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軟石やのこと

※2020年8月3日にFacebookに投稿した文章

今まで言わなかったこと
勝手に時効と解釈して書いてみよう

今までで1番長いです(笑)

なんで軟石が好きなんですか?
とよく聞かれます。
たいていは建前上の理由を言う。

けどほんとはきっとこうだ。

父親の実家が小樽で普段は
ケンカばかりしている両親が
普通の夫婦を装って出かける先が
小樽の祖父母の家だった

帰り道は必ず色内のあたりで
3人でぶらぶらして
かま栄でかまぼこ買って自宅で夕飯

家に帰るまではケンカをしない
だからきっと小樽は私にとって
幸せな時間の象徴で
あの石蔵が並ぶ街並みが安心できる
拠り所のような記憶として
すりこまれているのかもしれない

今も小樽に行くとなんだかキュンとなる

高校の時片思いながら大好きな人と
デートしたのも小樽だったし(笑)

あ、今思い出した。
結婚することになり、
遠くに引っ越すからとその彼に
さよならを言ったのも
小樽の港だったなぁ

不思議だ

ま、それはさておき。

2012年39歳で辻石材に
入社させてもらった
いとこのお姉さんが軟石が
好きな私をスカウトしてくれたのだ。

人生で最もやってみたかった
軟石の営業の仕事だ。

ワクワクしかなかった

しかーし。
実際は経理の方が退職したので、
経理がメイン。
私が当時、いや、今も苦手とする
経理の仕事。
嫌で嫌で仕方なかった。

また当時の税理士さんとは
話が通じなくて
教えてもらうというのも無理。
帳簿はすべて手書き。
まるで私には意味不明の暗号。
事務所には私だけ、引き継ぎ無し。

一日中その暗号がかかれた紙と向き合う。
一向にわからない宿題を毎日やるあの気持ち。

頭から火が出そうだった。

社長(いとこの旦那さん)
にお願いして会計ソフトを
入れてもらった。生意気な新入社員だ。
なんと!意味がわかり始めてきた。

そんでついでに?
税理士さんも変えてもらった
なんと超生意気な新入社員!?

しかし、その税理士さんは
めちゃくちゃ優しく丁寧に
教えてくださり、目の前の扉が
眩しくパッカーンと
開いていくのがわかった。
感謝してます。M先生。

一日がかりだった経理の仕事は、
なんと午前中には終わってしまい、
電話が鳴るまで仕事がないくらいになった。

よし、チャンスだ。

まずは札幌軟石のリアルな認知度が知りたい。

イベントに出たいと社長に相談、
芸森アートマーケットに出るために、
職人さんにお願いして、
鉢をたくさん作ってもらった。

いざ出店。2012年5月
その時、石材店の名前では
堅いので屋号を「軟石や」とした。

お客様は、不思議な顔をして、
なんで石売ってるの?何これ?と
質問してくる。
興味を持ってくれている!
この出店の1番の目的は
アンケート調査だった。
50名の回答から、
見てすぐ札幌軟石とわかる人は
30%以下で、50代より上の南区民。
ハッキリとした答えが出た。

その前に勤めていた会社で、
大手食品メーカーや、
電力会社のアンケートのデータ分析と
報告書を作成していたため、
同様に作成して社長へ
課題や問題点を報告した。

会社としては、札幌軟石を
建材としてたくさん採用してもらいたい。
しかし、現状認知度が低く、
名前も知られていない。
ということは、インターネットで
検索すらされないということ。
10年、20年後を見据えて今から
手を打たなければなりません。
若い世代に気軽に触ってもらえる何か
新しいスタイルにして、
アピールをするところから
始めてはどうでしょうか?と

しかし、取り合ってはもらえなかった。
「札幌軟石を知らないわけない。」と。
会社は毎日見ている当たり前に埋もれていた。

会社として動かないなら、
生意気な新入社員ができることをやる。
勤務時間が終わったら、
採掘場に行き、M氏を巻き添えに
採掘場の写真を撮りまくった。

唯一札幌軟石を採掘する
会社をPRするために、
ホームページを作り、ブログを書いた。

なんにも知らない素人が見た、
札幌軟石の採掘場。
それは何にも知らないお客様と同じ目線。
二度と戻れない軟石ゼロ地点。

職人さんの仕事を見ていたら、
作ってみたくなって、社長に相談した。
まさか、こんなに本気でやるとは思ってなかったみたいだ(笑)

採掘場に捨てられている端材を
商品として成立させて、
不要な扱いをされている軟石を
無くしたかったのと、
アイディアを加えたら
宝の山になるに違いないと確信していた。

