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移住2世代目。里山で生きたいという話し。

里山で生きるということ。
ただ生活するのではなく、生きる、ということ。

1995年1月。赤子のわたしを抱いて阪神淡路大震災に合い両親は避難としてここに移住してきた。

それから24年。この里山で育ってきて、もっと里山で生きたい、という感覚の話し。

その前に、先日とても有意義なイベントに行った。

そこででてきた話しで、都会的な現代的な仕組みでは「二対問題」が基本だという。
○○な事柄に対し××を行う。(例えば「12時26分発の電車に乗りたいから12時10分には家を出る」みたいな)

に、対して里山は基本「多対問題」!
らしい。

「多対問題」とは物理学で、相互作用する3個以上の質点からなる系の運動を規定する問題。古典力学でも量子力学でも解析的に解は出ず、適切な近似法を用いる。

辞書によるとこんな感じ。よく分からない。笑
○○な事柄に対し××を行う。でもその間に△△がきたり、◻︎◻︎が起こるかも。

すごく抽象的だけど、なにか起こったとき、ハプニングがあった時どうするの?と、物事を捉えるのが多対問題らしい、と私なりに解釈。

200人のうち1%が死にます。と言われた時、、(会場には200人いた)
その2人はなかったことにするのが「二対問題」
その2人に想いを馳せるのが「多対問題」

そして里山では、基本この多対問題で成り立っている。

農業ではむしろ「多対問題」を前提としている。
日照りが続いて枯れるかも、台風でなぎ倒されるかも、猪や鹿にに全部ひっくり返されるかも、、、

そんな中で生きている。

企画書が中心な社会ではこれを達成したいから、こんなことをこうします。
確かにその間にこの人が倒れるかも、そもそも、、みたいなことを考えることは少なそう。

そして役所や社会の都会的な仕組みは基本「二対問題」を軸につくられている。
でも里山のもっといえば地域の問題の本質は「多対問題」

そら、うまくいかない訳だ....。

そしてこの里山で生きるうえで、うまくやれる人を「溶けてる」と表現された。

これがほんとに衝撃的で!そうか!!てめっちゃ納得した。

私に置き換えると、
曜日ごとにバイトを3つしながら、
週末のイベントの準備しながら、
あ、こっちのFacebookとインスタと、
こっちのイベントページもつくらな、
報告書類かいて、
田んぼ見にいって、
鶏さんのお世話して、
写真整理して、
草刈りもしなきゃ。
あ、鹿獲れたって!?
明日の午前中なら捌けるぞ、
黒米注文入ったで!
○○さんがお野菜くれたよ!
、、、、、

いつもそんな感じだ。
まだまだ農業のうえにたって生きれてはいないけど。
全てが同時進行。里山の農的な暮らし。わたしにとっての百姓なんだな。

わたしはそれが性にあう。溶け合っている。いろんな頭に切り替える。
無理しているつもりはない。きっとわたしという人間に真髄から外れるものはないから。全部やりたい、だからやってしまうんだろう。

小さい頃から裏山で駆け回って、わたしはこの地域に、この風景に育てられてきた。
その感覚がとても強い。

山の斜面を駆け回る。次の一歩のことだけに集中し、鹿になったかのように体が軽くなる。山の一部になる。山の声を聞く。そんな神秘さ、いろんな気配を山で感じた。
(けんかして家出して行く先はだいたい山だった。とってもむしゃくしゃしたり大泣きしたり叫んだり、そんなことを受け止めてくれる場所だった)

当たり前に、山からの湧き水が谷を流れ、ため池にゆき、田んぼに行き、口に入ることを知っていた。(お米、お野菜はだいたいご近所産)

鹿や猪は当たり前に、時には熊も山から庭を通り里におりていく。
(何度となく自転車で鉢合わせて、あ、終わった。って思ったことか)

まさか解体できるようになるとは思ってなかったけど。

近所の人たちに、いろんなところでいろんなものをもらいながら、
(多くははお野菜。玄関先に置いてあってきっと○○さんやな、って。今でもこの野菜、お米どこの?(誰さんとこの?)と聞いてる。)

時には思いっきり怒られ、
(田んぼの調整の水路の門を開けてしまったときは怒られたなあ)
助けられ、
(水路に自転車ごと落っこちたり、ため池水ない時にどこまでいけるかって、泥沼にはまっていったり。これはまじでやばかった笑)

この小さい集落でほんとにいろーーーーんなことを学んだ。

うちの熱源の大部分は薪だ。(ストーブは薪とペレット併用、ボイラー、お風呂)
来年の薪をつくるために、前の年の冬にどの木を切るか考えて干しておく。森で作業をするのはお父さん。
暇があればついていき、森の仕組み(木は切った方がいいこととか)や、そしてどんなに危険かを知った。
初めて斧を使ったのは小学校いつ頃だったろ、3年ぐらいかな。薪割りはなんかずっと好きな労働のひとつ。

小さい頃はそんなこと感じていなかったけど、いつだったか高校生ぐらい。
母が「きれいだな〜」て駅に送ってくれるときに山に蔓延るフジヅルの藤が咲いているのを見て呟いた。

