寂しいと生きるのジレンマ 

生きていると息をしているは違うと思っている
この仕事をしてから管に繋がれる生活は
本当に幸せなのだろうか、
あとは自分から命をたった人を悲しい人と
思うのだろうか、なんてことを考えたり
思ったりしてしまいながら、人の療養の世話と
診療の補助をやめれないで、している。

生きているからこその贅沢ではあるんやけども
別れがさみしい今日はそんな話

生きている以上最期の時までサヨナラはあって
例えば1人でいなくなったら!さよならはないが、
それはやっぱ、贅沢かもやけども
どこかさみしそうで
誰かといれたらいいなとは思っている。
それをさみしいと思うのはわたしが
1人ではないと今自惚れているからなのだと思う
人との繋がりを知ってるからさみしいとなる贅沢やなと思う。
結婚しても子どもがいても
こればっかりは順序でしかないし運によっては
1人かもしれないし
先に相手にさよならすることがしあわせなのか
相手からのさよならを見届けることがしあわせなのかは
わたしにはわからんのやけども。

1人でいたら誰ともさよならをしなくてもすむが
さよならはしたくないし1人でもいたくない、
生きているから、ジレンマである

すきなことやすきな人はきっと多い方が楽しい
多くなくてもつながりや思いが深い方が
きっとたのしいと思っている
ただ深く繋がるとさよならはとてもさみしい

解散、活休 生きてりゃなんとかなるなんてのは
生きてなんとかなった人たちからの言葉でしかない

戻ってきた、辞めんのやめるに会えたら大ハッピー

こないだ話してた患者がいなくなった、
友達のおかんがいなくなった、
友達のわんこがいなくなった、
友達の奥さんに癌が見つかった、
わたしが骨を折った、怪我をした、

そんなこんなな、さみしいをいくつもこえて
息をするではなく生きるをする、すきといる、
深いつながりをいつかのさみしさと引き換えに
求めて生きていくのやろうな、明日も


さみしいもたのしいも深いも浅いも
1人でいるもいないも
全部上手くすきになれたらいいな
生きてるをたのしめたらいいな
明日もすきな人とすきなことが少しでも多く
できたらいいな

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