ガラスの仮面でイメージしてみる自他境界の話


本当はこちらのまめさんとHOTASさんのキャスに参加する予定だったんですけど、諸事情で参加できず。録音を聞かせてもらって「私がいたら、こう説明した!」と地団駄したい気持ちになったので(^◇^)書きますね!



HOTASさんの「ヘレン・ケラーは自閉症だった説」はガラスの仮面からのインスパイヤですの話を聞いて、驚いたの!私は息子を育てるのに育児書が少しも役に立たず(^◇^)参考書に使ったのがガラスの仮面だったので。

芝居としては「奇跡の人・ヘレン・ケラーとサリバン先生の話」と「忘れられた荒野・狼少女ジェーンの話」の二つを特に参考にしましたよ。

「奇跡の人」との称号は、ヘレン・ケラーだけではなく、ヘレンに奇跡を起こしたアニー・サリバンにも贈られているですね。私はサリバン先生みたいに、息子に「ウォーター!」(これを指して、水と呼び、その言葉とそのモノのつながりを体感し理解し使いこなせるようになる瞬間を指す)して欲しかったのよね。

後になってから、忘れられた荒野の元になったアマラとカマラの話や、アヴェロンの野生児に関して「自閉症だった説」があるのを知りました。

ご覧のように、真偽も定かではない話を元にした漫画であるはずのガラスの仮面が、なぜ、私には「とっても、参考になったのか」について、説明したいなーと思ったわけです。

HOTASさんがヘレン・ケラー自閉症説を取るのは、私にはとてもよく理解できるのです。奇跡の人の場合は、物と言葉の結びつきで表現されていましたが、うちの息子は「ママがママとわかったのは5歳」と語っておりましたよ。マジで?その前は私はなんだったの?に「ジャマスルモノ」と答えましたからね(^◇^)交通事故と入院の体験の後「わかった」のだと教えてくれましたよ。きっと「ウォーター!」したんでしょうね。

ガラスの仮面では「ウォーター!」の後、指文字で「せんせい」を理解し、「ママ」を伝えられた、母親が泣き崩れるシーンがありましたね。

多くの人は、きっと「自分の母親が母親であると理解したのはいつ?どうやってわかった?」と問われて、答えられないんじゃないかと思うんです。オギャーと生まれた新生児から、子供が育っていく日常の中で、言葉を覚え、何かのつながりを理解する奇跡のシーンは多発してると私は思うのですが、一般的にそれは「当たり前のこと」とされ、意識されません。何かしらの事情で「スムーズにいかなかった場合のみ」意識され、焦点が合わされ、語られるようになるのですね。「母に名を呼ばれると逃げる3歳児」うちの息子みたいにね!(^◇^)理解の段階の存在は、つまずきとされるものがあった場合にのみ意識される。ここはひとつのポイントでしょうね。他のルートであっても、誤った学習であったとしても、つまずいてないように「他人から見えてしまえば」そこは、気が付かれず、本人も気が付かず、かけてないボタンがあるまま、違和感を説明できないままにもなるんじゃないか?との仮説が私にはあります。

そこを「演じる場合、どうしたらいいか」で、マヤと亜弓さんが見せてくれるのがガラスの仮面が参考になるポイントだったのです。

マヤは「水風船が割れる」を目撃したことに、亜弓さんは「洗濯機で感電する」実体験に、あのシーンの「表現の形」を見つけますね。私が思ったのは「水風船が破裂するぐらいまで、貯めないと割れない」とか「感電するような衝撃体験(本人が受ける衝撃であって、他人が衝撃を与えるとの意味ではない)が必要かもしれない」といった、「何かの本質を理解するために必要なこととは?」への答えのサンプルだったのですね。

こんな風に、ガラスの仮面でイメージすると「実体化、具体化で、イメージしやすくなる」のがあるのでは?と考えております。


この手法を利用して。HOTASさんの「誰かの不機嫌や悲しみに対して、自他境界が溶け、結果、自己完結になってしまう」のイメージをガラスの仮面の「仮面」や「ガラス」で作ってみるのはどうかしらね?の話を、今度三人でやってみたいなーと思っておるのです。外モード内モードと呼ばれている、あの感覚の説明や、人は割と仮面をとっかえひっかえもやっていて、そもそも人格・パーソナリティとの言葉の由来は「ペルソナ」すなわち「仮面」ですからね、の話とかもあるよなーとか私の中では勝手に広がって仕方ないのでお付き合いをお願いしたいのですよ。

私のアイコンはガラスじゃなくて「木の仮面」なんで、ちょうどいいかもとかおばちゃんギャグをかましたりしてね(^◇^)


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