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4/17 タイト&ルーズのバランス

おはようございます。
ここ1ヶ月くらい、毎晩ますむらひろしの漫画を読んでいます。
昨夜読んだ『アタゴオル』⑧の「南腹乱魚」にハッとした。
主人公ぐうたらデブ猫のヒデヨシは絶滅危惧種「南腹乱魚」の最後の1匹を食ってしまう。周囲が「貴重だ、貴重だ」とありがたがっているのを尻目に、あっけらカーンと水槽に入り込み、ペロリンチョするヒデヨシ。

保護団体が「たった1匹しかいない貴重な魚を食うとはなにごとだ、発言を撤回しろ」と言う。それに対して、ヒデヨシ
「たった1匹がいけないなら、こやつが1億匹もいたら食っていいんじゃろう」と言う。

「ダメだ、この魚は実に利口な魚だからな。知的な魚を食うなんて野蛮な猫のすることだ」
「するとバカな魚は食ってもいいが、知的な魚は食うなと言うのかね」
この辺のやりとり、グサッと来ませんか?

ヒデヨシは衣装持ち

結局、最後の1匹を食べてしまったヒデヨシは、その後腹痛を起こし、やがてそのからだから、わんさか南腹乱魚の子が生まれ出ます。そう、絶滅を逃れたわけです。
最後の南腹乱魚後を生大事にしてあがめている保護団体と、「貴重な最後の1匹だからこそ味わうのよ~」と食っちゃうヒデヨシの対比は、まさにタイト&ルーズです。
きっちりしっかりのタイトは社会生活に必要ですが、自由でいい加減、枠にはまらないルーズさもあって、バランスがとれるもんじゃないでしょうか。

毎回ヒデヨシの破天荒さに呆れながら、「あ、じぶんは案外タイトなものの考え方をしていたかも」と思うことがあります。
みんながみんなヒデヨシになってしまったら大変なことになりますが、ヒデヨシを遊ばせておく寛容さを持たないと、窮屈になってしまうでしょう。さわやかな自然の風が吹かなくなって、エアコンの風で我慢するようになる。

ヒデヨシはいつも笑っている

じぶんのなかのヒデヨシ的な要素を大事にしたいと思います。
ではでは、今日もご機嫌元氣な1日にしましょう。

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