「Sister」と天空橋朋花について一考察

 おはようございます。声帯を奪い返した南条光(SSR)(@0913_NJ)です。
 ミリオンライブのお葬式兼5thライブから早四一週間。演出家をおろそうとしたり、声優の矛でオタクを殴ったりも飽きてきたでしょう。
 ボクは飽きたので、そろそろ本腰を入れて天空橋朋花と向き合いたいなと思い、筆を執りました。
 今回は最新曲「Sister」の内容を考えながら、天空橋朋花という存在を確立していきたいと思います。


 皆さん、5thのSisterは聞きましたか?良かったですね。ボクは何にも覚えていません。現地にいたのにね。
 歌の途中でリウムを赤にしよう!みたいなのもあったみたいですが、上手くいったのでしょうか。
 非常に抽象的、というより、敢えて主題を言わずに詞を書く事ではっきりとした物言いを避けたような歌ですね。
 何を歌ってるか分からない歌というのはあまり座りがよろしくないので、一つずつひも解いて考えてみましょう。

 まず、全体の印象としてはラテン調(あってる?)のテンポから歌われる叶わぬ恋の歌、という印象でしょうか。5thでは燃えるような演出がされたという事で、身を焦がす恋の歌という捉え方も出来なくはないというのが実際です。
 しかし、私の解釈としては「Sister」は(他のソロ曲2つと同じく)聖母たる朋花と、少女としての朋花、相反する二つの在り方の間で揺れる”天空橋朋花”一個人を歌った歌であると考えています。
 どういう事か?1番の出だしに置いて「語れない 語れない 自分は騙れない」と歌われていますが、ご承知の通り、前2つと後ろでは漢字が異なっています。前者がtalk、後者がimpersonateと考えると、話すことが出来ず、また、何かを装う事が出来ないという意味です。

 ところで、皆さんは天空橋朋花の事をどれだけご存知でしょうか?ボクは残念ながら、殆どなにも知りません。ミリオンライブで触った範囲や、シアターデイズのコミュニティを観た限りでは、彼女のプライヴェイトな背景を窺い知る事は難しいと考えています。
 それは、彼女が聖母として、全員を等しく扱おうとする心意気からのものであると考えていますが、それ故に、彼女の個人的な内面の描写は非常に乏しいのが実情です。私はこれを、天空橋が聖母たる為に、「少女としての自身」を語らないと捉えています。
 一方で、彼女は時折、プロデューサー(つまりボク)を特別扱いする節があります。プロデューサーという近しい立場もあるのでしょうが、明確に、他の子豚ちゃんとは一線を画していると言えるでしょう。私はこれを、天空橋が「少女としての自身」を知ってほしいと捉えます。

 この相反した二つの立場、スタンスが彼女の中にあるとすれば、先の歌詞を読み取る事は容易になります。天空橋は「(自身の事を)語れない」一方で、聖母としての振る舞いを「自分は騙れない」と告白しているのです。

 では、その後に出る「あなた」とは?上の考え方を当てはめるなら、つまり、プロデューサーであるボク(あるいは、もしかしたら他の個人)でしょう。「あなたなら赦されたの?」とは、あなたになら、少女の自分を見せる事が赦されたの?という意味だと解釈しています。

 興味深い点はその後です。「いつか醒めるのなら 応えなど要らない」応え。答え(answer)ではなく応え(responce)です。醒める、つまり今彼女は何かしらの夢を見ており、それからいつか醒める事を示唆しています。
勿論、実際に眠っているとは考えにくいですから、起きて見る夢、願望と呼ばれる部類の夢を見ていると考えられます。彼女が見る夢は何か?ではGREE版の抱負ボイスを以下に引用しましょう。


「私は争い事がキライなんです~。みんなが仲良くできる世界こそ、最高の世界じゃないですか~。
だから私を巡っての争い事がなくなるように、みんなの天空橋朋花になりますよ~。
あ、プロデューサーさんは、しっかりと手伝ってくださいよ~?さぼりを見つけたら…大変なことになりますよ~?」
「天空橋朋花記念館(https://www65.atwiki.jp/tomoka10984/pages/1.html)」より引用


