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令和になって

平成最後の〜〜とか令和が〜〜とかあんまり興味を持てなかったけど。
気づいたんです。

平成6年生まれの私にとって

平成は「過ごした」

令和は「生きたい」

考え出したらいっぱい溢れ出てきたので書き留めておきます。


いま、やりたいことをかたちにして、発信をしている同世代の勢いを全国からものすごく感じる。

まあ繋がっている人なので全体として捉えたらマイノリティなんだろうけど。でもこれが令和の感覚。これからの時代の基準になってくと思うんです。

色んな制約が〜〜とか決まりが〜〜とか責任が〜〜とか前例が〜〜とか...
もうそれ昭和の産物でしょ?(失礼を承知で言う。)
もう二世代も前の話なんだって思ったらこれからの基準は平成の私たち世代になってもいいんじゃないかなって。勝手に思ってます。笑

今、わたしが生まれ育った田舎で取り組んでいること。

地域のニーズを聞き取り、
地域の10年未来図の作成をし、(←いまここ)
自分たち自身が地域で "地立" して生きれるようにと、
仕組みをつくっていこうということ。
この風景をつくっていくこと。

このままではこの地域はどんどん寂しくなってしまう。

それはただ24年生きただけでも感じてる。

獣害用の電柵ネットも山沿いのフェンスも子どもの頃はなかった。
あの田んぼもあっちもこっちも下の世代に引き継がれず農業組合がになってる。
子どもの頃よく畑から声かけてくれたおばあちゃん、最近見なくなった。
草ぼうぼうになったままの田んぼや畑も増えた。
昔はあったお祭りもなくなって。区の運動会するとこうちだけになったのか。
小学校も統廃合になったから校区で集まる唯一の機会だった運動会もなくなって。
⚪︎⚪︎さん家の⚪︎⚪︎さんいまどうしてはるの?
もうあの子でうちの集落からは最後の小学生やなあ。

でも毎年ちゃんと芽は息吹、新緑で溢れ、ツバメが帰ってきて、蛙が鳴きだし、セミで圧倒されそうになったかと思うと、ある日赤とんぼが飛び交っていることに気づき、空気が色づいて、世界が黄金色になって、雪ですべてが覆われて。。。
関係なしに、毎年毎年季節は巡っていく。

自然の営みと、そこに住まう人間の営み。

田舎ではこれが共存してこそこの美しい風景がある。

どうしたらこのわたしが愛でてやまないこの風景を残していけるのだろう。

どうしたら若い世代が生きていける地域に、
未来に続く地域になれるのだろうか。

わたしたちを育ててくれたこの風景。

当たり前にそこにあったけれど、その美しさに気づいたのはごく最近だけれど。

今、これが当たり前でないってことをひしひしと感じていて。
ずっと誰かが、この地域の営みがつくってきたものなんだと。

失われて取り返しがつかないのは、土地の歴史だと思う。
日本の原風景の中にある美しさは人々の息遣いがあってこそ。

先人たちの息遣いが感じれるこの地域でこの風景を維持するというのは、これからますます難しくなってきてしまっている。

でも、尊いこの風景を子どもたちに、
その次の世代にもできれば見せてあげたいのです。

そのためにわたしができることって一体なんなんでしょうか。
まずは、好きなこと、やりたいこと、できることからしていきたい。

ゲストハウス、銭湯、パン屋、田んぼ、畑、森で薪づくり、狩猟、獣肉の活用、藍のすくも、季節のてしごと、おばあちゃんのレシピ集、戦争時代の話、伝承、盆踊り復活、写真集、移動販売車、てらこや、馬耕、山のトレイルづくり、炭焼き、野良着、リサイクルステーション、地域の冊子づくり、、

まさにこの図のとうり。

身体があといくつも欲しい....!


なんかやりたいこと、好きなことがひたすら田舎の要素で。
やりたいこととやれる場が一致してるって、こんな幸せなことないな〜って。

そしてわたしは田舎の可能性は無限大だと思ってて。そして無尽蔵。
きっとやりたいこと全部やれると謎な自信だけはあるのです。笑

基本感性で動くし、理論的にいうのとかってなかなかできないけど。

でもこれからこの自らの生きる資源を食い尽くす資本主義の時代は終わって。
超人口減少社会に突入するなかで、持続可能でなければどんな仕組みも成り立たなくなってくと思う。

人々の価値観も少しずつ変わってきてると感じてて。

この時代を生きていきたいんです。この手で。つくっていきたいんです。


記念に。

令和元年、5月1日


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