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夢を見るのは諦めた

これは2年ほど恋愛界隈に入り浸ってきた僕が考えるあくまで一意見です。ですが、おそらく遠からず少なからず当たっているところもあるのかなと思います。

こんにちは、ユーヤです。

早いもので、僕が東京に来てから2年の月日が経ちました。

東京には僕は現実世界の知り合いが一人もおらず、今連絡をしている人はすべからく東京に来てから一から積み上げてきた友人、そして女の子と関わっています。

昔の会社の人や、もう会うこともないだろう小中高の友人たちは「友達リスト」から非表示にしてしまいました。

嫌いになったわけでもなく、ただ単に自分から「会いたい」と連絡することはないだろうなと思ったからです。

まぁ、なんかあればFBで繋がれるご時世ですからね。

無理して過去の人間関係までつなぎ続ける必要はないのかなと思います。万が一結婚式でもするときにはなんかしらのツテを使って招待状をぶち込むことでしょう。

唐突に話は変わりますが、最近は本当にブランディングの世の中になったなと思います。

相手の顔をチラッと写して「かわいい子ゲットしました!」とか、「Gカップの巨乳ゲットしました!」とか。

僕はそれをみて、正直、「めっちゃ羨ましい!!!」と思ってます。結構本気で。だって羨ましいもん!!

なんですけど、「だからって自分が同じようにスト高をゲットできるか」というと、「それは今はできない」と現実をみて手放すことができるようにもなりました。

ほんの一年前の自分だったら、「いつか自分もそんな風に毎日違う可愛い子を抱いてみんなに自慢できる日がくるだろうな」と思っていました。

今日は、自分に対して、「そんなことは起こりません」とここで断言させていただきたいと思い、今回このブログを書き始めました。

ただ、「今は」という枕詞をつけていることはあとから説明させていただきますね。

現代と過去にある大きな隔たり

人類史についてはあまり詳しくないですが、昔は写真がない時代があり、テレビがない時代がありました。

昔の人類は、きっと目の前にいる女性にだけ憧れ、恋をし、目の前のパートナーになんの疑問も持たずに子供を作り、「いい人生だった」と言いながらきっと死んでいったのでしょう。

写真ができ、「目の前にいない異性」を見ることができるようになりました。テレビがでて、「目の前にいない異性」を追い続けることができるようになりました。

ネットがない時代の彼らはこう思っていたことだと思います。「あの人きれいだな。でもきっと手が届かないだろうな。」「あのアイドルかわいいな。でもアイドルには俺は手が届かないや。」

(まぁ、言ってもほんの30年くらい前の話ですが笑)

しかし、近年は状況が大きく一変しました。

そう、インターネットの誕生です。インターネットはとても便利ですが、同時に多くの、いや、多すぎるくらいの情報を運んできました。そして、その多すぎる情報は一般人である僕には夢を現実と錯覚させるくらいの魅力がありました。

一般人であるツイッタラーは日々かわいい子らしき人を抱いていました。

「あぁ羨ましい。。。一般人の彼らにできるなら、僕にだって。」

ネットで見れてしまう
抜群にすごい男たちと、抜群にかわいい女たち

僕はネットで繋がれる全ての人を一般人という同じスペックの人だと考えていました。

同じなのは「性別が男である」。ただそれだけ

「アイドル即!」

「Gカップキャバ嬢即!」

「モデル即!」

(※即とは、SEXすること)

とても羨ましいなぁと思いながら毎日活動記録を眺めていました。そして、「いつか俺だってそうなれる。だって、一般人の彼らが同じようにやってるんだから。」

そして、ツイッターで自慢(風)のツイートをしている”彼ら”は、僕とは違う人間です。

顔も
身長も
体型も
ステータスも
懐事情も
家も
仕事も
学歴も
生きてきた人生も
見てきた世界も

僕とは違います。にも関わらず、僕は「同じ一般人だから」という理由で「いつかはいけるはず」と考えていました。(そう、今は)

