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風景をつくる活動計画ができた...!

ずっと「自然環境」というものに興味があった。

わたしが育った地元は山々に囲まれていて、山の裾に家々が並んでいて、一番お天道様が当たるところは広大な田畑で、川が流れていて。
まさに里山な風景がひろがる、大きな空に見守られている、そんな場所。

もっと里山で生きたいという話し↓↓

でも触れたが、両親が移住してきたこの小さな里山風景がひろがるところで自由奔放に育った。

「自然環境」への興味の最初のきっかけは「野生動物」だった。それも海外の。

はじめての海外が小学1年生で行ったアフリカ、ケニア。(今思えばどんなファンキーな家庭なんだ...笑)

本のなかで見ていた世界が広がっていた。あまりに知っている風景とは違い、生きる動物たちも違い。すぐに虜になってしまったのだろう。

そこから将来の夢は、あんなアフリカの地のような場所で
”野生動物と関わること”だった。

周囲がケーキ屋さん、お花屋さんと言っているなかで、幼少期の原体験はそれほどにも人生レベルで影響してくるんだと思うと、今なら怖いぐらいに思う。

その後も大学になるまでにアメリカ、オーストラリア、ニュージーランド、フランス、、と行かせてもらう機会があった。
母が家を解放し英会話教室をひらいていたのだが、その教室の子たち(小学〜中学生)10人前後を連れて海外プログラムが数年に一度開催されていた。

そのなかで、ホームステイ先や地元の子たちとの異文化交流はもちろんのこと、国立公園のレンジャーだったり、活動家だったり、日本人なのにアボリジニのコロニーで生活している人だったり、ファーム体験だったり、いろんな大人たちの「自然環境」にまつわる姿を見せてもらった。

今、行ったらさらにおもしろいんだろうな〜という場所に10代にもなってない頃から見ることができたのは本当に両親に感謝だ。
(決して裕福な家庭だった訳ではないことは承知してもらいたい。これが両親の価値観だった)

中学時代、進路を考えるときに女性で野生動物の獣医をアフリカでされている方の本に出会った。
そこから獣医が夢になり、高校は地元の公立高校の理系へ進んだ。(が、生物以外数学・理科はことごとくできなかった...)

さらにいろんな本を読んだり、テレビなどの情報からどうやら「地球環境問題」が深刻で、獣医が必要になってくるのはその後のようだ。と思いはじめた。

大学への進学は「自然環境」「共生科学」そんなキーワードで選択した。

「自然環境問題」に関わる
というのはどちらかというと文化だったり、社会問題に関わるということなんだ、というのを肌感覚で理解できたのは、自習として、ボルネオ島の100人の村と、モンゴルのゲルの暮らしが体験できたことはかなり今の価値観を確かなものにしたと思う。

またここらへんの話は書き始めると長くなるので割愛するが、
まさに教科書で目にしていたような「自然環境破壊」というものを目の前にした時、
あまりの規模の壮大さに、自身の小ささに、そしてその原因が先進国と呼ばれる日本の暮らし方にあることを痛いほど痛感した。

わたしにこの現状を目の前にし、できることはなんなんだろう。

そのわたしなりの答えが「地元」だった。

日本では、特に田舎と呼ばれる地域では「手がはいらない」「手が足らない」ことで抱える問題がまさに山のようにある。

もっとも身近なところのことに手を触れれていないのに、海外のことなんて捉えられるのは、先だ。

まずは足元から。

わたしの興味・やりたいこと、と地元の環境というのが重なった瞬間だった。

地域には資源が溢れている!!
そんな感覚を得れたのは、高校を卒業してから全国自分の足で自由に飛び回れるようになって得たものだ。

各地で吸収したことを地元でかたちにしていければ。

満を持して!ようやくエンジンを始動することができ始めたように思う。

→自然環境に負担の少ない田舎で農的な暮らしをすること

→できるだけ持続可能な(循環する)仕組みをつくること

→森、田畑、地域の自然環境の手入れをすること

→地域で生きていけるような生業をつくること(地元の雇用先をつくる)

→この広大な田畑の担い手を育成すること。活用方法を模索。

→移住者を促進すること、空き家のマッチング

→地域内の交流の活性化。どんどん記憶が失われていってしまう前に

→村で子育てする、郷育(きょういく)の場をつくること

農は一年の計、森は百年の計、
それなら7世代先を想う持続可能な「郷」は?

郷は二百年の計。

うちの実家が築約150年〜200年と言われてる。

ここが建ったころに生きていた人たちから二百年。
きっと建物の数、電線、道路なんかは変わったけれどわたしが今見ている山の形、田んぼ、川、そんな輪郭たちはきっと面影あるんじゃなかろうか。

次の二百年に想いを馳せる。

その世界をみる術は無いけれど。

願わくば古代より続いているこの肥沃な土地が豊かな姿で生きていて欲しいと思わずにはいられない。

現状この風景を担っているのはもうみんな60代、70代以上。
先、10年でこの風景が廃れてしまう予想も容易にできてしまう。

想像ができてしまうのに何もしないことなんてできない。
これからは今20代のわたしたちの時代だ。

こんな地域にしたい、こんなふうに暮らしたい、生業つくっていきたい、そしてそれを実現していくと野も良くなって(地球環境)いったなら。

そんな想いを詰め込めました。


ここは日本どこにでも広がるような元里山地域。特にこれといった特色がある訳でもない。
ここでできたら日本中の里山地域どこでもできると思う。

以前からまだなにもないこの地元には余白しかない、ということを言っていた。
まさにその余白にたくさんの色をつかって自由に力強くこれからの風景を描いていければ、と思っています。

でもその余白は(白ってついてるけど)
真っ白じゃなくて、今までの土地の風景が描かれていて。

どっちかというと色褪せないように、少しずつ私たちが欲しい未来を描き足していけたら、なと。
やがてそれが”わたしたち”が居なくても「風景」として語られるように。

とりあえず、実現していきたいけどこれでは身体がいくつあっても足りないので、
「田舎暮らししながら○○したい」
みたいな人いたらどんどん紹介してほしい〜〜〜〜〜っ!
(ぜひ連絡ください。)

まさに、物語ははじまったばかり。
いや、もしかしたら何千年も前からの続きかもしれない。


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