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9/21 陳健一の杏仁豆腐

おはようございます。
杏仁豆腐好きのショロー、いっときカルディのパンダ杏仁豆腐を大量買いしていたのですが、ある日、自分で作ればいいじゃん、と氣づきまして(遅いよ!)、Amazonで粉末杏仁豆腐の素をポチってさっそく作ってみました。
ところが、コレが大失敗。どうをどう間違えたものか、まったく固まらん。

で、次に買ってみたのが、陳健一の杏仁豆腐です。
コレはうまくいった。お湯150ml、牛乳300mlと本品1袋のみ。
しかもけっこううまいんです。
なんだ、なんだ、コレでいいじゃん。
ゴミも減らせる。
なんといっても食べる分量も思いのまま。
テキトーな器に入れて、冷蔵庫に入れたら2時間で出来上がる。

小学生のころ、プリンと杏仁豆腐をバケツいっぱい食べたいと思っていた

普段は牛乳(乳製品全般)を買わないのですが、コレを作るだけのみに買いました。そのうち飽きるかもしれませんが、今はコレがあればニコニコです。

やっと最近、玄米と味噌汁、梅干しの暮らしに戻りました。
この献立だと洗い物がラクなんです。
お肉と魚はたまの外食でいただければ十分。
そもそも大した労働をしていないんですからね、食べなくてもいいくらい。
とはいえ、あんまりストイックになってしまうのは柄じゃない。
いつでも逃げ込める杏仁豆腐シェルターや亀せんシェルターを用意しておきます。

論語は「七十にして心の欲する所に従って矩を踰えず」ですが、ワタシは「66にして、食欲の欲するままに食べても食べ過ぎない」、コレがよかです。
多少からだの声を聴くようになってきました。
年とともに、からだが欲するものが変化してきた。
そのなかに「食べない」という選択もでてくる。
ここ数日、習慣的に食べているものについて見直す時期かな、と感じています。

好きなものは好きなものとして、基本からだの声を聴きながら食べる。
「食べる」ことは生きること。
ワタシは食べたものでできている。
一方で食べることは犠牲の上に成り立っていることも考えなくては、ね。
宮沢賢治が菜食主義だった理由が少しわかるような氣がします。

杏仁豆腐が、なんだかファスティング寄りの話になってしまいました。
ま、いつものことです、ハハハ。
では、今日もご機嫌元氣に1日となりますように。

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