読了レポート:もしハリーがペチュニア似の女の子だったら(ハリポタ二次創作)



作品リンク

もしハリーがペチュニア似の女の子だったら
作者:名梨様
https://www.pixiv.net/novel/series/1103964

はじめに

今回読んだのは、名梨氏によるハリーポッターの二次創作作品「もしハリーがペチュニア似の女の子だったら」。
リンク先の作品は「完結済み」となっているが、完結しているのはホグワーツの1年生パートであり、続きや番外編は現在も連載中である。
完結済みのパートだけでも95話で構成されており、読み物としてはなかなかのボリュームであるが、筆者はこの物語の魅力に引き込まれ、寝食を忘れて読みふけってしまった!
その興奮冷めやらず、居てもたってもいられずこうして筆を執っている。
長くなるが、どうか本作品の魅力を存分に語らせて欲しい。

本作品の魅力

本作品は「愛、友情、成長」という王道のテーマを軸に置きつつ、原作小説では敵対的な存在であったスネイプやマルフォイが、本作主人公のヴィオレッタを助けるキャラクターとして魅力的に描かれている。
ぎこちなく主人公を愛するスネイプや、毒気なく接するマルフォイなど、主人公と彼らの関係性の描写に幾度となく胸がときめいた!
そして、スネイプやマルフォイを魅力的なキャラクターたらしめているのは、作者独自の解釈に裏打ちされた世界観、およびそれらのキャラクターの背景設定である。

例えば、原作のマルフォイは純血の魔法使い以外に差別的な態度をとっていた。
しかし本作では、彼の抱く”純血主義”は、失われつつある古の魔法を保護するべく、古くから続く血統を絶やさないための思想と解釈されている。
その結果、マルフォイの人物像はマグルに対し排他的なのではなく、魔法使いの歴史に敬意を払わない者を嫌悪するものとして書き換えられており、読者の共感を得やすいキャラクターとなっている。

反面、原作ではハリー・ポッターの味方であったハグリッドや友人のロンは、本作品では敵対的な存在として描かれており、その扱いのギャップが肌に合わずページをめくる手を止めてしまう読者もいる。
作者も自身の作風を「読者を篩にかける」と評しており、合わない人が一定数いることを承知の上で執筆していた。

だが私は言いたい。
ハグリッドの扱いがひどいからと言って、序盤で読むのをやめるのはもったいない!
本作の魅力とは、儚く庇護欲を掻き立てる主人公・ヴィオレッタが、自分の家族、友人、名前を守るために勇敢に行動すること――。

そして命や名誉を守る戦いの中で、友情を育み成長していく主人公たちのストーリーこそ、この物語最大の魅力なのである。

伯母・ペチュニアに似た主人公

そもそもこの物語はタイトルにある通り、ハリー・ポッターが父ジェームズにそっくりな容姿ではなく、伯母のペチュニアに似た少女だったら?というif小説である。
父親が生まれたての赤ん坊を男の子と勘違いして"ハリー"と名付けたが、その後、その赤子を保護したダーズリー家で”ヴィオレッタ”と女性の名前に改名されたのである。
また、ダーズリー家での扱いもかなり変更されている――すなわち、原作では厄介者だったハリーだが、ヴィオレッタはダーズリー家の一員として愛されている。
ダドリーからは大切な妹として守られ、バーノンとペチュニアからは温かく育てられ、ヴィオレッタは引っ込み思案ながらも、きれい好きで礼儀正しい少女へと成長した。

それだけではない、ホグワーツでの立ち位置も原作とは大幅に異なったものとなっている。
所属する寮はスリザリンで、ヴィオレッタの隣を歩くのはドラコ・マルフォイである。
そして原作では親友だった”ロン”、ロナルド・ウィーズリーのことは軽蔑し、名前を呼ばれることすら厭っている。

しかしだからと言って、この物語は原作のスリザリンから想起されるような、陰湿で謀略的なものではない。
むしろ、半純血の主人公・ヴィオレッタが、凝り固まった純血主義の中で確固たる居場所を作るために奮闘する、努力の物語なのである。

……という書き方をすると少し暑苦しく感じるが、あまり詳細に書くことはネタバレに繋がりそうなので憚られる。
要するに、明るい未来に向かってヴィオレッタががんばるし、その努力が報われることに読者は期待していい。
その期待が止まらなかったため、私は夜通しこの作品を読む羽目になったのだ!

