見出し画像

私の数年間の足跡

①デイケアを卒業し、今だからこそ言える参加当時の想いについて。

最初、男性が苦手で昼食の時に隣に座っているのも無理だった。突きつけられる選択肢は2択。辞めて精神障害者福祉手帳をとるか、一般社会で働けるようにリハビリを続けるか。いつ卒業できるか分からない中で足掻いていた。
私には苦手な事が多すぎる。だからこそ、努力を重ねなければいけない。そこを一般社会で働いている人は少しの努力でどうにかなるし、誰かに相談しながらも努力の方向性を修正できる人間関係を築けている。
そこに気づくまでに時間がかかった。すべて感情で処理して、感情でなんとかしようとしていた。
色々な人の神経を逆撫でしていた時に、看護師の浅野智子さんから頂いたのは「言葉遣いに気をつけなさい」だった。平成31年、令和元年の1年間位休んだ。その間も働くことを躊躇していたのは、これ以上周りに迷惑をかけたくないと思ったから。必死に碌でもないと毛嫌いしている自分を変えようと思ったけど、大失態して土下座した時にスイッチがオフになった。人は堕ちるところまで堕ちるんだなと思った。私が変わろうとする度に邪魔する人達がいる気がする。そんな事と向き合いながら、毎回苦しんでいた。
浅野さんと精神科医の白潟光男先生から、1年間休むその最後の日に「このままどうするの?あなたは、精神的な病気の中でも取り返しのつかない部類の病気になりかけている」と頂いた。
理由は、全てのことを人のせいにしていた。表情も鬼のようだったのを覚えている。その空白で、特に何もするワケでもなく、ダラダラとしていた。デイケアに復帰した後、浅野さんや先生から「ただ休んでいたわけじゃない。働かなかったからこそ気づけた事があるだろ。それも学びの一貫だ。」と頂いた。働かなかった時期に思ったのは、いつの間にか親は先に死ぬもんなという当然の事だった。今のままじゃ働けない。今のままじゃ1人で生きていけない。何よりも、ちゃんと働いた自分のお金でUNISON SQUARE GARDENのライブや色んなアイドルとかのコンサートも行きたい、そんな当然のことだった。
──当時、記憶を失くしていた私にとっては自然と導き出された答えだった。

戻ったデイケアでの子供への対応を通して
子供の成長の速さに驚いたと共に、羨ましいと思った。私ももっと早く通っていれば違っていたのかなと思った。でも、浅野さんから「学生時代からずっと人を避ける為にやってきた今までがあるから、その方法が間違っていたって気付ける今のあなたがある。それに、そうしないと生きていけないと思っていたでしょう。生き延びる為にやったんだから、後悔しなくていい」と頂いた。
今もその言葉を大切に実社会に生きている。
UNISON SQUARE GARDENのNinthPeel NEXᎢ仙台GiGS公演の時、ライブ会場の真ん中に立ってステージを見て思った。
この最高の景色を何度も見てきたはずなのに、今日が1番最高だと噛み締めた。人はまだ怖い。でも、今やっと踏み出した。

②実社会で働くようになって今考えること。
デイケアが8:30〜15:00までで、コンビニのバイトは16:00〜22:00だった。そのバイトをデイケアが閉院した後も続けていた。店長とぶつかりながらも自分のパターンに気づいてデイケアで学んだことを活かして、声かけのタイミングや接客、至らない所はどこかを上を見ては比べて必死に探りつつ修正していった。オーナーの娘が店長候補になる前提で入ってきたと同時に、徐々に店長がやつれてきた事も気付いていた。
それまで対応してきた学生には、1人1人接し方を変えていた。コンビニに就職するワケでもないし、仕事を覚えるのは最低限でいい。将来、何の職に就きたいのか、そのためにここで何を学ぶのか。自分ができることできないこと。人に頼るべき案件か否かの判断。そこを仕事の中で伝えてきた。店長が辞めるときに頂いた言葉がある。
「日勤も夕勤も仕事を覚えたと思うけど、他の従業員と話せないのが課題。コミュニケーションをとれるようになってくると、自ずと適切な仕事を振り分けられるようになる。そうしたら、正社員でどこでも通用する」
人間関係で悩んでいた時に助けて下さった恩人だった。

