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黒色の靴と人生の満足度

友人のたまちゃんからのバトンである。お題は、「靴」「空気」「黒」。
なお、彼女は「遠足」と題された文章を書いている。織り込まれる、学校の体操着へのそこはかとない抵抗感が大変興味深かった。

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さて、そして私はお題に向き合わねばならない。

要は靴なのだ、靴

結論から書こう。
「黒色の靴は、人生の満足度をあげる」

例によって私の話だ。ごくごく個人的なことだが、汎用性を見出すこともできなくはないだろう。世界の法則は私たちの見えないところでつながっている。読者の皆さんにとっても、何らかの示唆になればと思う。

以前記載した通り、私は長いこと営業マンとして働いてきた。
その経験から言う。営業マンにとって最も重視すべき点とは何か?
営業トークではない。会社の規模でもない。売っている商品ですらない。
それは、言うまでもなく「装い」である。
考えもみてほしい。どんなに快適だとしても、パジャマ姿で営業はできない。いや、これでは、出社すら危うい。たとえ寝具メーカーの人間であっても、だ。幸か不幸か、私たちはそういう世界に生きている。

装いの要となるのは、ずばり「靴」である。
聞くところによると、高級ホテルのドアマンが顧客のクラス感を測る指標は、顧客の靴だという。時計でも鞄でもスーツでもなく、靴なのだ。
別の話では、イタリアの諺には「履いている靴は、その人の人格そのものを表す」とあるのだとか。
え。本当か? 本当にそうなのか? 

いや。もはや異論は唱えられない。冒頭で「黒色の靴は人生の幸福度をあげる」と教訓めいたことをぶちあげてしまった以上、この論に乗るほかないのだ。靴は人なり。引き返せない道というのは、どの世界にも存在する。

やっと、黒色い靴の話である。
とにかく靴が大事なのだ。怠惰な人間であるゆえ何もしたくないのが本音なのだが、社会で生きているうえで営業マンとして、何とか形を保たなければ。必死なのだ。

その私は、3年ほど前から、黒い革靴しか選ばなくなった。明確な理由を述べるのは難しい。
唐突だが、世の中に存在する革靴の色の比率はこうだ。

黒色:50% 茶色:40% その他:10%
(佐野某・体感データセンター調べ)

サイズもぴったりな、魅力的な形の靴があったとする。嬉しい。しかも、たいていのブランドはご丁寧にも、黒色と茶色を取り揃えてくれている。
──Caution! 危ない! これはブランドの罠だ。2足とも買わせる戦略だ。
しかし、だ。私はその手には乗らない。実際は「乗れない」。財布の中身は有限だ。
ここで、強固な哲学と強固な意志、つまり、「私は黒色の靴しか選ばない」があれば、私は財布と平常心とを保つことができる。
さらに、ビジネス的なセオリーによると、「靴の色とベルトの色と鞄の色は揃えるべきだ」とのこと。すると必然的に、買うべきほかのアイテム類も黒色になる。Yes, we can. 何と画期的な。効果は相乗的である。

結論めいたこと

私たちは迷うことによって、少しずつ不幸になっていく。心構えがあろうとなかろうと、靴は私たちに魅惑的な顔で迫ってくる。でも、もう大丈夫だ。決めればいいだけの話なのだ。

かくして、私の幸福度はあがった。
人生は「何をやるか」のみならず、「何をやらないか」によっても決まるのだと唱えた人がいた。至言である。
さらば愛しき茶色の靴たちよ。

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最後に余談だが、自分に合った革靴は、足全体を入れた瞬間に「シュッ」と小気味よい音を立てる。足の容積と靴の中の空気が一致している証拠だという。そう考えると、よい靴というのは、履くたびにガス抜きができるということだ。幸福度があがる。素晴らしい。
……あれ。おかしい。それって靴の色がどうかなんて、全然関係ないじゃないか。

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お次のお題は、「靴」から「つくる」へ。
康平くん、よろしくお願いいたします。

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