「あ、当たり前の景色(フジヅルに至っては山をジャングル化させる悪者扱いされる)に綺麗って思っていいのか!」
てなんかそのシーンは切り取られたかのように覚えてる。

そこから毎日見ていた風景、陽のひかりや夕暮れ、草木に心奪われるようになった。
この頃にカメラも手にし、うち周辺の録り溜まっている写真の数は計り知れない。

里山が好きで、やりたいな、と思ったことが実現できる場所で、わたしはこれからも里山で生きて生きたいと思っている。

ゲストハウス、パン屋、野菜ステーション、牧場、農業体験、解体場、薪ステーション、暮らしの道具、大工さん、ローカル誌、マルシェ、空き家開拓、寺子屋、、、
数えだしたらきりがない。

今のわたしの要素、改めてこの機会に整理する。

*バイト*
・アウトドアブランド@京都市内
服づくりを通じ環境問題にインパクトを与える最も尊敬する会社。

・『田歌舎』@南丹市美山
自給自足をベースにレストラン、宿泊、ガイドをおこなう。冬は狩猟がメイン。ここで解体の技術を学んだ。

・『新庄郷育館』@南丹市新庄
母校の閉校した元小学校の広報担当。新庄の地域づくりの要的存在。地元振興会が市の指定管理を受け運営している。来年度冊子を製作予定!
https://www.facebook.com/%E6%96%B0%E5%BA%84%E9%83%B7%E8%82%B2%E9%A4%A8%E6%96%B0%E5%BA%84%E5%9C%B0%E5%9F%9F%E6%8C%AF%E8%88%88%E4%BC%9A-694118960790388/?ref=bookmarks

*活動*
・『シェアハウス表具屋』@南丹市園部
築200年の古民家シェアハウス。多様な人々が行き交い、毎月の報告会イベントを含め、カルチャーをつくっていこうといろいろ企画する場所。三軒隣が母が手がけるコミュニティカフェCoco can。現在住人募集中!
https://www.facebook.com/hyoooguya/

・『水を旅する研究所』@森〜海(南丹から海)
今年の夏のあまりの自然災害に、川上に暮らす住民としてもっと普段から川を大事にしたいと思ってはじめた。災害があって濁流した川にしか注目集まらないってなんだか悲しい。川上から川下までって深く繋がっているのに。
https://www.facebook.com/%E6%B0%B4%E3%82%92%E6%97%85%E3%81%99%E3%82%8B%E7%A0%94%E7%A9%B6%E6%89%80-1769098063188841/

土砂崩れが起きて、断水して、電気も止まって。いっぱい木が倒れて。そんな状況だった夏。ぎゅんって衝撃を受けた感情。

・『nanakoトmoekoハASOBU。』@京都府全域
viva山裾暮らし!茅葺屋根に野鍛冶に林業家に炭焼きに狩猟民に、、
里山のたくさんの営みはワクワクする楽しいことで尊いものばかり。そんなものを伝えていけたら。
https://www.facebook.com/nanako%E3%83%88moeko%E3%83%8FASOBU-228245931045352/

どローカル求人もしたい。

・『森と里の楽校』@南丹市新庄
もともと両親がはじめた森を子どもたちに遊べる場として、整備しようという試み。身近な自然のなかで思いっきり遊んで親しんでほしい、森は最高の遊び場だと思うから。
https://www.facebook.com/shinrin.net/

・『やぎ地立計画』@南丹市新庄
今、そして今後メインになってくる取り組み。地元のこの風景。やっぱり元気がなくなっているのは少しずつ伝わってくる。この新庄の地域で持続可能な里山の仕組みをつくっていきたい!そんなわたしのまんなか。
https://www.facebook.com/yagijiritsu/

最近でてきた言葉「風景をつくる」
田んぼの記事でも書いたけど。

ずっと田んぼを中心に畑をして、山に入って農業を中心に生きてきた地域。
それが山に入らなくなって、農業だけでは立ち行かなくなって、子どもたちにはこんな大変な思いはさせたくないと、いい大学に、いい企業にと願ってきた。

日本全国どこでもだと思うけど、ここにも少子化の波はやってきていて、同級生11人だったわたしの母校の小学校も4年前に閉校した。

このまま廃れていってしまうかもしれないのに、
そんな未来が容易に予想できてしまうのに、
何もしないことなんてできない。

この広大な農地、山、水の管理。
手放して多くの田んぼ担っている農業法人も、みんな60歳を超えている。
10年後、誰がしていくの?

タイムリーに『野良師』という言葉をいただいた。

**-心がしみる原風景をつくる生き方- **

きっとこれがわたしの真ん中なんだと思った。
多くのモチベーションの源。

地元の自然や人やモノを生かしていきたい。
子どもたちに森で遊んで欲しい。
若い人、仲間を増やしたい。
一緒に子育てもしたい。
生業をつくっていきたい。
この風景の土臭さやたくましさを伝えたい。

それも全部ここの原風景をつくっていきたい。
ということな気がする。

だからこれからの里山暮らしは外に働きにでて家は帰る場所。ではなくて、農的な暮らしをベースに生業をもつ生き方(=野良師)を提案、私たちが体現していきたい。

原風景って今見えている景色や文化だけでなく、
すごくたくさんの要素を含んでいる。
時間軸をも。

わたしを24年間育ててきてくれたはこの風景。
もちろん両親や、先生や友達。たくさんの人たちがいるけど。

いろいろひっくるめてわたしはこの風景だと思ってる。

守りたい、つくっていきたい、
なんてまだまだおこがましいけれど。

ふるさとの野を良くしていきたい。

里山で、生き方と原風景をつくっていくような、
そして伝えていく、
そんな野良師になりたいです。

あ、一緒に里山で溶け合いたい仲間も絶賛募集中!!



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