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苦手とスキを繋げてみる、新鮮な生き方

晩上好!(ワンシャンハオ)
きゃんなかんなです!🤗

世界各国の言語に触れたいと思ったので、
今日から冒頭を外国語で始めることに。

晩上好、意味は「こんばんは!」です。
新しいものに触れてる!なんかたのしい(笑)

そして、アカウント名を「かんなさーん」から

「きゃんなかんな」に変更しました。

「かんなさーん」っていう同じタイトルの漫画がありますからね。パクった感じがして。

オリジナリティを取り込みたいと思いました。


今日は、

NOAさんと初めてお会いしました。

そこで、私の悩みに対して力強い納得感を与えていただいたので、

ここでシェアします。
( ര∀ര)つ─━━━━ (←ポッキー)

「自分らしい🐘」

「自分らしく」って言葉はあまり使いたくない。変変じゃない?普通に生きてればそれが自分じゃん。。「自分らしくいること」が理想みたいに語らられるけど、それって当たり前の状態。


なんて新しい考え方。

「自分らしくいよう」ってたしかに、

今の私は自分らしく生きていなくて、「自分らしい」という理想を目指してる感がある。

複雑化しすぎている。そもそも自分は世界に
1人しかいないのに。

一方で、私はこう考える。

「自分らしい状態」には何個かパターンがあって

1つは何も飾っていない私。

ここでの飾っていないとは、毎日3時間しか勉強していないのに見栄を張って6時間は頑張ってます。と言ったり、

彼氏と上手くいっていなくて悩んでいるのに、「順調だよー」と嘘をついたり

これらをしていない状態、現実の自分を嘘偽りなく他者に話せるのが、「飾らない私」だと思う。

もちろん、会う相手によって自分の在り方は自然と変わるけど、その変化範囲内での、飾らない自分。

もう1つの「自分らしい状態」は、「自分が好きな自分でいる時」。

みんなの前で堂々としてる自分が好きだったり、
誰かの話を熱心に聞いてる自分が居心地よかったり。

その自分でいる時の時間がたのしくて、それを「今は自分らしくいられている」と感じる。


と考察してみたが正直よく分からない。

自分らしいってなんだ。

時と場合によって、一緒にいる人や環境によって自分は変わるし、価値観だってどんどん更新される。

多分これは哲学の話だから私が定義しなくていいや。

泣き虫について🦖

自分のことを話すと涙が出ちゃう人って意外といるよ。

えぇ!!!そうなんだ(TT)救われた(TT)

私はたくさん泣きます。

感動的な映画を見ても涙は出にくいが、

自分の意見を主張する時、悩みをうちあける時、嬉しかった話をするとき。

心の敏感な所に触れることばを外に出そうとする時、涙がでます。

目が赤くなって、のどがキュッとなって、鼻水がでてくる。

異常事態なのかと思いました。

なんでこんな頻繁に涙が発出されるんだろう。病んでるのかな。

以前、バイト中に、先輩から些細なことを注意されました。

「私の言うこと理解できる?」と聞かれた時、

私「はい。つまりこういうことですよね、二度とないように気をつけます。申し訳ありませんでした。」

と言いたかったのですが、その前に涙と嗚咽で言語がでない赤ちゃんみたいになってました。


このように、外部から予期せぬ刺激が与えられた時、突発的に涙がぶわわわってなります。(இωஇ )ブワッ

それは、精神病んでるからだと思ってたら、
私はそういう習性だったんです。

性質です。HSPと同じで。だから変えられません。

でも私が人前で泣いた時、相手からしたら

「お、オレがなにかしたのか…?!」と戸惑わせてしまうので、

「こういう性質なんで気にしないで下さい」とお伝えしたいと思います。

自分は異常じゃなかった。涙が止まらないのは私の性質だった。ならしょうがねぇな。気づけて嬉しいな。

大学のレポートやると、好きなことが疎かになるの

私:
大学のレポートが終わらないせいで、好きなこと(自(自分を表現すること)ができない。「やるべきこと」と」と「やりたいこと」のバランスをどう取ればいいのか。
NOAさん:
まず、好きな事をやりたい気持ちを抑えて、大学の勉強を頑張っているのがすごい。私にはできない。勉強しない学生もいる中で、レポートに向き合う強さを持っていることに、自信もって。
その上で、大学のレポートと、かんなが大好きな「自分を表現すること」を繋げてみたらどうかな。レポートも文章で言語的表現でしょ、
「ココとここを繋げちゃいけない」っていう思い込みは自分が作り出してるんだよ。

なんと…!!!
大っ嫌いな大学の課題と、私の好きなことが繋がるなんて!

