推しのアイドルが解散する話
推してるアイドルが解散する。
その発表は巷では噂されていたものの突然で、衝撃だった。
そのアイドルに出会ったのは3年くらい前。クリープハイプという私が兼ねてから愛を注ぐロックバンドのカバーを、アイドルグループのうちの一人の女の子がしていた。
その声と踊り、世界観全てに引き込まれてハマるのに時間はかからなかった。
本当に人は、ハマるのは一瞬でそこからはお金をかけ時間をかけ、追えていなかった時間を取り返すかのように情報やらDVDやらを集めたくっていた。
3年間愛と時間とお金を注いできたそのアイドルが、2023年で解散する。
発表があった朝には涙が止まらなかったし、寂しくて悲しくてしょうがなかった。
けど6人が決めたことならとおもって反対するような気持ちは自分でもびっくりするくらいなくて、むしろもっともっと推さなきゃ!ライブ行かなきゃ!という気持ちだった。
全てのものに終わりが来る、というのは当たり前にみんなの中に認識としてあるのに、なんで私たちはこんなに終わりを意識できないのか。解散を聞いて深く考えた。
私は昔から物事の終わりが嫌いだった。RPGゲームをやれば物語をクリアしてしまうのが寂しくて最後に差し掛かればかかるほどやらなくなるし、塗り薬とかリップクリームとかも使い切ると無くなることが嫌で使えずにいたりした。
けどそれは、目に見えている終わりがあるから出来ること。ラスボスを倒せば終わることは分かっているRPGの世界のこと。
それが目に見えなくなった瞬間、なんだかなんとなく今あるものは永遠にあるんじゃないかと思えちゃうんだ。
数字を増やすことを意識することは簡単で、1周年2周年とかは意識できるのに、いつか来る終わりはその時すっかり頭の中にはない。
友達も恋人も、いつなくなるか分からないと、理解はしていても意識することはできない。
それで終わりが来た時に後悔したりする。もっと大事にすればよかった、思いやればよかった。とかさ
物事を逆から考える、終わりから考えることができたらもしかしたらもう少し人に優しく、時間を大切に出来るのかなと解散報道が出てぼんやりと思ったのでした。
推しは推せるうちに推せ!!!とは人生の真理でもあるね。
思っていることを書くのは楽しいね。おやすみ。
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