見出し画像

2020/11/14 仮放免者の話を聞く会 イベント報告


11月14日、zoomで「仮放免者の話を聞く会」を開催しました。多くの社会人、大学生に参加していただき、ありがとうございました。

1.お話しくださった方のプロフィール 

 今回お話を伺ったのはパキスタン出身の50代後半の男性です。来日してから30年以上が経ちます。彼はパキスタンの軍事政権下で民主的な政治を求めて反政府活動をしていたことから、政権から目を付けられ、命の危険を感じるようになり、日本に逃れてきました。当時彼はお金をたくさん持っていなかったため、観光ビザが安価で手配もしやすかった日本を逃亡先として選んだそうです。当初はパキスタンが安全になったら帰国するつもりだったのですが、国内情勢はさらに悪くなり、多くの仲間が殺された事件もあったことから、帰国は断念しました。
 来日後約19年間、彼は熱心に働き、日本の文化になじもうとしてきました。その間、行政に自分がオーバーステイであることも伝えていましたが、特に咎められることがなく、むしろ職場では頼りにされ、一生懸命働いていれば、日本では暮らし続けることができると思っていたそうです。しかし、ある日、オーバーステイを理由に警察に逮捕され、収容。収容中の生活は食事や医療体制が十分ではなく、(拘禁反応が起こる)or(健康が損なわれる)ことも珍しくありません。彼が収容中の生活について「人をゆっくり殺す」と語っていたのが印象的でした。
2009年1月に仮放免となりますが、2010年4月に再収容。彼には在留資格のある外国籍の妻がいて、彼女は当時妊娠していたのですが、ショックで流産してしまいました。彼もまた妻のことを聞き、ショックやストレスで夜も寝られず、ついには「耳から血が流れた」とおっしゃっていました。それが原因で、現在も彼の片耳は聞こえません
翌月仮放免となり、今もその状態にあるわけですが、暮らしには制限があります。仮放免であるがゆえに、仕事ができない、健康保険がない、県をまたぐ移動には許可が必要などです。さらに、彼の妻は癌の闘病中であり、今、目の前の生活が困難であることが伝わってきました。
全体を通して中でも印象に残ったのは、彼が「正月になると正月の気持ちが入ってくるし、お盆になるとお盆の気持ちが入ってくる」と語っていたことです。彼の心に日本文化が浸透していることがひしひしと伝わってきました。

2.日本社会としてどのように考えていくか

 このような彼を、日本社会としてどのように考えていくべきでしょうか?彼の場合、非正規滞在であることは確かなことですが、彼にはパキスタンに帰れない事情があるだけでなく、日本での生活に定着していることや闘病中の奥さんがいることなどの事情があります。また、日本政府としても難民申請者、非正規滞在者の在留や就労を黙認して、人手不足を補うための労働力として扱ってきた歴史があり、行政側にも非があります
現在、出入国管理庁は出入国管理及び難民認定法(通称:入管法)を改正しようとしています。まだ中身は不透明なところがあり、一概に評価はできませんが、送還拒否罪の創設や難民の送還を可能にすることなどが検討されているため、彼も無関係ではありません。
私は日本社会として、この問題を「私たちの問題」として考えるべきだと思います。自分の生活には関係ない他人事として切り捨てることもできるでしょう。なぜなら、考えない方が楽だから。しかし、自分には関係ないこととして、困っている人を切り捨てる社会に生きるのはあまりにも寂しくありませんか?それは外国人の問題に限ったことではありません。

3.当事者の立場に立つこと

 では、この問題をどうやって「私たちのこと」として捉えるのか?まずは、当事者の立場に立つことが必要だと考えます。
イベントに参加した方の中には、彼の話が止まらないという印象を受けた人もいると思います。それを「よくしゃべるなあ」「彼はそういう性格なのか」と考えるのではなく、「何を彼は訴えたいのだろう?」とか、「何が彼をそうさせているのだろう?」と考えていただきたいです。それは当事者に寄り添うことのひとつです。
ただ、普段から活動している身でも、改めて当事者の立場に立つことの難しさを思い知りました。所詮、私は外野の人間だったとも思いました。というのは、私は入管のシステムや構造などの大きな問題として考えることが多く、イベントでもそのようなことをお話ししていただくことを考えていました。それも大切なことではあります。しかし、お話を聞くと彼が訴えたいのは、目の前の生活の困難、不満、ストレスでもありました。つまり、私の考える問題と彼の考える問題は地続きではあるものの、少々のズレがあったということです。実際は、あまり彼の立場に立てていなかったのかもしれません。
それでも、やはり当事者の立場に立とうと努力することは重要です。それは、私ではない「誰か」の視線を借りて、不条理に向き合うことです。そのため、当事者の立場に立つには人間の要素を抜きにしてはなりません。それはまさしく、当事「者」です。

今回のイベントで、彼のような当事者の存在を知り、「日本社会としてこの問題をどう捉えるか」を考えるひとつのきっかけになっていたら嬉しいです。
以上、感想含めてイベントの報告でした。