 彼女の夢は「みんなの天空橋朋花」となる事です。現在進行形でミリオンライブ世界の全人類が天空橋朋花のファンだとは考えにくいため、彼女が今見ている夢というのは「みんなの天空橋朋花になる為に邁進している」といったものだと考えられるでしょう。
 その夢から醒めるとは?2つ考えられます。
 1つは、アイドルを辞めるという事。「みんなの天空橋朋花」になる為の手段としてアイドルになった彼女が、その手段を手放すという事はすなわち、夢を諦める、夢から醒める時だと言えるでしょう。
 もう1つは、「みんなの天空橋朋花」でなくてもいいという事。つまり、誰か個人の天空橋朋花となることを望むという事です。
 この2つのルート、どちらかに拠って彼女が「みんなの天空橋朋花」という夢から醒める事を恐れるが為に、彼女が「応えなど要らない」と拒絶したのだとするならば、後者の方がしっくりくるのではないでしょうか?
 天空橋が最も近しい子豚ちゃんとしてのプロデューサーに恋心、執着心、あるいは独占欲を抱いた時、彼女がそれを口にし、プロデューサーが応えた際に彼女の夢である「みんなの天空橋朋花」は崩壊してしまうと歌ってるのです。
 しかし、そう簡単に割り切れない気持ちが、続く「揺らぐ微笑みから見つけて…」や2番の「忘れたい忘れ得ないあなたを忘れたい」、「『サヨナラ』と言えたら良いのに…」等に表れていると言えます。

 サビに行きましょう。最も難解な解釈の一つが「恋は銀色に光る不条理」だと言えます。現実世界で見た事がありますか?「銀色に光る不条理」ボクはないです。
 辞書を手繰ってみれば、「不条理‐事柄の筋道が立たないこと。あるいは、常識に反していること」とあります。代入すると「恋は銀色に光る事柄の筋道が立たないこと」となります。
 まぁ、大体の恋は事柄の筋道が立たないことであるような気もしますが、ここは銀色に光ると絡めつつ、不条理=縛る物と意訳し、鎖という事にしましょう。ほら、鳥籠スクリプチュアのSRにも鎖描いてあったし。
恋は鎖とするならば、彼女は今まさに縛られているという事にほかなりません。プロデューサーへの恋心に縛られた彼女が目に浮かぶようです。

 次にお話しする部分は、難解というよりも、人によって数多の解釈が存在するのではないか?と感じている部分です。つまり、「わざとだったの 声に二秒だけ乗せた本音」一体どこの部分に本音を乗せていたのか問題です。ここで大事なのは「天空橋が自身の本音を少しだけ乗せた箇所」が存在するという事だけであって、それは別にSister歌中でなくてもいいのでは?とボクは考えています。天空橋があなただけにした「最初で最期の言い訳」は何処だと思いますか?考えてみるのもいいかもしれません。
 投げっぱなしでいるのも良くないですし、一応「Sister」解釈と謳っているので、ボクが「Sister」内で考えてみますと、それはやはり、「揺らぐ微笑みから見つけて…」でしょうか。
 揺らぐ微笑み、つまり、はっきりとした笑顔ではない作られた笑顔と、それが揺らいでしまう理由が彼女にはあったと考えられます。
 微笑みとはつまり、アイドル、ひいては「みんなの天空橋朋花」には必須の武器でしょう。彼女はその武器をしっかりと作れない程に、聖母と少女の間で揺れているのだと言えます。また、「見つけて」という言葉が使われているということは、それは常には隠されている事を示します。天空橋朋花という少女は天空橋朋花というアイドルの笑顔の下に隠された存在であり、それを見つけ出してほしいと望んでいることこそが、彼女が話しかける相手(プロデューサー)に恋をしているという何よりの証左だと言えるでしょう。


 2番以降においても「天空橋朋花は聖母と少女の狭間で揺れている」「プロデューサーに恋をしている」という2点をしっかりと持てば読み解くことは難しくないと考えます。以下、ボクが興味深いと考えた部分についてのみ記載、解釈をします。

「膝まずく禁断 私は弱いな」:鳥籠スクリプチュアにおいて「跪いてみせて、誰もに見せつけるように」と歌っていた彼女が膝を折る側に回っていると考えるなら、彼女が聖母を捨て、少女となる事を選んだと言えるでしょう(聖母は崇められるもの、救うものであって膝を折り仕えるものではない)
あるいは、膝まずくのはプロデューサーでありその関係性を禁断と呼んでいるのかもしれません。膝まずく禁断”プロデューサー”とルビを振ればわかりやすいでしょうか?そうした場合には、天空橋は聖母と少女、どちらを選ぶか決めかねており、優柔不断のまま結論を先延ばしにしている自身を弱いと断じているのかもしれません。

