偏屈者が考えた全知全能論

最初に言っておかなくてはいけないことがあります。自分は大学で神学や哲学を学んだような立派な人間ではないです。それと、カント的な考えに真っ向から反逆してます。ですので、この記事の内容が甚だ見当違いである可能性は高く、もしくは使い古された概念であるかもしれません。以上を頭にいれて読んでいただければ幸いです

この記事で一番言いたいことを書いておくと、「全知全能が神である必要はない」ということです

以下、それについてだらだらと書いていきます

全知全能のパラドックスの扱いについて

全知全能のパラドックス(有名所で言う四角い丸は書けるのかとか、自分が持てない岩を作ることができるのか)は出来るものとして書いていきます

スタンスとしては、「全能である者は出来るけどやらない、そしてもしやったとしても全能ではない我々には理解できない」です

理由としては、原理と過程と結果、全てが分からないものを考えるのは、無意味を通りすぎて思考の無駄だと考えてです

夢の中で出てくる、でたらめな数学の公式を一生懸命証明するようなものだと思っています

「全知全能の神」という謳い文句は子供の「一生のお願い」と同じ

幼い頃に、親に一生のお願い! と言って、何度も一生のお願いをした、なんて経験が私にはあります。あなたにはありますか?

身も蓋もないことを言えば、全知全能という存在を自らの神と主張するのは、宗教的にインパクトを持たせるためだと思っています。何かを願ったとき、それはこの神様には出来ません、なんて言っていたら集まる信者も集まりません

信じるものは救われる。宗教の根幹を否定するつもりはありません

しかし、「全知全能が神」とするのは異議を唱えたいです

全知全能が全てを行う必要はない

まず、前提として、人という「全知全能」ではない存在はいます

その「全知全能」ではない存在を生み出す者が「全知全能」である必要はないということです

生み出すというのは、「アダムとイヴ」でもいいし、「宇宙創世」でもいいです

それを行うのを神と定義すると、「神が全知全能である」必要はないとなります

神が全知全能ではないなら、全知全能は存在しないのか? という問いに対しては、そうとは限らないというのが自分の答えです

この定義の神が全知全能ではなくても、他の存在が全知全能である可能性があるからです

そもそもの「全能」という定義

例え話です。ペンキ塗りが全ての世界で、3人の人がいて、青いペンキが塗れて赤と黄色のペンキを塗れない人がいて、同様に赤いペンキしか塗れない人と黄色のペンキしか塗れない人がいたとします。この場合、全能とは赤、青、黄のペンキを塗る事が出来る事であり、黒いペンキを塗る事が出来ることではないということです

なんともあやふやな例えになったのは承知しています。しかし、全能という存在を考える上で、そもそも全能という定義の未熟さから目をそらしてはいけないと思います

その定義が出来たのが数千年前の物であり、その上、盛んに討論の末出来たものではなく、一部の特殊な人によって出来た全能という定義は、最初から危うい物だったということです

そこを精査する意味は有るのでしょうか?

最終的に全知全能に対して思うこと

全知全能がもし居たとしても、それが神様をする必要はないし、自分の全能性に疑問を持たなければ四角い丸を書く必要もない

全知全能が神である必要はなく、しかし存在を否定する必要もない

これが言いたかっただけです

駄文失礼しました。かしこ

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