……たまにスリザリン生らしく、計算高く振舞ったりするのはご愛敬だ。

練り上げられた世界観

この作品中では世界観に独自の解釈が追加され、登場人物のキャラクター性に”必然性”を付与している。
先に述べたマルフォイの純血主義はほんの一例であり、マルフォイの愚鈍な従者として描かれているクラッブとゴイルにさえ、彼らがそうならざるを得なかった背景が設定されていたことには舌を巻いた!

そんな魅力的な背景設定の中で一際見事だと感じたのは、名前についての解釈である。
魔法使いの操る言葉には魔力が宿る、そのため迂闊に名前を口にすれば、災いを成す呪いとなることすらある。
故に由緒正しき魔法使いはみだりに名乗らず、また相手の名を軽率に呼ばない――。

特に、組み分けの際にヴィオレッタ・ダーズリーが自身の名前を取り戻すシーンにおいて、この設定は重要な役割を果たしている。
組み分けリストに”ダーズリー・ヴィオレッタ”の名前はなく、”ポッター・ハリー”の名が記載されており、修正は不可とダンブルドアから告げられる。

自らの名前を否定される不愉快極まりない場面を、ヴィオレッタはどう切り抜けたのか……。
ああ、あの痛快極まりないシーンまでは、皆様にぜひとも読んでいただきたい!

他にも魔法使いとマグルの間に横たわる軋轢、死食い人の子供として肩身の狭さを感じている生徒、ゴーストがゴーストとなった経緯など、原作の世界観を深める設定がそこかしこに加えられている。
奥行きのあるハリポタ二次創作を読みたい人には、うってつけの作品である。

対立的なグリフィンドール

原作での描写の通り、本作でもグリフィンドールとスリザリンは犬猿の仲である。
そのため、一部のグリフィンドールにかかわるキャラクターはこの作品では憎まれ役である。
ハグリッド、マクゴナガル、ロン、ダンブルドア……原作ではハリーを助けていたこれらのキャラクターが悪役として書かれていることに、違和感を覚える読者もいるだろう。

だがしかし、主人公の目から見た時に、これらの人物が好ましくなく映るだけの理由は準備されている。
本作品がスリザリンに組み分けされた少女が主人公である二次創作であることを念頭に置いて、善玉悪玉を原作から逆転させた上で読んでもらえれば、ロンが悪役として配置されることの違和感も拭えるだろう。

……とはいえ、感覚的に受け入れられないものを無理強いするわけにはいかない。
私はすんなり飲み込んだため本作品を楽しめたが、これについては個人の好みの問題である、合わない人は無理に読む必要はないだろう。

第二の主人公、ドラコ・マルフォイ

本作品では、主人公ヴィオレッタがダイアゴン横丁でマルフォイに助けを求めるところから、二人の関係は始まる。
この作品のドラコ・マルフォイに原作ハリポタで感じた小物感はなく、英国紳士であり、伝統ある魔法使いの代表氏族であり、ノブレス・オブリージュの精神を備えた、主人公たるキャラクター性を持つ人物となっている。
マルフォイ家の次期党首であり、貴族社会で揉まれて育ったため様々な顔を使い分ける術を身に付けており、本音の読みにくい部分もある。
しかし、ヴィオレッタの隣に彼が居られること、それが彼のひととなりを十分に表してくれているだろう。

ヴィオレッタと出会う前のドラコは、悪い意味での純血主義者であったのかもしれない。
しかし彼女と出会ったことで、ドラコの中で何かが変わり始める。
この物語の中核を担っているのは間違いなくドラコであり、そして彼もまた成長している。
どうか最後までこの物語を読み、彼の成長を見届けて欲しい。

終わりに

記事内で何度か注意喚起したが、この作品はハリポタ原作の設定をいくつも変更した二次創作である。
そのため一部の登場人物の扱いが大いに改変されており、受け入れがたい忌避感を持つ方もおられるだろう。

だが愛と友情と成長の物語として、この作品は私の胸を熱くしてくれた。
願わくは、この感動を分かち合える友が現れますように。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?