「為す術もなく私じゃなくなる でも」:私とは恐らく聖母としての天空橋を指す語としていいでしょう。聖母と少女、後天的な”私”は聖母としての天空橋だと考えられるからです。勿論、恋を口にすることが出来ず、為す術なく少女としての天空橋が死に(生物的な死ではなく、人格的な死です)聖母として振る舞う天空橋のみが残ってしまう事を私じゃなくなると歌っている可能性もありますが、その場合後ろに続く「でも」に違和感が残ります。

「あなた(私)繋ぐ 有刺鉄線は赤」:男女を繋ぐ赤いものなーんだ?そうですね、赤い糸です。通常であれば小指にまかれるのはただの糸なのですが、天空橋は有刺鉄線で繋がれていると歌います。当然、強烈な痛みが想像されますが、この有刺鉄線というのは痛みを表す他に立ち入り禁止区域を示すものではないでしょうか?つまり、天空橋朋花の心は有刺鉄線が張り巡らされたような、常人が立ち入ってはいけないような空間であり、そこに近付こうとすること自体に痛みを伴うという事を暗示しているように思われます。

「願い事叶うなら私だけに騙されて」:天空橋の本音候補の最有力です。あまりにも直球すぎて上では外しました。先に挙げた鳥籠スクリプチュアの「跪いて見せて、誰もに見せつけるように」やMaria Trapの「叫ぶ胸は貴方の背で震えた。嫌よ、どこにもいかないで」にも見られるような少女としての天空橋朋花の独占欲の発露だと考えられます。聖母としての天空橋朋花が万人への平等の愛を語るのに対し、少女としての天空橋朋花は(恐らくは)年相応の少女らしい、いじらしい程の独占欲を有すると考えられます。


 最後に、題名の「Sister」について考えておきましょう。
 その際に留意していただきたいのは、ボクはキリスト教、神教を正式に学び修めた者ではないため、誤っている可能性を常に(非常に)孕んでいるという事です。

 さて、Sisterと言えば妹、あるいは姉がぱっと思い浮かびますが、天空橋と絡めて考えるならば、やはり修道女という意味合いを考えるべきでしょう。
修道女、神にその信仰を捧げ、禁欲的な生活を送る彼女たちの名を冠するに至った理由ですが、それをひも解くには一つはっきりさせておかなければならない点があります。
 それは、天空橋が信じるモノです。
 彼女は、事あるごとに自身が聖母として人々から崇められるべきものだと語りますが、彼女をそうさせた、あるいは、そうさせているモノ、その意志の源、原動力と言えるものは果たして、一体何でしょうか?
 それを詳らかにするにはあまりにも材料が足りません。はっきりさせておかなければ、といっておきながら、説得力のある答えが見つからないのです。
しかし、例えば適当な解を代入することは出来るでしょう。
 GREE版で語られている通り、天空橋の生家は教会です。教会に住んでいるという事は、恐らく父親が牧師なのでしょう(この辺りがよく分からないのですが、妻帯しているキリスト教徒という理由から天空橋家はプロテスタントだと思っているのですが、それにしては天空橋の過剰なマリア信仰が気にかかります。その辺りの考察もどこかにあるのでしょうか?)
 そうした彼女が、幼い頃から親しんできたであろう聖人の物語、その一つとしてジャンヌ・ダルクよろしく神の啓示を受けたという可能性をここでは取り上げる事としましょう。

 神への信仰の発露により、人々を導き、自身をマリアへと仕立て上げ、信仰の対象とする事で”信仰の対象”の拡張、信じるべきものを持つ人々の増大をもたらし、それにより自身の信仰を再確認していると言えるのではないでしょうか?
 そうであるなら、彼女はアイドル活動を通じて、神への信仰を遵守し、また、人々に教えを広げる宣教師としての役割を担っていると言えるのではないでしょうか。
 そうした彼女の在り方を、戒律を守り敬虔に暮らす修道女と重ね合わせ「Sister」というタイトルにしたのではないでしょうか。

以上がベタな解釈ではありますが、一応、筋が通らなくもない解釈だったのでは?と考えています。

お疲れ様でした。次回は鳥籠スクリプチュアの解釈を予定しております。

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