てか「繋げる」という選択肢がなかった。新しい視点だった。

NOAさんは「コーチング」のお仕事とは一見関係のない「ランジェリー」と「お写真」を連関させているそうだ。

私も、レポートと大好きな「表現大会」を繋げてみよう。

それから、少年漫画やアニメ、ヨガも好きだな。本を読むのも映画も、ASMRも好き。

あとあと

ダンシングや高速道路付近で歌ったり、ぬいぐるみ劇場を主催するのもだいすき。

やるべき事は、大学のレポート、講義を受ける、新聞を読む、筋トレする、モチベーショングラフを書く。

それから、バイトしてお金を手に入れる、ご飯をよく噛んで食べる。

上の「好きな物」たちと「日々のタスク」が繋がって、
嫌だったタスクがちょっとだけ楽しくなるかもしれない。

または私が経験してきた、どっかの何かと繋がって、新しい喜びが生まれるかも。

すでにある「私を構成するモノたち」を繋げてつなげて、私がハッピーに感じられる方向に持っていく。

とても前向きで、スマートで、心の重りが取れる在り方だ。

なぜ「心の重り」が取れたかというと、

私が大学のレポートをやりたくない理由は、それ自体が嫌いなのではなく、

レポート作成行為は私の「好きなこと」ではないからだった。

この思いの前提には、

「せっかく華の大学1年生なんだから、人生において大事な時期なんだから、、
わたしにとって『楽しいこと』をやって過ごさねばならない」

があった。

毎日楽しく生きないと、人生の時間をダメにしている、なんなら「生き方を間違えている」とさえ思っていた。


自分の思い込みが怖い。「楽しくなきゃ楽しくなきゃ」と毎日自分を脅迫していた。

たしかに「楽しい」は素敵な感情だ。

日々楽しい時間が増えれふえるほど幸せだし、私にとって「楽しい」の対義語である「辛い」生活は、避けたいと思ってる。

ただ、その時は楽しくなくても、自分にとって役に立ったり、価値があると分かりきっていることのような、

「楽しくはないがやった方がいいこと」はある。

私はそれ↑までも避けようとしていた。

心の底から楽しいと思えることだけで生きていこうとしていた。

楽しいことをして毎日を過ごし、ゆくゆくは仕事になってるのも素晴らしい、が、

「楽しい」が仕事になったとしても、「楽しくないけどやった方がいいこと」はずっと付いてくるだろう。

その度に「楽しくなーーい!」と悲観するのなら、前向きに捉え直しちゃって、自分の「スキ❤」とくっつけちゃえばいい。

そういう視点もある。そういう選択もある。


私はレポートそのものが嫌いだったわけではない。

レポートに取り組むことで、

私が大好きな活動に時間を費やすことができない、自分が嫌だった。嫌いだった。

それなら、レポートを「スキ」の領域に持って行っちゃえばひとまず一件落着。

大学のレポートを書くに当たって調べ、議論した、

政治や経済、法律や、倫理観の
知識&持論を、このnoteにも活かせばいい。

その方が、私もさらに賢くかっこよくなれる。( *¯ ꒳¯*)キラーン✨


最後に、

「たくさんアドバイスして下さってありがとうございます」とNOAさんに伝えたら、

「うん!でも、私はかんなの悩みを解決しよう!としたつもりはないよ。」

と言われ、驚きとともに、こんな思考が降りてきた。👇🏻


NOAさんの世界の見方・感じ方・捉え方が、今の私に刺激を与えてくれた。

でもそれはたまたまだった。

偶然にも、私が納得できる選択肢をNOAさんが持っていた。

このことから、「たくさんの視点を知る」ことはとってもとっても大事なんだと実感。🥺

その中のどれかが、私のモヤモヤをスルッと解決してくれたり、ワンランク上に引っ張ってくれることがあるから。

多くの視点を知り、私の中に落とし込むためには、

人に会ったり本を読んだり、

過去の自分を振り返っていたら突如 気づきを得たり。

会う人は、

「凄いことをしてる人」「超アクティブに前進してる人」だけじゃなくていい。

その人が、私にとって新しい価値観を持っているのなら。

つまり、自分以外すべての人は、私からしたら新鮮な見解をもっている。

「自分以外の人は、みんな師」

という言葉の意味が分かった。
私は誰からでも学ぶことができるんだ。


でも、私が「この考え方は取り入れたくない!」と思う相手や本もあるから、

誰からでも学べると知った上で

「この人から学びたい」「あの人と一緒にいたい」と思える人を自決すればいい。

もしサポートして頂けたらとってもとーっっても本当に本当に、嬉しい限りです!!!!!!!🌸🌸頂いたものは今年のアメリカ留学と大好きな本を手に入れるために使わせて頂きます…!これからも皆さんが「幸せや~~♡」と感じながら日々を送れますように!!!