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5/24 河合隼雄『おはなしの知恵』

おはようございます。
氣がつけば、また河合隼雄を読んでいるショローです。
読むたびに新しい発見があって、何度読んでも一向に飽きない。
ワタシが「ざる頭」ということもありますが、河合先生の著作は「スルメ本」なのであります。

『おはなしの知恵』の中から抜き書きした文章をいくつか。
朝日新聞社・2000年出版

佐野洋子さんのイラスト

『白雪姫』
自立しよう とする女性は、自分の母性の中にある ネガティブな側面を意識しなくてはならない。
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ワタシの場合、23歳ごろまで母の言いなりで「婿を取って実家の寺を継がなければならない」と思い込んでいました。
その前の大学時代4年間は往復5時間かけて通学していたのです。このとき、電車の中で何度も失神し、大学病院で「自立神経失調症およびからだのわりに心臓が小さい」と診断されたのでした。
そうしたなかでも、父亡き後僧侶の資格を取り、寺を切り盛りしてきた母は、なんとしてもワタシに寺を継がせるべく見合いの話を次から次に持ってきては、「早く結婚して親孝行しろ」とせっつくのでした。
ワタシは嫌で嫌で仕方がなかったけれど、格別何をしたいわけでもなく、何ができるわけでもないタダの20代でした。
しかし、あるとき「いまどき母親の言いなりになることはない」と氣がついてひとり上京するわけです。このときは実に葛藤しました。人生初の葛藤だったかもしれない。とはいえ解放感に満ちたひとり暮らしの東京はそりゃ楽しさマックスでした。一方でひとりで寺を守る母を想うと、疚しさのようなものも感じたものです。ワタシのなかの「母殺し」の時期がまさにこの時期だったように思います。
その後も母の呪縛はワタシが50代になって母を東京に呼び寄せるまで続きました。
母から離れたとき、改めて母のありがたさも分かったし、逆に母にあやうく呑み込まれかねなかった危機も感じた。ワタシが一度たりとも「子どもを欲しい」と思わなかった理由もおそらくこのあたりにあるのではないか。母の子に対する所有欲への嫌悪みたいな、まぁ、それだけではないですが……。

『花咲爺』
老人が過去にこだわり出したり、「せっかく何々したのにダメになってしまって」などと嘆きだすと、物事が停滞し始める。 
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最近「80年代ヒットメドレー」などを嬉々として聴きながら歌い踊っているショローですが、過去の恥ずべき&忌むべき出来事なぞはなるべく思い出さないように心がけています。
これまでこころない言動でいろんな人を傷つけもした。穴があったら入りたいと思うようなことも多々やってきました。
しかし、起こったことは起こったこと。過去を嘆くより、今をご機嫌元氣に過ごすしかやりようがないのです。そう肚をくくってしまう。いまさら仕方のないことを悔やんでもしょうがない。グチグチ云う不機嫌な年寄りより、ご機嫌元氣な年寄りになろうと思うとります、はい。

『まっぷたつの男の子』
我々の日常の経験からしても、全くの善玉の人というのはしばしば「 大きなお世話 」と言いたくなることをするものだ 。
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先日もある人から「大きなお世話」的ことを延々云われてすっかり氣が滅入りました。「こういう人にならないように注意しよう」と心底思えた。そういう意味では役に立ってますね、その人も。
ムカッとする原因のたいていが善意の一言なんですよね。
いかにも正論、云ってる本人はそれしかないと思い込んでいる。ホント、こんな人と言い合いしても労力の無駄でしかないので、今後は視界に入ったらピャッと逃げようと思っています。

『かちかち山 』
このような話を通じて、自分の心の中の残虐性についてもある程度 自覚をしておく方がいい 。多くの場合 、最も危険な人は、自分を 徹頭徹尾「善」であると信じ込んでいたり、一度も自分の残虐性などに思い至ったことのない人である 。
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こういう人って、自分を疑ったことがないんでしょうか。
ワタシなんぞ、常に「ホントに大丈夫か、ジブン?」と言ってる。
まずジブンを疑ることからスタートするです。
かといって、ジブンを嫌いにはならんです。
とにかくジブンのなかにいる分身たちに問う。
この会話を続ける限り、そんなに無軌道にはならんように思います。
日の当たるところにいるなんりひでこ、影のなんりひでこ、男性性のなんりひでこ、女性性のなんりひでこ、小3のなんりひでこ、20代のなんりひでこ、なんなら80代のなんりひでこだっている。
みんなでやりとりしたら、けっこううまいこと調整できる。
今はそんなふうに思ってます。こんな発想ができるから、年をとるのも悪くないですな。

『かちかち山』
現代人は互いに傷つけ合って生きている。 そして、 ありがたいことに そのような傷を通じて人間は より深い世界に入ってゆける。痛みを通じてしか認識できないことは、この世にたくさんある 。
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「なぜ、このヒトはこんな無神経なことができるんだろう」と思うことがあります、ありました。
今思うに、そういうヒトは深く傷ついた経験がないか、あったとしてもその痛みとちゃんと向き合わなかった。はやく薬を飲んでしまって、症状は抑えたけれど、根本である痛みの意味を考えなかった、といった感じかな。
話をしていて面白くないヒトというのは、オノレの闇を覗いたことのないヒトかもな、なんて思います。言葉に深みが感じられない。それ以前にオノレの言葉がない。
たとえば食事をするとき、他の人たちの食べる速度に構わず一人だけ食べ終わってしまうような……、そういうヒトの話には一向深みを感じません。
なるべくなら会話も滋味を味わえるのがいいですな。
じぶんから傷つけなくても、傷ついたら十分その痛みを味わい尽くすくらいの意気込み、それが欲しいですね。

倖せのごっちゃり

ではでは、今日もご機嫌元氣な1日にしましょう。



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