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ドラマチックに運命理論86『裏設定』

『ひらいて』のことを久々に書きます。

これまで6回観ました。
途中でわからなくなって、
原作読み直したりもしました。

結局私はどうしても愛に感情移入してしまう。
美雪みたいなスタンス、憧れる気持ちも分からなくないけど、やっぱりしたたかに見えてしまう。

愛は、たとえからも美雪からも
嘘ついてるって言われてしまうのだけど、
一番正直にいるのは愛なんじゃないのかと思ったりもして。
相手を思ってその場を繕う言葉を発することも、
逆に自分の気持ちが止められなくなることも、
全部正直だよね。


私にはあのキスシーンがいつも切なくて泣きたくなる。
(自担のキスシーンが嫌だー(ToT)とかではありません)

友達はあれを見てますます好きになったと言ってた。
友達はね、それでもキスしてくれるんだ・・・優しい・・・って思うんだって。

でも私はいつも辛くて苦しくなる。
残酷だよね、って思うの。
誰かがあのキスシーンを、クレーン車みたいだと表現してたんだけど、
私はそれを絶妙だと思った。
だって、感情の無い機械みたいだもん。
だから愛だって、美雪にもしてないキスを
自分にしてもらえて嬉しいだろうけど、
あまりにも感情のないキスに、
ものすごく傷ついたに決まってる。

たとえはもしかしたら、
彼女のいる自分を勝手に好きになって
何とかして奪いに来るこの女を
ここまでしないと振り払えないのか、
なんて、自分の気持ちに反することをすることに彼なりに苦しんだかもしれないけど
それにしては愛が可哀想すぎる。

キスの後、『あの子』がたとえに優しさを混ぜてしまったから。
余計に残酷だ。
だって、愛はたとえを嫌いになれないじゃない。
と、私は思ってしまった。


愛は、たとえにも美雪にもたくさん与えてると思うんだよ。
たとえには父親みたいな人には強引に行かないとダメなことを身を持って教えて、
美雪には友達と普通に遊ぶ楽しさと触れられる嬉しさを教えて。

でも愛って何にももらえてない。
友達の好きな人からの告白、
友達への配慮の言葉も疑られ、
父親へはカードに書く言葉も出てこないほど関心がなく、
母親も愛の爪がボロボロでも部屋が乱れていっても気づかない。
何でも持ってると言われ続けた愛が、
本当は何も無くて、
唯一欲しかったたとえに執着するのは仕方のないことだったかもしれないとさえ思う。


公開に伴って色んな媒体でインタビューを読んだりしましたが、
舞台挨拶で首藤監督が発言したことをレポで見てかなりの衝撃を受けてました。

そしたら実はネットに上がってたインタビュー動画で同じことを既に発言されてて
私のチェック漏れだったのですが・・・

首藤監督は、脚本を書くのに、
原作には書かれていない裏設定をいくつか考えていたと言っています。

たとえのお父さんの過去なども詳細に作りこんでいたそうなんですが、
それは萩原聖人さんには伝えておらず、
でも萩原さんからちゃんと、
たとえの父親役の意味を理解している言葉をもらったので、それでいいと思って演じてもらったというようなことを言ってました。


そして・・・ここからです。

雨宿りのために、愛と美雪とたとえが入ったラブホテルのシーン。

割と映像では短かったけれど、
実は裏設定があって、

愛が先に帰ったあと、残された2人は・・・


なんと関係を持っていたとか!!!???


更にその裏設定を演者には伝えていないらしい。


え?


本人達が何も知らずに演じていたのなら、
その後のシーンはどう理解すれば・・・
と思ったけど、
その裏設定を頭に入れながら
首藤さんが脚本を書いて演出したわけだから、


やっぱり・・・


たとえが愛の顔をまっすぐ見られるようになった変化というのは、
愛が父親を殴ったからではなくて、

美雪と・・・




だったからなのか。


ラストの愛の顔を手で挟むあのシーン。

ずっとどう捉えたらいいかわからなくて、
愛に心をひらいたということの表現だと言われても、
どうしてもしっくり来なかったけれど

あぁ・・・そうか、そうなのか、

って思っています。



でもそんなシーンが(匂わせも含め)映像になくてよかった。
ありがとうございました。(棒読み)

映像にしなかった理由を首藤監督は
愛は知らないことだからだと言っています。

正直受け止めきれず、こぼれ落ちてる。

この裏設定を受けて、もう一度観に行きたいって思ってるけど行けるだろうか。


それでもやっぱり『あの子』が演じるたとえが好きだ。

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