ペンを塗りたくって街(=社会)を通り抜ける。そして、連作タイトルは「まふゆちゃん」。
 こうして書いてみると、〈わたし〉は「こどもっぽいおとな」ではなく「こどもっぽいこども」なのではないかと思えてくるが、2首目「どの指も~」、7首目「コーヒーと~」において、自分の身体を通して〈きみ〉との関係性を捉えているところなんかを見ると、そんなにこどもでもないような気もしてくる。「おとなっぽいおとな」になることを拒否してるおとななのかもしれない。

ピタゴラ/ナイス害

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[1] 名前:迂回
ピタゴラスイッチのやつだ!と思いながら読んでると少しずつ逸れていって少し近いところで着地する。企画性高いけど企画性に食われてたまるかよの気持ち。

ライフルはアップルパイに突き刺さり うん、約束を果たせて良かった

「ライフル」「アップルパイ」の踏み方と、「うん」の間のとり方で気持ちよく読み切れる。ざくっとなにか突き刺したときのおしまい感が受け止められて「約束」につながるのも、なにかストーリーのラストシーンだけおいしいとこどりできてる楽しさがある。ストーリー想像したってしゃあないんだけどちょうどそこだけ食べられてる、という気分がたしかにある。


[2] 名前:スコヲプ
迂回の言ったことと重複するのだけど、きちっと「ピタゴラ的なもの」として成立させるように見えて、ちょっと違う、けど実は別の器に納まりました、という構造の作り方が鮮やか。

カチカチと等間隔のドミノらは風の拡張子をひらいた

全体として成立している感がすごいので、この一首、というのとも違うのだけれど、「ピタゴラ的なもの」が単一指向性を持って進んでいくものでありつつ、進む過程でさまざまなものが解放されていく感じが上手く描かれていると感じて、それが顕著なのがこの一首なのかなと。上の句が殊更にカッチリとした感じ、からの解放具合が爽快でした。


[3] 名前:はだし
タイトルとゆっくりと球は指から放たれて、のイメージからだんだん加速していく球の速度に合わせるように読んだ(読まされていった、かも)んですけど、全然つっかえないままいけたのが良かったです。どの歌も、ものすごく韻律がいい。迂回さんのいうライフルの歌の間の取り方とかもそうなんですけど、ちょっとずつズラしながらもそれが崩れることはない。ピタゴラ装置にもある精密さや工夫が全体に仕掛けられているなと思いました。

ぷっくりと「ピ」の水ぶくれ 前髪を揺らすくらいの12月です

オチ。本家のピタゴラもこのくらいささやかだったなー、って思わせる前髪を揺らすくらいの12月ですって締めがとてもよかったです。


[4] 名前:谷川電話
 へんてこな「ピタゴラスイッチ」の連作。2首目「カチカチと~」は、等間隔に置かれ、カチカチという音を立てながら次々と倒れていくドミノたちの様子を「風の拡張子をひらいた」と表現していて、おもしろい(「カチカチ」からクリック音を連想?)。この歌は抒情している感じがあるのだけれど、その他の歌は抒情を拒んでいるような感じがある。
 それに、「ピタゴラ」をカメラ視点的に描写するのかと思いきや、結構表現の抽象度が高かったり、状況の説明がなかったりする。そこが「ピタゴラ」からのズラしであり、テーマなのかもしれないと思ったりした。


[5] 名前:加賀田優子

カチカチと等間隔のドミノらは風の拡張子をひらいた

ダブルクリックでひとつ風のがひらいた、と思ったんですが、ドミノなので倒れていくので、そのカチカチぶんだけそこらじゅうの風がひらいていって、吹き抜けていっているようなイメージがひろがって、わあーとなりました。でも一首目がスローモーションではじまったからか、強風!速い!びゅごー!みたいなのじゃなくて、おおきくぶわうー、といろんなものをのせてひろがっていく風だなって思うのがおもしろいです。最終的にそよそよになってる。
持っていたものを手放すと、それが知らないところで知らないことを経て知らないものになって返ってきている。それはちいさいけれど確実に、なのだな、と思いました。

読み書きと小判/迂回

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[1] 名前:スコヲプ
テキストへの信頼や、よくある短歌的な文法をことごとく逆手に取っていくような一連。文章やそれにまつわるアナログ的なものへの信奉にはやんわりNOと言いつつ、独自の方向へ展開する。とくに最後から三首の展開の怒涛ぶりと、カタストロフィ的な終わり方がやばいな。

文字入りのカシューナッツはどうですかビールがまるで滝のようです

「文字入りのカシューナッツ」とか、本当にそんなものがあるのかといえば、たぶんない気がするのだけれど、これがあるとすることで、「まるで滝のようなビール」というスタンダードな比喩がものすごく空虚なものに見えてくる。連作のなかでこれだけは定型におさめているのも、そうした既存の枠組みをくすぐりにいってるように見えて、良い。