仕事を辞めたあとに気付いたことで、前働いていたコンビニの系列店に行った時、私が同僚女性と組んでいる時と似た光景があった。
別仕事とレジを気にする女性店員・困っている女性客に説明している女性店員。
説明中の店員は、女性客からの質問に答えきれずに一緒に悩んでいて、もう一方の店員は苛立ちを隠しきれない。
私も同じだったなと思った。どちらの経験もあるし、どちらの立場も理解できる。その時に感情的になるのが私だった。でも、感情的になって接客している時点で、ゆとりを持って仕事を出来ていないということなんだと思った。
ひよっとしたら、同僚から向けられた優しさも嫌味と受け取ってしまうなら尚更。
オーナーの娘からは、一般常識の挨拶が私には欠けていることを見ていて痛感した。第一印象が肝心と言うが、彼女の第一印象は最高だった。同時に、私はオンとオフの切り替えがないと、良い人のままで接客できないし働けないと思いこんでいることにも気付いた。
本当は、浅野さんからも先生からも教えて頂いていた。
「猪俣は性格悪い」
その性格の悪さをゼロにするには、性格の悪い自分を抑え込まなくちゃいけない。それを必死にやっていた。
ただ、それが原因で具合悪くなった。ただ、性格の良い人って何かが分からず、ずっと迷走していた。
私の課題は、仕事を他の人に振ることができずに抱えること。そのためには、個々の分野やできそうな仕事・苦手な仕事を知る必要がある。話す必要がある。その分析の余裕が足りなかった。
今は、そこの課題に向けて次の仕事に進みたい。
昔、ジャニーズ(旧名)の撮影スタッフで働いていた時がある。その時に、あるアイドル達と約束した。
Hey! Say! JUMPの八乙女は常に切羽詰まった表情をしているから、「なんで俺の写真少ないの」と詰め寄られた時に「ずっとしかめっ面で撮る気になれなかった」と返した。
「次はちゃんと撮るから、撮れるような表情で過ごせるだけの休みを取っておいてほしい」
10年近く経った今、柔和な表情でメンバーと過ごせるようになった彼だからこそ写真を撮る約束を果たしたい。

何よりも、関ジャニ∞の大倉忠義からは不満げに文句を言われた。
「君が俺に帯同してくれへんから、全然俺の写真集出せへん」
「忠義くんはカメラのレンズ越しでもキラキラしていて、まだ撮るの無理かもしれない」
「舞ちゃんって、ほんまに俺の顔好きやな」
大倉忠義の写真集の発売は、ひょっとしたら来年の今頃かもしれない。

今は、その約束を果たしに行きたいと思う。

③自分の病気と薬について。
今、私は薬を飲んでいない。その上で言えることは、「精神疾患などで使われる薬は自分の努力の土台になるもの。どのみち、努力するのは自分自身というのは変わらない」ということ。徐々に薬を飲まずに生活を送ることが1番の目標。

④治療を通して、精神科医療をどう考えるのか?
「精神科を受診してカウンセリングを受けるには10割負担なのでお金がかかる。話を聞いてほしいだけなら占いに行った方がいい。」
そこは大前提であると思う。
私が精神科を受診したのは、それまで感情処理を忠義くんに頼りすぎて1人ではどうにもできなかった。そこを自分で処理できるように学びたいから通院した。
病院を紹介してほしいとよく言われるが、よくある例としては紹介されて選んだのは自分にも関わらず人のせいにしてくる。人のせいにするくらいなら、元から自分の問題点なんて気づいていないし治すための覚悟が足りないんだと思う。
正直、自分にとってどの治療方法とどれだけの覚悟を持って臨むかを見極めるために、自分の目で確かめることが必要だろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?