バラバラ組合とΩ団の話・7(お皿の話)
現在、連載中の「アーサー王かく語りき」は、しゃべり散らかしたものを文章化している作業なのです。すると、自分の中で言いたかったことが言えてたな、言えてないなが見えたりしますね。我ながらその繋がりの飛び加減もビックリで、よく通じたもんだといさけんさんの受け取り能力に感動したりする(^◇^)だけど、感じたこと考えたことを、人を相手に出してみたり出したものを眺めたりしたからこその、あれこれを実感してる今日この頃で。それやったから書けたなぁと思うのが、以下の連ツイです。「悪とは何か」関連として私の中ではJOKERとつながっている話なのです。
改行その他多少の手直しありでまとめておきます。Ω団の自覚の話です。
*********************************
娘と喧嘩した時に私が言ったのは
「あなたは、私の心のお皿を割りました。その時、必要だったのは何ですか?」だ。「ケアです。」と娘は答えた。
「そう、私は片付けを一緒にして欲しかった。けれどあなたは、どうせ自分が悪者でしょだけだったから悲しかったし腹が立ったから怒りました」
「同じことを前にも言われてたね。」
「うん、私きっと毎回同じことしか言ってない」
「今わかったよ。何回も、ごめんね」
「今、片付け手伝ってくれてるから、許す!」
LINEでの文章でのやり取り、それを踏まえた対面しての会話と泣いたり笑ったりしてからのハグがあったりして。
うちは、こんな風に、喧嘩して、仲直りをしますが、前より少しずつ仲直りまでの時間が短縮なのです(^◇^)
「相手の心の中の皿を割る」のイメージは、以前から共有しているものです。
うっかりしたり、ミスったり、わざとじゃなくても、皿を割ることは、あるんです。
その時に。
片付けを、割れた皿を、一緒にどうにかしようとするのが、重要なのです。
私の心象風景に
「割れた皿の破片の中に一人で座ってる」
があるのです。
皿を割る人ばかりがいて、脆いお前が悪いとだけ言われて、片付け方もわからず、破片で痛くて、動けなくなりたいけど、動かないとまた皿を割りに来る、あの日々よ。
私はあれはもう二度とごめんなのです。
距離が縮まれば、皿を割る確率は上がるのです。
それはもう、お互いに。
その時に。
絶対に皿を割るなとか、片付けを手伝う発想も持てないとかだと、距離を置くしかないな、となってしまうのですよ。
自分が悪いかどうかだけになってしまう人ってのが、います。
自分の加害を引き受けられない人。
わざとじゃない、悪気はない、普通の人は気にしない、と
「割れた皿より、自分が悪いかどうかだけを気にする」言動は、「相手のことはどうでもいい」メッセージになります。
だから私はよく言いました。
「自分は悪くない、自分は正しいだけが大事なら、無人島で叫んでろ?それで誰かを好きだとか言えると思うな!」
人の心は見えない皿です。
割と割れます。
金で継いだり、いっそ割れた破片でモザイク細工したり、一人ずつ違う美しさがあるのです。
「相手を傷つけてしまったショックで、自分の皿が割れた!自分が被害者だ!」パターンが、モラハラやDVや毒親やいじめ加害者の「心のあり方」だと考えています。
相手にも自分にも「同じように、それぞれに別の皿がある」が分からないと、やりがちなのです。
距離が近づけば、親しくなればなるほど。
あるいは「立場で思考停止」する場合も、起こりやすいことです。上下関係や権力勾配による「当たり前のこと」での思考停止は、相手の皿を割りっぱなしで平気、が起こりやすいのです。
親子、夫婦、上司と部下、先生と生徒、相手の顔が見えない匿名の交流、等々で。
誤解が多いようなのですが、正しいから、悪くないから、「愛される」なんてことは、無いですよ。
自分は悪いことはしてないにしがみつきたくなるのは、何故なのかは、一人ずつ、違うでしょうけれど。
大事なのは「後片付け」です。
やらかさないなんて、人間には無理なのだから。
皿を割ったり、割られたり、金で継いだり、モザイク作ったりして、人は「変わっていく」ものだと思うのです。
片付けは本当に面倒だから、割らないようにクッションを覚えたりもありますね。
あるいは。割る覚悟を持って言わなきゃいけない時があったりもするです。後片付け意識してやりましょう。
********************************
Ω団(オメガ団)は「それはオメーの問題じゃ。まずはオメーガやれ!」から命名したものなのです。
その基本は「相手にも自分にも、同じように、それぞれに別の皿がある」で、これが「自他境界」なのだと考えております。
お互いに、割れやすい皿を持っていて、割ったり割られたりして、生きていくのだから、絶対に割るなは無理、がある。あるいは「割って割られて変化していくのが人間が生きているなのだ」と考える時に。
「割るのは悪」だけがあったとしたら。
その先には、何があるのか?
割るなの「悪な」の決めつけだけがあって、片付けを覚えないで、片付けを誰かに押し付けて、片付けの手間を正当に評価せずに、ストライキが起こったのが、JOKER冒頭のゴッサムシティだったんじゃなかろうか。
「自分は悪いことはしていない」だけの、他人事感が招く「未来」について、想いを馳せるのであるよ。
「自分は悪くない!」だけに固執すると「バラバラ組合員」になりがち。けれどきっと、バラバラ組合員の心の中は、割れた皿のカケラでチクチクと居心地が悪くて、それが痛くて「自分は悪いことしてない」になるのかもしれん。
だけど、自分の皿が割られて痛くて腹が立って泣いちゃうのも、また当然で。
そんなあれこれを、今後もめぐらしていくよ。私はね、Ω団活動は続けるって決めたんだ。アーサー王かく語りき、やったから!!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?