[2] 名前:はだし
なんというかラジオの周波数のつまみをいじってる時のような気持ちになります。雑多さ。たまにどこかで自分にあうものが見つかるかもだし、全然見つからないまま終わっていくこともありそう。ヲプさんの言うことごとく逆手に取っていく、な感じもなんかわかります。

 手動主義そんなきみにも電子書籍いいですよ手動でいろいろできますよ

リズムが不思議でなんか好きです。上句(5・7・5)がふたつくっついたみたいな。なんか説明してくれていて、それがまだまだ続きそうな予感、をこのリズムから感じました。あとどうでもいいですが手動主義です、説得されたい。

編み出した自作の手話はオークション会場に革命をもたらした

これは自分に合うのが見つかった!という感じでした。読んでいて唐突に来たので余計に。別の所ではっとなった人ももしかしたら同じ気持ちなんじゃないかなって思います。なんなんだあれはとオークション会場全体がどよめいてる感じがあって好きです。人がわあわあ言うてるのが。


[3] 名前:加賀田優子

① 死んでるが生きてる時期もあったろうと思う落書きだらけの絵本
② ちんこってびっしり書いた真っ黒な紙から始まらない物語
③ 亡くなった祖父をtext_encoder.exeにかけたら文字は地球をまっくらにして、もとに戻ることはなかった。

①・②は、つぎにこれらを手に取るだれかがいたら、まだ生きかえったりはじまったりしそう。でも③はもうだめ。実行してしまったから。
「手動」と「手話」の歌もですが、そっちを信じていく方向だともうちょいいろいろに可能性残されてるんじゃない的にしているけれど、可能性が残されていることがほんとうにしあわせか?という気持ちにもさせられました。まっくらになってもう戻らない方がよく眠れるかもしれない。

アイシクルレイニーチョップそうそれは冷え性が放つびしょびしょのチョップ

あと、この歌の立ち位置をさいごまで考えていて、いちばんの物理!!ということなのかなと思いました。 氷の手刀よふりそそげ!

[4] 名前:谷川電話
 読み書きをテーマにした怪しげな文字列が次々と流れてくる……そんなイメージの連作。新幹線車内の掲示板にこんな文字列が次々と流れてきたら、目が離せないし興奮すると思う。名古屋ー東京間でもぼくはずっと見てられる。
 4首目「文字入りの~」、6首目「ちんこって~」、8首目「亡くなった~」が怪しさが特に強くて好き。

moshi moshi/スコヲプ

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[1] 名前:迂回
しずかな雰囲気。会話、動きより内心でぎゅっぎゅっと噛みしめる歌が多いからかな。

へんなかおとか言うけれどぼくなりに秋の終わりを伝える顔で

ああそっか伝えるものなんだ、ていう気づきと、それがへんなかおであるっていう嬉しさ楽しさ。「ぼくなり」にならざるを得ないものが残っているのはたいそうありがたいことで、「秋の終わり」は間違いなくその領域にあるんだろうと思う。

[2] 名前:はだし
ずっと核になるものは避けられていて、それによってうまれる空気感を保持したまま走り切ったことががなんか、良いです。自分らには全然届かない位置にいる、この人のこころは。

 情報はすくないほうが綺麗でしょうたとえば夜がそうあるように

この人のスタンスというからしさがみえる一首と思います。言っとかないと、読み手に「もうちょい心の内を言えよ」と思われちゃうくらいのタイミングでふっと現れるのが良き。たとえば、で出てくるのが夜なのも正しいと思います。この「夜」には反論のしづらさがあると思うし。言いかえせなさで、距離をつめてきていた追手(読み手)の足を止めて、うまく振り切ることができたんじゃないかって思う。

 かといって他に渡せず外国のたぶんネコ科の置物を置く

ものすごい抽象的で、でも気持ちは何となくわかる。すくなさからくる綺麗な部分をうたっていると思いまーす、好き。

 エントリーナンバー5「かくれんぼ」1から4番までも隠した


なぜか欽ちゃんが浮かんでしまった。闇の欽ちゃん

[3] 名前:加賀田優子
臆病ですぐもやもやしていてでも生活している、と思いました。自分で自分をもてあましがち。
それがいちばんぱちっとはまっているのが

カーテンに火がつくシーンで怖くなり止めてそのまま観てない映画

だと思います。あと、

かといって他に渡せず外国のたぶんネコ科の置物を置く

も。かたちをかえていろんなひとが経験していそうなところを掴んでいる。自分で選んでいるはずのものをこれでいいのかなといつまでも迷ってしまいそうになる自分。

情報はすくないほうが綺麗でしょうたとえば夜がそうあるように
Once upon a time, there was ぼくのいる今も昔は良かったと言われるだろうか

の、二首は、なんとなく同意を求めていて、だけれどそれが得られるかはわからない差し出され方なので、さみしく立っているような印象を受けました。

[4] 名前:谷川電話
 3首目までの不穏さは、8首目「Once upon~」にあるように、「ぼくのいる今」への不信感と恐怖が根底にあるのではないかと思う。4首目以降には、この不穏さがない。個人的には、4首目以降も、3首目までの路線を期待してしまった。
 10首目「歌うように~」では、「ほんとうのことは言葉にせずに」と表明することで、むしろ<私>の誠実さを露わにしている。臆病で誠実な<私>が、「ほんとうのことは言葉にせずに」生きることで、<世界>との関係性がどのようなものになっていくのか、知りたいと思った。