端材を購入し、石蔵の素材だと
知らせるために家の形にした

かおるいえは、軟石に携わる
きっかけをくれた彼女に
恩返ししたくて彼女の名前から
ヒントを得て生まれた

実は最初は丸いだけの、
アロマストーン、かおるいしだった

週1回の休み、自宅の庭で加工して、
翌週ハンドメイドのイベントで
販売と軟石のPRをした。

お客様は面白がってくださり、
30個しか作れなかったけれど
ほとんどが売れた。
採掘場を訪れる人まで現れた。

結果を毎回報告するも、
やはり答えは同じ。
趣味の範囲で楽しくやりなさい。と。

これだけ手応えを感じている。
伝わらないもどかしさが、
私の生意気さに拍車をかけた。

その頃、会社も売上が芳しくなく、
誰か職人さんをリストラする
という話が出た。
事務員の代わりはいるが、
職人の代わりはいない、私辞めます。
父が事業をするみたいだから
手伝いをします。
と手伝えとも言われてないけど、
根も葉もない噂を流されたり、
面倒で生意気な新入社員に
一部から追い出し風も吹いていた。
これ以上関係を悪化させるのも
良くないし会社を辞めた。

軟石もやめて就職探そうと思った。

辞める予定がなかった頃、
たまたま申し込んでいた
商工会議所の異業種交流会で、
かおるいえを見せびらかした(笑)

そこでありがたくも、
福祉事業の会社にスカウトしてもらい、
障害がある方のお仕事にしたいと、
指導する側の社員として
軟石やを立ち上げていただいて、
今の工房スタッフOさんと出会った。
発寒のアパートの1室。
すべての加工機械を揃えてもらい、
私は制作はせず、営業に徹する
ということで毎日スーツを着て出社してた。

しかし、半年で会社を閉じると言われ、
全部あげるから新しい工房を探して
独立しなさいと言われた。
K社長ありがとう。

ピーンチ。
お土産やさんとの契約はあったものの、
当然暮らしていけるほどなんて売れない(笑)

しかし、やるしかない。
その時スタッフOさんが、
やれるとこまでやってみよう?
一緒についていくから。
と言ってくれた。

2015年8月に石山の
可愛い石造りの民家が
私たちの拠点になった。

すぐにじゃらんの取材。
これが救いだった。
お土産やさんからの取引依頼を
たくさんいただき、
お取り扱いいただける店舗が増え、
テレビや雑誌、ラジオなど、
変わった物を作っているお店は、
取材をたくさんしていただけると実感。
ほんとにありがたかった。

変わり者で良かった(笑)

それから5年。

多くの方々に助けていただいて
支えていただいて迎えられる記念日

皆さん、ありがとう。

トランプゲームみたいに
持っているわずかな手持ちのお札を
今はどこに支払うのがいいのか?
こっちが先だ、あっちは
あと何日猶予がある。とかしながら来た。

今までお世話になった、社長たちの気持ちがやっと理解できた

2019は休まず働いた。
途中車の中で何回も大声で泣いた。
仕事を受けすぎて、
抜けて迷惑かけたり、
いろんな焦りや不安に襲われた。
けど、誰にも話せなかったし、
みんなの前では馬鹿な感じで
笑っていようと心がけていた。

もうダメだと息抜き。
B☆Bが大志として行く町へ
1人旅することで、
少し自分のことを取り戻した。
目的がないとできなかったな。

どこへ行っても石ばかり見ている自分に笑う。
斜里町へ日帰りで行った時から
おでかけ軟石を始めて
出かけるための新しい目的ができた。

2020、私はコロナにより
たくさん時間をもらい、
自分を楽しませる事を取り戻した。

新しい体験をたくさんさせてもらったし、
これからも自ら新しい事を探して体験、
挑戦していこうという気持ちをもらった。

軟石のゼロ地点には戻れないように、
新しい事の初体験には二度と戻れない。

しかし、まだしたことがない事は
一生かかっても体験しきれないくらいある。

そこにまた何か発見があるかもしれない。

軟石がいろんな人と出逢って、
いろんなスキルや人生経験から
新しい形に変化していくように。

いつか札幌軟石の雑貨は、
当たり前や普通になればいいと
願って来た。
札幌では誰もが気軽に扱える
素材として、あの宝の山に
端材を買いに行けるようになればいいのにと願っている。

これから軟石やは、販売より体験を大切にしていきたいと思っている。

私が経験して楽しかったことを、
誰かにバトンタッチできたり、
一緒に体験できたら、
ただ作って並べて販売するより、
ずっとずっと楽しくて意味があるように思う。

長々とこんな事を書いたのは、
5周年は迎えられないと覚悟した時があったからだ。

諸行無常
胸にしっかり刻んでいる言葉

軟石やが無くなったつもりで、
これからも機会を見て、軟石やの内側、いろいろ公開してみようと思います。

最後まで読んでくださってありがとうございました。

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