もしかしたら、自慢げに(見える)ツイートをしている彼は、

高身長で
イケメンで
バリバリ稼いでいて
うっとりするような人生経験を積んできて
学歴優秀で
素晴らしい仕事についている

そんな人かもしれません。

性別以外全て僕と違うのです。

そして、もしかしたらそんな子をゲットしているということ自体、本当のことではないのかもしれません。

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かわいいあの子は芸能人ではない。ただそれだけ

ネットの普及によって、かわいい女の子を気軽に見れる時代になりました。

twitter
tiktok
マッチングアプリ(東カレ、ペーターズなんかは特にレベル高)
生配信サイト
youtube
ギャラ飲みアプリ
AV

画面を見て僕はこんなことを思います。

「こんなにかわいい子がいるのか〜いつかゲットできるのかな〜」

でも、それは叶わぬ夢だと知ります。(そう、今は)

その子はただ「芸能に所属をしていない」というだけで、十分芸能界でやっていけるビジュアルをしているのです。そして、そんなかわいい女の子の周りには

高身長で
イケメンで
バリバリ稼いでいて
うっとりするような人生経験を積んできて
学歴優秀で
素晴らしい仕事についている

そんな人が周りにたくさんいるのかもしれません。
そして、おそらくそんな人がいる可能性がとても高く、また比較されているのです。

付け加えていうなら、今は加工でどれだけでもかわいくなることができる時代です。

もしかしたら、僕が画面越しに見ているかわいいキラキラ女子は、この世に存在していないかもしれません。

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そう、僕は、同じ一般人だというただそれだけのことで「彼らと僕は同じ位置だ」と認識し、会えもしない美女に恋をしました。

トーク力とスト値をあげれば、やがていつかはそのレベルまでいける。と信じ込んでいたのです。

自分の浅はかさと、ネットというまがいものにとらわれていました。

現実でゲットできる女子とtiktokでかわいく踊る彼女らを比べて「可愛い子即れてないじゃん!」と嘆いていました。

大切なのは今の自分は美女を抱くのに値するのか?ということを認識して、現実と理想のギャップを限りなく埋めていくことだと最近強く思っています。

今の自分に美女は抱かれるか?まぁ、多分無理だろう。今は。

地に足をつけてひたすら自分を磨くということ。

恋愛界隈においては、こと「スト値」と「トーク力」に意識が向きがちです。

スト値が高ければ、我々が美女に思わず目を止めてしまうのと同じように、有利な状態で場を運ぶことができるでしょう。

でも、タイプが違う人には刺さらないかもしれません。

トーク力が高ければ、僕は面白い人だったり、尊敬される人として相手が魅了されることもあるかもしれません。

でも、相手にとって僕が話を聞くに値しない人だと判断されたら話す機会すら与えられないかもしれません。

夢を見るのは諦めた。このままでいけると思うな。地に足つけろ。自分を磨け。

本当に大切なのは、ひたすら自分を磨き続けることかなと思います。

それは、スト値だけでもなく、トークスキルだけでもなく、仕事を頑張って社会的地位をあげたり、収入をあげたり、豊富な人生経験を積んでみたり、たくさんの人の価値観に触れてみたり。

めちゃくちゃかわいい美女に会いたかったら、西麻布の高級ラウンジに行き、ペーターズでパパ活をしたらいい。

本当にかわいい女性に会えるはず。

一方で、一般の僕にはそんな女性と会う機会すら用意されていません。(騙せば会える手段はありますけど、今回は横に置いておきます。)

金で心は抱けませんが、金がないと会うきっかけすら作れません。
金の集まるところに美女が集まるからです。

金もあって、社会的地位もあって、恋愛経験もあって、トークスキルもあってこそ、高ランの女性の心を掴めるのかなと思います。(あとは、ほんの少しのかっこよさ)

まぁ、顔がよかったり身長が高ければまた違うのかもしれないですけど。

夢を持つのは諦めろ。今のままじゃ無理だ。

だけどできないと諦めるな。現実を扱え。

スト値やトークに逃げるな。

やった気になって満足するな。

スペックをあげる。金を稼ぐ。地位を得る。女の子に気前よく金を使えるようにする。

持たざる僕はひたすら刃を研ぐのみ。

いつか、画面の向こうの彼女たちに手が届くと信じて。

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