唐辛子の種/谷川電話

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[1] 名前:スコヲプ
全体的にみればおだやかな小旅行や日常の光景?というところを集めていて、言葉遣いにもやさしみを感じるのだけれど、そこに「権力」「首都」「死者」といった言葉が異物めいて入ってくる、不穏とまではいかないけれど、不安な感じもちらつく、そのさじ加減に面白みを感じます。

よりよい洗顔料を求めて薬局をさまようたとえ死者であっても

「死者」は自分自身をたとえて言っているとして、その前の「さまよう」がいい具合に使われている。まるでゾンビが生前の記憶を頼りにおなじ行動を繰り返してしまうように、思考もなくなるほどに疲れはてているけど、でもその行動をしなければいけない。そうすることでどうにか生きていることを保てている、そんなふうに読みました。


[2] 名前:迂回
全体おもしろさがたくみ。短歌としておもしろいことをやる場合にはこうするんだぞ、を見せつけられて打ちひしがれました。なんか長く書いてもあれになったので短く2首挙げます。

泥濘にまみれた沢蟹こんにちは、かつてこんにちはということばがあった

上句の絵本ぽさからの下句の滅びた後っぽさ。急にどうした。

バッハならどんな髪型にするだろう二〇一九年の熱海で

あほJRのコピー


[3] 名前:はだし
めちゃめちゃよかったです。

 鼻の穴がひろがったんだ、美しくひろがるんだな鼻の穴って
 ペンギンがにせものの海へとびこんだ途端にきみは風邪だと明かす

対になっていると思いました。最初になんだこれはと思うシーンを持ってきて、後にそれが風邪によるものだと知らされる。くしゃみしたのかしそうになったのかはわからんし、切り取る視点はちょっとアレですけど、「あー」となる部分を組み込んでいる。自分はここで「あー」となって1首目へ戻ったんですけど、そこから7首目へふたたび戻るときに7首目までの遠さを感じて。ここまでにこんなに色々あったんだな、と思いました。それが、旅の終わりに出来事を思い返すのと似たような働きをしていて。
だから最後の

 ありがとうラーメン、またね 唐辛子の種かな噛みながら帰ろう

の「帰ろう」にすごくやられました。余韻~

 バッハならどんな髪型にするだろう二〇一九年の熱海で

ウケました。迂回さんの「あほJRのコピー」にも笑いました


[4] 名前:迂回
コメントでウケ取ったのはよしとしてもやっぱもうちょいなんか書くか、となったので書こう

鉄棒はいいなまわればまわるほど首都のこととか忘れられるし

このあたりで特に、ぼんやりとでかくてどうしようもないものを思う気配が漂ってるなとおもった(「トラック」「権力」「死者」、バッハもか?あと5首目の滅びた感)。
でもその気配のない、はだしも上げてる1首目と7首目、くわえて8首目もかな、が日常の近いところを思うパートとして分けて読むこともできそうで、「どうしようもない」パートに対する対比というかコントラストとして互いに強め合ってる効果があった気がしてきた。


[5] 名前:加賀田優子

ペンギンがにせものの海へとびこんだ途端にきみは風邪だと明かす

ペンギンが遠くに行ってしまったから、「きみ」がすこし帰ってきたのだと思いました。にせものの、だけど海にペンギンが飛び込むまでは、「きみ」はほとんどペンギンのようなきもちでペンギンをみていた。でも、取り残された。結局「きみ」はペンギンではないしなれないし、「きみ」に戻ってくるほかない。そうしたあとの「きみ」の気持ちは、感覚は、ただの「風邪だ」と言うところにおさまっていく。「風邪」では伝わらないのだけれど、そう表現するしかないなあというもの。いつもは忘れているのに、ふいに出てきてまたすぐ忘れてしまう、そういう種類のさみしさが入っているように思います。

鼻の穴へのうっとりとか、バッハヘアスタイルへの想像とか、基本的に現実をみながら思考が遥かなところへいく雰囲気のひとが、さいごにぴりっとしたもの噛みながら帰っていく。唐辛子の種っぽいものが気付けがわりみたいだなと思って、地に足をつけるというか、なんとなく、バランスを取っていこうとすることについてを考えたりもしました。

以上!になります!今年も野生の短歌をゲットしていきましょうね。

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